Raison d'etre sc.054
ざわり。
自分の背筋が総毛立つような感覚に紅は目を見開いた。
彼の霊圧の質が変化を感じ取る。
一護に振り下ろされようかとしていた刀は、他でもない一護自身によって止められた。
刃を握る手が赤く筋を作ろうとも、彼はそれを放そうとはしない。
それどころか、彼はその口元に笑みを浮かべて見せた。
その顔の右部分に、まるで虚のような仮面が構築されていく。
「…白哉さんっ!!」
紅が声を荒らげるとほぼ同時に、斬月の黒い刃が白哉を切り裂く。
耳障りの悪い音が彼女の耳にまで届き、地面には重力に従った赤が流れ落ちる。
「やっぱりてめぇは下手糞だ!!一護!!!」
笑い声を上げながらそう言った一護。
しかし、それはまるで彼自身が一護ではないかのような口ぶりだった。
「卍解の使い方ってやつをよ!!!」
その声を期に彼は地面を蹴る。
即座に反応した白哉は周囲を囲む刀の一振りを自身の手中に納めた。
目を細めて一護を見た彼の視界に漆黒が舞う。
次いで揺れた柔らかい質の髪に、白哉は思わず声を上げた。
「紅!何をしている!?」
「あれは一護ではありません。…止めます」
二人を邪魔するならば、許さない。
その意思をこめた眼で彼女は一護を見据えた。
虚の仮面によって半分だけ隠されたその表情は楽しげに笑っている。
「一護の身体を乗っ取るなんて、許さないから」
とんっと軽い足取りで地面を蹴ったかと思えば、彼女は一護のすぐ前まで移動した。
刹那の間に目の前に現れた彼女はその手に持った刀を上部へと斬り上げる。
だが、彼女の攻撃は虚の仮面に一筋の傷を残しただけだった。
「中々やるじゃねぇか」
くっと持ち上げられた口角、そして細められる眼。
それが彼の心境を如実に表していた。
「どうも。さっさと一護に身体を返してくれない?今、大事な時なのよ」
「そいつは出来ねぇ相談だな!返して欲しけりゃ力でねじ伏せて見やがれ!」
相手として不足ではないと判断したのか、彼はいとも簡単に標的を紅へと変える。
「紅!下がっていろと言った筈だ」
「それは聞けません。一護じゃないなら…私は止める」
ただでさえどちらも傷ついて欲しくない人たちだ。
それでも、彼らの戦いを止めるわけには行かないとわかっているからこそ、その理性で止めていた。
だが、彼が彼でないならば自身を止める必要などない。
「お前に斬れるのか」
「…斬るつもりはありません」
そう言って紅は一護の顔を覆う仮面に眼を向ける。
睨むような鋭い視線は真っ直ぐにそれだけを捉えていた。
二人を引き裂くかのように、黒い斬撃がその間を貫く。
地面を抉り取って行くそれに、紅と白哉はほぼ同時に自身の足元を蹴って後方へと飛んだ。
深く傷を残す地面に目をやったのはほんの一瞬の事。
紅はすぐさま体勢を整えて迫りくる彼に向き直る。
「『天狼』!!」
枝分かれした刃が捕らえるよりも一瞬早く、彼の姿は視界から消えうせた。
軽く目を見開いた紅だが、背後の霊圧を感じ取ってその身を翻す。
その動きは本能に近しいものだった。
紅はザッと地面の上に足を滑らせてその身体が倒れこむのを何とか堪える。
彼女の死覇装は、その肩の部分が小さく引き裂け、内から鮮血を滲ませていた。
「遅ぇ!!」
眼前に迫る漆黒の刃。
だが、次に感じたのは首元を強く引かれる感覚だった。
「び、白哉さん…」
けほっと喉元を押さえて紅は彼の名を紡ぐ。
襟首を強く引いてその刃から彼女を救った白哉は、睨むように彼女を一瞥した。
「だから言ったのだ。莫迦者」
彼女が目の前の男を前に真の実力を発揮できるはずがない。
もしその身に危険が迫ったとすれば、身を賭してでも護るような存在なのだ。
それを理解している白哉は短く息を吐き出した。
彼の足元が赤く染まるが、これ以上紅を彼の前に立たせるつもりはない。
「白哉さ…っ!」
「下がれ。邪魔だ」
きっぱりと本人からそう告げられた紅は少なからず重い空気を背負う。
流石に尊敬する彼からのその言葉は、本心からではないとは言え痛かったらしい。
素直に斬魄刀の開放を解くと、彼女は自分の肩の止血に移る。
あのまま肩を貫くことも出来たはずの攻撃は、その腕を掠めるだけに留まっていた。
それに気づいた紅は二人の方へと視線を向ける。
砂塵に隠されていた二人の姿が露になり、そして一護が顔を覆う仮面に手をかけたところだった。
「…必死で…戦ってたんだね」
自身の身体を完全に明け渡したわけではなく、内からの抵抗を見せていたらしい。
やがて吼えるような声と共に仮面は完全に取り除かれた。
他ならない、一護自身の手によって。
「…悪りーな、邪魔が入っちまってよ…」
息を乱しながら、新たな血を流しながら。
それでも彼らしい表情はその顔から消えてはいなかった。
「…さァ、仕切り直しといこうぜ!」
拳を前に突き出すようにして握った斬月を地面に平行に構える。
彼の言葉がもたらした変化は、その場の空気だけに留まらなかった。
「――――良かろう」
穏やかな表情を浮かべ、白哉は彼の言葉に答える。
次が最後の一撃になると告げた彼に、一護は最後にもう一度だけと声を上げた。
「あんたは…どうしてルキアを助けねえんだ」
一護の問いかけに白哉は少しの沈黙をおき、口を開く。
「…兄が私を斃せたなら…その問いにも答えよう」
そして、二人の戦いは終焉を迎える。
06.03.03