Raison d'etre  sc.052

バシュンッと何かが弾ける音と共に紅の身体は後方へと飛ばされる。
背後の巨岩に背中を打ち付けそうになったが、その寸前に飛び込んできた影によって彼女は守られた。

『おら、ちゃんと集中しねぇからだ』

柔らかい毛並みが死覇装から伸びる腕に触れた。
直接脳内に響いてくるような低い声に、紅は「ごめん」と一言返す。
彼女の手には始解状態の天狼が握られていた。
鍔から伸びた無数の糸が力なく地面に流れている。
それを見て、彼女は僅かに弾んだ呼吸のままに溜め息を吐き出した。

「上手くいかない…」
『初めから何でも出来るわけねぇだろ』

練習あるのみだ、と天狼は彼女を立たせるとゆっくりと身体を動かしてくる。
ゆっくりとその場に腰を降ろす姿を見つつ、自身の手元へと視線を向ける紅。

「難しいね、さすがに」
『お前の馬鹿でかい霊圧を凝縮しなきゃなんねぇんだからな』
「わかってる。それだけ集中しなければならないって事よね」
『ああ。一瞬でも集中を欠けばさっきみたいに弾けるぜ』

天狼の言葉に紅は頷く。
そして一度その目を閉ざし、雑念と共に長い息を吐き出した。

「―――卍解」

紡ぐと同時に跳ね上がる自身の霊圧に、紅自身も背筋を走るような感覚を受ける。
ここからだ、と己に気合を篭めるようにして手の中にしっかりと感触を伝える柄を握り締める。
時間は刻一刻と迫ってきているのだから。

















卍解の能力の全てを凝縮することで、卍解最大戦力での超速戦闘を可能にした。
それが一護の斬魄刀の卍解だと白哉は悟る。
その言葉に紅は自身の刀を見下ろした。

今は一般的な刀を模したそれは、一護と似たような卍解を持っている。
それを思い出したのか、紅は僅かに表情を緩めた。
本当に三日の間に卍解を会得してしまった彼に、改めて感じる。
その心の強さと、それを実現させた夜一の大きさを。

「…?」

不意に、紅は戦いから視線を逸らす。
先程白哉に言われたように、ある程度の意識は残したままに後方を振り向いた。

「3、4…5人とやちるさん…か」

呟く声は誰かに届くような大きな物ではなかった。
背後にある白い枯木の向こうに、6人分のそれを感じ取った紅は考えるように口を閉ざす。
邪魔をするつもりなら容赦なく斬り捨てるつもりで刀に手をかけた紅。
しかし、数とその霊圧から察するに一護の連れて来た旅禍だと言う事に気づく。
考えるように沈黙した後、紅は音もなくその場から瞬時に掻き消えた。















「朽木さんは黒崎くんの――――世界を変えた人だから」

耳に届いた声に、紅は一瞬だけ躊躇いを見せた。
その一瞬のおかげで彼女が気づく。

「紅ちゃん」

やちるの声に一斉に振り向く彼ら。
ザッと地面をならして紅は彼らの前に立った。

「どうも、やちるさん。彼らを連れて来てくれたんですね」
「んー…途中までだったけどね。紅ちゃんは行かなくてもよかったの?」
「…彼女には優秀な部下がついていますから」

そう答えながらルキアを護ってくれと頼んだ彼を脳裏に浮かべる。
優秀と言うが一番的確に彼を表現出来るように思えた。

「霧ちゃんか…なら安心だね」

にこりと笑ったやちるにそうですね、と紅も微笑みを返す。
そうして彼女から視線を逸らすと、呆気に取られた様子で自分を見つめる彼らに向ける。

「ぜ、零番隊長!?」

ひぃ、と後ずさる死覇装に身を包んだ一人に、彼は死神なのだなと気づく。
怯えた表情を見せるのは、旅禍に加担した自分を斬り捨てると思ったからなのだろう。
そんな彼に何かを言うでもなく紅は旅禍に向き直った。

「初めまして…と言うべきでしょうね。
今彼が言っていましたけど…零番隊の隊長を務めます雪耶と申します」

風の所為で頬に掛かってきた髪を払いながら紅はそう言った。
ザリッと地面をする音のした方に目を向ければ、見覚えのある少女が一歩前に出て来ている。
彼女は少し躊躇うように視線を彷徨わせた後、ゆっくりと口を開いた。

「雪耶………紅、ちゃん?」

教えていない名前で呼ばれた事に、紅は僅かながら驚いた。
だが、すぐに先程やちるが自分を呼んだ事を思い出す。

「ええ。………何か言いたいことでも?」

頷いた自分に、また一歩近づいた彼女に紅は首を傾げて尋ねる。

「黒崎くんの、幼馴染だった?」
「…彼から聞いた…って事はないわよね」

一護は自分の事を色々と話すような人物ではない。
それをわかっている紅は質問として吐き出す前に自己完結を済ませる。

「たつきちゃんから聞いたの!黒崎くんとたつきちゃんには幼馴染がいたって」
「あぁ…。たつき、ね。懐かしい名前だわ」

こちらに来てからと言うもの、一護の事を思った事はあっても彼女を思い出した事は片手の指でも余る。
決して思い出すのが嫌だったのではなく、ただ彼の存在が大きすぎただけ。

「あのね。たつきちゃんに話を聞いてから、ずっと話してみたいと思ってたの。だから…」
「…井上さん」

僅かに声を荒らげ、黒髪にメガネをかけた男性が彼女を止める。
なるほど、彼女は井上と言う姓を持つらしいと紅は思う。

「馴れ合うべきではないと、僕は思う」

彼の視線に、紅はその内に潜めた思いを悟る。
垣間見えた憎悪は死神そのものに向けられた物だろう。

「…滅却師が居ると聞いたけれど…あなたね」
「それがどうした?」

滅却師、と言う単語が出るなり彼の目付きが変わる。

「敵意剥き出しの視線を向けるのは大いに結構だけど…時と場合と相手は考えるべきじゃない?」

突如、紅の姿が消えたかと思えば背後からその声が届く。
驚愕に表情を染めたまま、彼は跳ぶようにして紅から距離を取った。

「隊長一人を何とか退けたくらいであまりいい気にならないでね。彼なら私でも勝て…」

彼女の言葉は最後まで紡がれる事はなかった。
それを止めたのは、その背後から彼女の肩に手を乗せる人物が居たから。
わかっていたけれど、紅が避けない程に信頼を置く人物。

「チャド…久しいわね」
「ああ。………紅、お前が悪者になる事はない」

口数少ない彼はそれ以上細かく話しはしなかったが、それだけで彼の心中を悟るには十分だった。
その言葉に紅は苦笑を浮かべる。

「…相変わらず何でもお見通しね」
「茶渡くんとも知り合い?」
「中学が同じ」

井上こと織姫の言葉に紅はそちらに視線を向けるでもなく答える。
チャドによって突然会話を中断された彼、雨竜は消化不良のような表情を浮かべていた。
そんな彼に紅が正面から視線を向ける。

「滅却師の事は私も耳にした。そのことで死神を憎むのは当然の事だと思う。
だから…憎まれたとしても私は構わないわ」

憎しみを糧にするしか生きていけない人だっているのだ。
そうすることで彼が前に進めるのならば自分が悪役でも構わないと思った。
その考えはチャドの止めによって意味をなくしてしまったが。

「…すまなかった…僕が考え無しだった」

紅の言葉に偽りがないと判断したのか、彼は素直に頭を下げた。
別に謝罪が欲しいわけではない、と紅は静かに言う。

「目的を見誤った同胞が居るってことは…新参者だけれど、私も申し訳なく思う」
「君が気にするようなことじゃない」

慌てて首を振る雨竜に、紅は漸くその表情に笑みを戻した。
その柔らかい笑顔に彼の頬に朱が走る。

「紅ちゃんはどうしてここに?」
「一護の仲間がどんな人たちなのかを知りたかったから」

答えると同時に紅は旅禍全員に向き直る。
そして、深く腰を折った。

「ルキアを助けに来てくれてありがとう。親友として、あなた達にお礼が言いたかった」
「朽木さんが…親友?」
「ええ。ルキアは私の大事な親友なの。こんな所まで来てくれたことだけでも嬉しい」

織姫に頷きと共にそう返して紅は全員に向かって微笑む。
彼女にとって、自分よりも更に付き合いの短い彼らが行動を起こしてくれた事は本当に嬉しかったのだ。
心からの笑顔に、織姫を初めとする彼らは表情穏やかに頷いた。

06.01.23