Raison d'etre sc.051
「まさか…」
樋渡は見た物を信じられないと言う風に首を振る。
しかし、視覚が映すのは確かな事実だった。
「おや、こんな所に来る死神が居るとは…驚いたな…」
彼はその優しい笑みを浮かべ、ゆっくりと身体を反転させた。
そして、そのまま樋渡の方へと歩き出す。
「君の情報網を侮っていたよ。護廷十三隊、零番隊第三席副官補佐…樋渡透くん」
「どうして…あなたがここに…!だって…あなたは…っ!!」
「居ても不思議ではないだろう?」
縮まっていく距離に比例して、彼女の中に本能的な恐怖が音を立てて膨れ上がっていく。
ジリ…と右脚が一歩下がった。
「君の能力は僕も買っていたんだが…残念だ」
とてもそう思っているとは見えない表情で彼はそう言った。
抜き身の刀が、樋渡の方へと向けられる。
「――――っく!」
床を破壊するようにして蹴り、樋渡は踵を返す。
そのまま全力でその場から走り去る彼女の脳裏にあるのはただ一つ。
「隊長に知らせないと…!」
「それは困るな」
まるで追うように聞こえた声に、樋渡は背中が粟立つのを感じた。
振り向いた眼に映ったのは、血も凍るような笑みと白銀の刃。
視界に血が舞う。
肩から脇腹にかけて焼かれるような痛み。
自分の鼓動に合わせてドクッと溢れ出す鮮血。
「た、い…ちょ…」
その場に崩れ落ちた彼女を見下ろす彼。
キンッと鯉口を鳴らして刀を納め、彼女を見下ろす眼は酷く冷たかった。
「雪耶には僕が直接伝えてあげるよ。…彼女が真実に気づいた、その時にね…」
「!」
紅は突然振り向いた。
まるで何かに反応したかのように。
しかし、そこに広がるのは所々瀞霊廷の風景のみ。
それを見たとしても、紅は今感じたものが気のせいだとは思えなかった。
「誰かに…呼ばれた…?」
虫の知らせ、と言うのはこう言う事をいうのだろうか。
漠然とした不安が紅の内部をじわじわと支配していく。
死覇装の胸元を掻き抱き、彼女は視線を落とした。
――気のせいであればいい。
そう思いながらも、自身の魂はそうではないと訴えていた。
その時。
肌を刺すような霊圧を受け、紅の意識は思考の海から浮上する。
ギィンと刀同士のぶつかり合う音が響くが、それよりも例の霊圧の事が気になる。
「…旧市街跡の方…?」
ゴォッと上がった焔を見て、その場に居るのが誰であるかを悟る。
「山本総隊長…」
戦いの傍にありながら注意力を欠いたのがいけなかった。
一護の霊圧が揺れ、それに気づいた頃には時すでに遅し。
振り向いた眼に映ったのは、地を裂きながら迫り来る斬撃だった。
驚いたのは彼女だけではない。
「…紅!!」
自身の撃ったそれが彼女を目指している。
それに気づいた一護が声を張り上げた。
「…っ!」
咄嗟に身体を動かそうとした紅。
だが、それよりも早く、己の腕を引かれるのを感じた。
砂塵が、彼女を救った人物ごと二人を包み込む。
「何度集中を欠くなと言えばわかるのだ、お前は…」
呆れたような声に、紅はピクリと肩を揺らす。
腕を取られるままに移動した彼女は、半ば背後から抱きこまれるようにして斬撃を逃れていた。
「す、すみません…」
「自分の身すらも護れぬならさっさとどこかへ消えろ。邪魔だ」
するりと彼女の腕を解き、白哉は彼女を見下ろしながらそう言った。
己の腕を掴んでいた彼の左手が赤い筋を作っているのを紅は見逃さない。
「どうするのだ」
「…大丈夫です」
そう言って紅は頷く。
目を閉じ、集中するように溜め息を一つだけ吐き出した。
そして、ゆっくりと視界を開いていく。
「自分の身は、護ります」
「…ならば、次はない」
彼女の変化をしかと見届け、白哉は彼女の背を向けて歩き出す。
その頃、漸く我に返った一護は慌てて口を開いた。
「危ねぇだろうが!何でそんな所に居るんだよ!!」
「ご、ごめんって…」
「ったく…冗談じゃねぇぞ…。巻き込みたくねぇんだから離れてろよ」
厄介者でも払うような仕草を見せるが、そこに確かな意図を感じる。
苦笑して頷き、紅は瞬く間に斬撃の届かない位置まで移動した。
「…仕切りなおしだ!」
一護は声と共に地面を蹴った。
彼女に背中を向けていたはずの白哉がその存在に気づいていた。
面と向かっていたはずの自分は、それを知らずに斬撃を撃った。
その差がどうしようもなく、一護の内に波を立てる。
下手をすれば彼女を斬っていたと言う事実が、今更になって一護の背中に冷たい物を這わせた。
あの躯が冷たく、あの表情が硬く。
その変化をこの眼で見なければならないところだった。
「…お前にこんな事言うのは癪だけどよ………ありがとう」
釈然としないながらも、一護はそう言った。
その言葉に白哉はほんの少しだけ目を瞠るが、その表情の変化は一瞬の事。
「………貴様の為に助けたわけではない」
すぐに平静を取り戻すと、彼は静かに答える。
「っは!その方があんたらしいな」
そう言って口角を持ち上げ、一護は足を踏みしめた。
「仕切りなおしだ!」
そうして彼は力強く、地面を蹴る。
「卍解」
白哉の唇が静かにそう紡ぐ。
それに、より大きく反応したのは紅だった。
止めたいけれども、止めるわけにはいかない。
「『千本桜景厳』」
彼の背に現れた数十もの刀身が、全て弾け飛んだ。
まるで桜の花吹雪のようなそれが一護に向かう。
蝶の形を模して群れる霽月の卍解とは似て非なるもの。
一つの塊の様な数百、数千の刃を押し止め、一護は斬撃を飛ばす。
彼はそれを『月牙天衝』と呼んでいた。
だが、先程は白哉の左腕を掠めたそれも今は髪一筋傷付ける事はない。
その斬撃全てを無数の刃が受け止め、更には一護を目指す。
「…千本桜の真髄は、数億に及ぶ刃による死角皆無の完全なる全方位攻撃だ」
千本桜の刃によって地面が大きく掘れる。
その中心で、一護はその身を赤く染めながら地に伏していた。
呼吸を乱しながらも、彼は口角を持ち上げつつ身体を起こしていく。
「こっちだけ始解のままで…卍解に勝とうなんてのがナメた話だ…」
一護の言葉に白哉の視線が彼の方へと固定される。
「…言葉に気をつけろ、小僧。まるで貴様が、卍解に至っていると言っているように聞こえる」
白哉の言葉を聞きながらも一護はその身を立ち上がらせた。
そして、口元の笑みを挑発めいた物へと深めながら言う。
「…ああ。…そう言ってんだよ、朽木白哉!」
一護の霊圧が階段を駆け上るかのように上昇していく。
少し離れている紅にも、その変化は十分に感じ取れた。
06.01.01