Raison d'etre  sc.048

「双極を、解放せよ」

矛を封印していたものが取り払われる。
命を持たぬはずのそれが、何故か睨むように己の上に圧し掛かっているかのような錯覚を起こした。
ただ静かに双極の矛を見つめるルキア。
彼女の目に映らぬ迷いや戸惑いが、紅の目の奥で揺れた。

「…隊長…」

案ずるように潜めた声が届く。
紅は隣に立つ霧渡に口元を持ち上げて見せると、再びルキアの方へと視線を戻した。
白哉に向かって紡がれた彼女の小さな声は、きっと彼自身にも届いているのだろう。
磔架の上部へとルキアの身体が持ち上げられるなり、矛が前触れも無く火を纏う。
焔に己の身を包み込んだ矛はルキアを追うように自身を宙へと捧げた。

「焔が包んで…形を変えていく…!」

驚く隊長らを下に見て、矛はその姿を変化させていった。
やがて焔が作り出したのはその化身のように美しい鳥。
見上げた視界の殆どを埋め尽くすほどの大きさのそれに思わず唇を引き締める。
総隊長がその場の全員に説明するようにそれの名を紡ぐが、紅の頭にその名が留まる事はなかった。

「彼が罪人を貫くことで極刑は終わる」

その言葉だけが紅の脳裏を占める。
焔の明るさからか、紅の影がくっきりと地面を染め上げた。
今この影を蹴って彼女の身体を繋ぐそれから引き離す事が出来れば、どれほど嬉しいのだろうか。
ほんの少しの油断で、己の内に燻る本心が建て前と言う名の自尊心を根こそぎ引き抜いてしまいそうだった。

――待つ。そう決めたのだ。他の誰でもない、彼を。

「さよなら」

そう言ってルキアは一筋の涙を。
紅は握り締めた手から一筋の血を流した。



















「よう」

場違いな挨拶の声をあげ、彼はその口角を吊り上げる。
背中へ担ぐようにして握る斬月一つで、彼は双極を押し止めていた。

「莫迦者!!何故また来たのだ!!!」

行き成り声を荒らげるルキアに、一護は調子を崩すように不満げな声を上げた。
しかし、彼女は躊躇う事なく続きを言い放つ。

「私はもう覚悟を決めたのだ!!助けなど要らぬ!!」
「私も、覚悟を決めたよ?」

背後から聞こえた声に、ルキアはビクリと肩を揺らして振り返る事の出来ぬ身体を無理に反転させようとした。
風に揺れる漆黒が視界に入り、次には三本の斬魄刀。

「紅!?お前まで…っ!!」
「一護、私の合図で身体を倒して。それまで…双極を止めていて」

動けぬ身をこれほどもどかしいと思った事はなかった。
助けられるはずの本人を差し置いて話を進める二人に、ルキアはギリッと唇を噛み締める。

――最後の願いとして彼らの無事を願ったと言うのに、何故見届けてくれない!?

答えがわかりきっているとしても、それを脳裏で反芻せずにはいられなかった。

「いけるのか?」
「そっちこそ」

ふっとお互いに口元を歪める。
そして、紅は己の腰に挿した斬魄刀の鯉口を鳴らした。
白銀に輝く刀身を露にしていくそれの柄を見やり、ルキアは口を噤む。
その刀の名前だけは知っている。

「―――卍解」

紅の唇が、確かにそれを紡いだ。

「夢幻胡蝶霽月」

キィンッと霽月が弾け飛ぶ。
それはまるで蝶が群れを成して空へと舞うようだった。
紅は霽月の鍔と同じ模様の入った腕輪を絡め、その手をスッと前へと差し出す。
それに従うように、不明瞭で視界に捕らえることが困難な蝶が一様に一護の背後へと向かっていった。
負けじと鳴き声を上げ、極刑最終執行者は一護の背から距離を取る。

「一護!」

紅の声に反応して一護が身体を折った。
先程まで彼の頭があった部分を目に見えぬ蝶の群が過ぎてゆく。
それらが移動している部分のみ、背景が歪んで見えた。
焔の化身へそれらが衝突する。

「…な…莫迦な…双極の矛が…」
「止まった?」

ルキアと一護が交互に声を発する。
今しも一護の背へとその身をぶつけようとしていた彼は、まるでその場所だけ時が止まったように動かない。

「霽月は空間を切断する能力を有する。卍解においてはその能力は支配まで増幅されるわ。
卍解した彼女からは何人も逃れる事は出来ない」

空間そのものを支配し、その場へと留める事で彼の時を止める。
落とした視線に、浮竹が到着したのが見えた。

「壊してください!」

彼らに届くようにと声を張り上げる。
承知しているとばかりに頷く彼らを見て、紅は視線を戻す。
己を睨むように見据える焔の化身を、美しいとさえ思った。

「その身で瑣迅も貫いたのね…」

零した声が届いたのはすぐ前に居たルキアだけだった。
そして、双極の矛は浮竹と京楽の手によって破壊される。















ザッと音を立てて磔架の上へと降り立った一護。
彼は斬月を頭上で大きく回しながら隣に立つ紅へと視線を向けた。

「離れてろよ。巻きこまれるぞ」
「わかってるわ。“解”」

紅の声が言霊の如く役割を果たし、霽月は彼女の手の内へと戻る。
刀を鞘へと納め、紅は一護から距離を取った。

「何をする気だ一護!?」
「決まってんだろ。壊すんだよ、この処刑台を!」
「な…。よ…止せ!!それは無茶だ!!紅も知っておるだろう!!止めろ!!」

今度は紅の方を向きながら一護を止めろと声を上げるルキア。
先程から怒鳴られてばかりだな、と思いながらも紅は首を振った。

「一護が止まれば私がやる。結果は変わらないわよ」
「――――っ頑固者が!!いいか!聞くのだ一護!!この双極の磔架は…」

二人のうち、どちらもルキアの思うようには動かない。
動けない身体を歯痒く思いながら彼女は声を荒らげる。
しかし、そんな彼女の声を遮ったのは一護だった。

「いいから、黙って見てろ」

彼の声なのかと問いたくなるような、真剣で…それでいて強い声だった。
振り回していた斬月を両手で握り締め、彼はその切っ先を垂直に落とす。
全てを貫くような斬撃が磔架の下まで届いた。
土煙に彼女らの視界は一時その役目を失う。















「…助けるなとか帰れとか…ゴチャゴチャうるせーんだよ、テメーは。
言ったろ。テメーの意見は全部却下だってよ」

パラパラと磔架の名残が舞い落ちる中、一護の声のみが届く。
磔架の中ほどで完璧に引き離された紅。
砂塵舞う視界の中に、一護とルキアの姿を捉えた。

「二度目だな。…今度こそだ」

ルキアを脇に抱え、肩に斬月を負った一護。

「助けに来たぜ、ルキア」

彼ははっきりとその言葉を紡いだ。


「…礼など…言わぬぞ……莫迦者…」

涙を滲ませてそう言ったルキアに、一護はふと表情を緩めた。
彼女の言葉に短く答え、そして下からの睨むような視線に目を向ける。

そして最終的に磔架の傍らに立つ紅へと視線を固定させた。

「いいんだな?」
「後悔はないわ。思うように…自由に生きるのも悪くは無い」

過去に彼との間で結ばれた約束を持ち出す紅に、一護は肩を竦めた。
それ以上問うことはない、とばかりに彼は口元に笑みを刻む。
一護は彼女に向けた笑みを最後と言う風に唇を引き締める。
真剣さを取り戻した眼に映るのは、幾度と無く己の刀が打ち負けた人物。
白哉と対峙しながら、一護は斬月を担ぎなおした。

05.12.03