Raison d'etre sc.044
人通りの無い廊下で、紅は見慣れた背中を目にする。
そして、彼が肩で息を付いている事に気づくとその名を呼びながら歩み寄った。
「四番隊を呼びましょうか?」
紅がこの廊下を進んでいたのは本当に偶然だった。
苦しそうに胸の死覇装を握り締める浮竹に声をかける。
一瞬驚いたように見開かれた目に、紅の姿が映った。
「あぁ。心配かけてすまない」
「いいえ。無理なさらないでくださいね」
苦笑にも似た笑みを浮かべて、紅は彼の横に立った。
浮竹の体調を案じながらも、彼女の思考はこの場を去った人物の元へと注がれている。
それを感じ取ったのか、浮竹が声を上げた。
「雪耶。朽木の所に行ってくれ」
「浮竹さん…?」
「今、届くとしたら…お前の声だけだ」
彼の言葉に目を見開いた紅だったが、すぐに困ったような表情を浮かべる。
「いいえ。届きません。届いても……あの人はそれを受け入れられない」
受け入れないのではなく、受け入れられない。
似ているようで決して同じではない。
しないのではなく、出来ないのだから。
「家と言うのは重いですね、浮竹さん」
「雪耶…」
彼の呟きは紅の耳にも届いていた。
それににこりと微笑み返し、紅は歩き出す。
「どうしても体調が優れないようでしたら四番隊のお世話になってくださいね。無理は禁物ですよ」
それだけを言い残すと、彼女は一陣の風を残してその場から去った。
「白哉さん」
今日はよく呼び止められる日だ、と白哉は思った。
しかし、この声を無視することなど出来はしない。
彼女から紡がれる言葉は自分を責めるものであるか。
もしくは―――
「紅か」
「…大丈夫ですか?」
紅はそう問いかけた。
彼の正面に立ち、真っ直ぐに彼を見据えて。
「その言葉は浮竹にでもかけて来い」
「私は貴方に聞いているんです、白哉さん」
「………体調に不良な部分は見当たらない」
溜め息混じりの答えに、紅は首を振った。
「体調ではなく―――。あなたの心は大丈夫なのですか?」
その言葉に白哉は目を見開く。
他人にはわからない程度のほんの小さな変化だったが。
「………出来れば押し潰される前に、私に話してください」
白哉から視線を逸らし、そこから見える瀞霊廷の風景に目を向けながら紅は言った。
彼も紅と同じ物を見るように視線を移動させる。
「あなたと比べるのも烏滸がましいですけど…力を得ることが出来ました。私は白哉さんの役に立ちたいんです」
必要ない。
そう切り捨てられることも覚悟していた。
しかし、返って来たのは別の言葉。
「……お前は瑣迅とよく似ている」
「……………他の人にも言われましたよ。“瑣迅と同じ眼をする”と」
「ああ、同じだ。その眼差しも、信念も」
一瞬懐かしむように細められた白哉の目。
それに気づいた紅は口を噤んだ。
「雪耶は決してお前の負担にはならぬだろう。あの男がそうした」
その言葉を聞き、紅は思った。
この人は何故こうも優しいのだろうか、と。
ルキアを非情に切り捨てることが出来ず、誰に語るでもなく心の奥にその戸惑いを潜め。
表には掟を重んじる当主としての姿を見せていた。
辛くないはずがない、と紅は思う。
それなのに、彼は紅を案じた。
自分と同じように家と言う名に囚われないように。
「優しすぎますよ…白哉さん…」
泣いてしまいたいと叫ぶ瞼を閉じ、紅は立ち尽くす。
深く息を吐くと、身体を反転させて彼と向き直った。
「ルキアは助けます。何があろうとも」
「……止める」
「ええ。わかっています。あなたが私を止めにくると言うなら……私があなたを止めます」
紅の言葉は真っ直ぐ彼に届く。
白哉はそれ以上何も言わず歩を進めだした。
彼女も彼を止める事はない。
「白哉さんの代わりに…私が止めます」
その背中が見えなくなった時、紅は静かに呟いた。
「明日の処刑前に、一護達全員を無事現世に帰してくれるよう請うてみよう…。
朽木家の罪人だ。それ位の我儘は通るかも知れぬ…」
何もない無機質な部屋の中で、ルキアはただ一人呟く。
ゆっくりと目を閉ざし、彼女は続けた。
「紅に…謝れなかった事が惜しいな…。本当に無理をさせた…」
ルキアの唇がそう紡ぐと同時に、部屋の中に鈍い音が轟く。
「何に対して謝ってくれるのか、私にはさっぱりだけどね」
驚きに顔を上げた彼女の眼に映ったのは、栗色の髪を後ろで纏めた女の死神。
それが誰だかわからないはずもない。
「雪耶隊長ぉ…もしバレたら小言では済まないんですよ?」
「責任は私が取ると言っているでしょう。それに…あなたは何も見ていないわ。わかった?」
にっこりと笑みを浮かべて隣に立つ死神の肩を掴む。
コクコクと頷くのを見て、彼女は「じゃ、さっさと持ち場にどうぞ」と言って彼を追いやった。
その姿、気配共に完全に消え去るのを見て、彼女は扉を閉ざす。
「さて…。何だか一日の間に色んなことが起こり過ぎて…凄く久しぶりに感じるわね、ルキア」
先程とは違う笑みを浮かべてそう言った彼女、紅にルキアはハッと我に返る。
「………お、おぬしは何をやっておるのだ!!馬鹿者!!またこんな事をしおって…っ!!」
「うるさいわねー…。少し黙ってよ」
ヒラヒラと手を揺らして悪びれた様子を見せぬ紅。
ルキアは頭痛を覚えた。
「まったく…。ふざけた事を…」
口ではそう言いながらも、ルキアは苦笑に似た笑みを浮かべている。
そんな彼女の内心はわかっている、とばかりに紅は微笑んだ。
「最期の挨拶をしに来たの」
「紅…?」
「もう、言葉を交わす時間なんて残されていないだろうから」
真剣な目をして、紅はそう言った。
その言葉はルキアの処刑を享受しているもの。
二人の間に短く…長い沈黙が訪れた。
05.09.08
Rewrite 05.11.22