Raison d'etre  sc.043

時折視界の中で自然破壊なのでは、と思えるような光景が見える中、紅は腕を組んでその場に留まっていた。

「一護の卍解は間に合いますか?」

自分よりも大きな岩の上に腰を下ろし、片足を抱え込むようにして紅は問う。
その岩に背中を預けたまま、夜一はただ一言答えた。

「わからぬ」
「…もし、間に合わないようでしたら私が行きます」

そう言う紅の表情を盗み見る夜一。
一点の曇りもなく、真っ直ぐに一護を見つめる彼女の眼。
その眼を見て、夜一はふっと口角を持ち上げた。

「お前は瑣迅と同じ眼をするのだな」

その言葉に驚いたのは紅だった。
だが、それも一瞬の事ですぐに表情を戻す。

「そうか…。あなたならご存知でしょうね…」
「ああ。瑣迅は良き友人だった」
「……はっきり言うと、実感ないんです」

抱え込んだ膝に口を埋めるようにして紅は呟く。
その声は先程のようなはっきりとした物ではなく、酷く儚げであった。

「霽月に聞いたばかりで………受け入れるにはあまりに時間が少ない」
「……それも当然じゃ」
「それでも、受け入れます。護るべき者の為にこの力を使えるから」

寧ろ感謝しています、と紅は強く手を握り締める。
強固な意志を表すかのように限りなく深く澄んだ眼差し。
腰に挿した刀が、彼女の意志に共鳴したかのように感じた。
きっと、それは気のせいではないだろう。

「…おぬしがその背に負う物も…きっと定めなのだろうな」

白い羽織に刻まれた『零』の字。
この字を一番初めに負った人物を、夜一は知っている。
漆黒の髪を持つ、若い男の死神であった。

「一護には話したか?」
「……悩ませるのは全てが終わってからでも間に合いますから」

暗に『話していない』と告げる紅。
彼女は苦笑交じりにそう答えた。

「ルキアが無事に助かったなら、私はいくらでも彼の質問に答えましょう。そして、自らの事も話します」

ギィンと刀が鳴る音が響く。
その後に聞こえるのは岩を裂く落下音。
中ほどで折れてしまったそれを放り投げ、一護は別の刀を取る。
彼の動きに迷いや戸惑いなど微塵も感じられなかった。

「今は彼の力が必要です。まだ…私もこの力を完全に自分の物に出来たわけではありませんから…」
「おぬしが得た力は強大じゃ。矛先を見誤れば自らを滅ぼすぞ」
「…ええ。私もそう思います。大きすぎて、一人では抱えきれなくて…だから―――」

―――彼に会いたくなった。

不安だった時、俯いて歩みを止めた時。
苦笑を浮かべて…僅かながら面倒だと言う表情を浮かべて、それでも手を差し伸べてくれた彼。
離れていた間にも決して忘れられなかったその優しさに縋りつきたくなった。

「私は…弱い」

小さな呟きと共に、紅は岩を蹴った。

「紅」

ふわりと地に降り立つ彼女の髪が揺れる。
その背中に、夜一が彼女の名前を呼びかけた。
一瞬驚いたように目を見開いた紅は彼女を振り向く。

「己を弱いと知っておる者は強くなれる。弱く在らぬよう、努力すればよいのだからな」

数センチの段差を飛び越えるように、彼女はいとも簡単にそれを言ってのけた。

「強く在ろうとする者は、それだけで強いのじゃ。おぬしにはその気持ちがある」

それだけで十分だ、と言う夜一の言葉に、紅は胸の痞えが取れたような気がした。
例えようも無い安堵が紅の内を埋め尽くす。

「…ありがとうございます」

素直に零れた笑顔に、夜一は脳裏を過ぎる笑顔を重ね合わせた。
副官章を腕に付け、零を背負う男の隣で、女は紅と同じ笑顔を浮かべる。
昨日の事のように思い出すには少しばかり時が経ちすぎているが、それでも鮮明な記憶だった。

「先に行きます。一護を…頼みますね」

そう言って彼女の答えを待たずに歩き出す紅。
しかし、数歩進んだ所で彼女は足を止めた。
刀同士が弾きあう音がその場に木霊する。

「一護!待ってるから!!」

その背に声を上げれば、彼はこちらを振り返る事なく答えた。

「ああ」

迷いのない声。
自然と緩んだ頬を隠そうともせず、紅は再び歩を進める。

「待ってるからね…」

背中を向け合った二人を繋ぐ、目には見えない信頼の糸。
ぴんと張ったそれは決して切れる事なく、彼らを繋ぐ。
雑念を振り払うようにただ一度首を振ると、紅は出口に向かって地面を蹴った。















「隊長!」

廊下を進む紅の背に声がかかる。
声だけでその主を判断する事は簡単だが、彼女は立ち止まって振り返った。

「どうしたの?霧渡」
「地獄蝶はすでに来ましたか!?」
「…?暫く見ていないわ」

彼の言葉に首を傾げるようにして答える紅。
しかし、ふと頭の中を最悪のシナリオが掠めた。

「まさか…」
「ええ、そのまさかです。処刑の日程が変更されました」
「………いつ?」
「刑の執行は明日の正午です」

紅の目が見開かれる。
だが、すぐに考えるように目を伏せた。

「……日番谷隊長より言付けを預かっています」
「聞くわ」
「日番谷隊長は処刑を止めに行く、と。そう伝えてくれと頼まれました」

それを聞くなり、持ち上げていた視線を再び下に落す。
暫し考え込んだ後、紅は顔を上げた。

「ありがとう」
「……彼を追わないんですか?」
「ええ。正確に言うと“今すぐには”だけど。…いずれ追うわ」
「俺は何を?」
「………好きなように動けばいいわ。ただし…明日の正午には私の共に」
「わかりました」

それだけを告げると紅はクルリと踵を返した。











「明日だなんて……時間がない。一護に知らせないと…」

早足で歩を進めながら紅はそう呟いた。
しかし、ふと足の速度を落す。

――知らせてどうなる?

そんな疑問が紅の脳裏を過ぎった。

「……一護ならそれくらいで焦ったりしない」

ふっと口元に笑みを携え、小さく見える双極を視界に捉えた。
彼ならその事実を聞いてどう反応するのだろう?

「一護ならきっと…」

確信にも似たそれで、強く紡ぐ。

「“今日中に片付けりゃいいだけの話だ!!!”」

聞こえぬはずの彼の声が重なったような気がした。

05.08.18
Rewrite 05.11.21