Raison d'etre  sc.030

死覇装をなびかせて、紅はふわりとその通路に降り立った。
いつも遠くから見つめるだけであったその建物を見上げる。
紅が降り立ったのに反応して、二人の護衛がその場に駆けつけてきた。

「ぜ、零番隊長!?」
「ここを通るわ」
「はっ!!」

ただ一文字、零と書かれた羽織を見て、表情を変える護衛二人。
半ば固まった状態の二人の横を、内心苦笑を浮かべながらすり抜けると、紅は建物の前に立つ。
胸元を少しだけ緩めると、紅はそこから自分の手よりも大きい鍵を取り出した。
罪人の管理も担う事がある零番隊である。
牢錠の鍵を持ち出すなど、造作もない事だった。

「バレたら…お咎めね」

すでに先ほどの護衛は元の位置へと戻って、その場に他の者の気配はない。
自嘲の笑みを零すと、紅は入り口の前に跪いた。

ゴゴゴ…と低い音を立てて、その入り口を開いていく。
ルキアは開かれた扉に驚きを隠せなかった。
そして、入ってきた人物にも。

「本当に何にもない部屋ねー…。退屈が人を殺せるって知らないのかしら」
「……っ紅!?な、何故ここに…っ!!」

開いていた扉だったが、紅が中へ入ると再びその口を閉ざした。

「お前も出れんではないか!!」
「や、別に出る必要ないし…出る時は簡単に出れるし」

ひらひらと手を振って、何の問題もないと笑う紅。
ルキアは頭を抱え込んだ。

「まったく…お前という奴は…っ!!」
「ルキア、ごめんね」

呆れるルキアを他所に、紅は微笑んだ。
一瞬、呆気に取られたように言葉を失うルキア。

「力がなくて、ごめん。助けられなくて、ごめん。………一人にして…ごめん…」

紅はルキアを抱きしめた。
いくらか細くなった身体に、紅は唇を噛む。
溢れそうになる涙を堪えて、続けた。

「一護に、会ったよ…」
「っ…アイツは無事か?」
「更木さんと戦った。死にはしないわ。大丈夫……ルキアを助けに来てくれる」

そう言うと、紅はその身体を離した。
微笑を浮かべて、ルキアの手を握る。

「ここからは私が出してあげる。近くに一護の仲間の霊圧を感じたから…その人たちの所に行くまでは、私が守るわ」
「な、何を言っているのだ…紅…」
「一護もちゃんと回復してくれる。そうなれば、あなたは逃げられるわ」
「紅!!よく考えろっ!!今私の逃亡に手を貸して……お前はどうなるのだ!!」

ルキアは必死で紅の死覇装を掴んだ。
だが、紅はその笑みを崩さない。

「逃げて。それが……私の望みだから」
「一護はどうなる!!まだお前を忘れていないっ!!」

あれほど紅が拒んだ一護の事を、ルキアはその口に出した。
そうしなければ、彼女は止まらないと思ったから。

「私だって、忘れてないよ」
「ならっ…」
「だって、“約束”だもの。忘れないって。一護と、私の」

思い出すように、紅は目を細める。

「忘れない。でも、お互いの自由に生きるの。それが、彼と交わした最後の約束」

あの時の、沈み行く夕日を忘れた日はなかった。
あの日を、忘れた日は…なかった。
それだけに、鮮明に残る記憶。
お互いに囚われず、自由に生きる。
これが、最後に交わした約束だった。

「囚われずに、って言うのは守れてないかもしれないけど…だからこそ、私は自由に生きる。
自分のしたいように…。ルキア、私はあなたを助けるよ」

例え、この身に代えたとしても。
口に出す事はなかったが、紅は心の中でそう付け足した。

「しかしっ!!」
「あー…もう。いい加減にしないと、無理やり連れて行くわよ?」

にっこりと笑ってそう告げる紅。
ルキアにそれ以上止める術はなかった。
諦めたように視線を落すと、ルキアは小さく話し始めた。

「一護は、今でも紅を忘れずに……望んでいる」
「…そう…」

ルキアの言葉に、紅は表情が読まれないように視線を落として頷く。

「紅はアイツに手を差し伸べられた時、どうするのだ?」

悲しげな表情で、ルキアがそう問うた。

「私がその手を取るには……きっと、遅すぎる」

自分の手を握り締めて、紅はそう答えた。

「そう、望んだ時もあったわ」
「今は……それを望まないのか?」
「………望んでいないといえば、嘘になる」

ルキアにそう聞かれ、紅は困ったように微笑んだ。
いつだって、あの場所に…彼の隣に戻る事が出来ればと思っているのだから。

「でもね、もう…一護と私の時間は決して交わらないんだって。…解ってるの」

言葉を失うルキアに、紅は続けた。

「正直言うと…その場になったら、きっと駆け出してしまうと思う。切り捨てられるほど…私、大人じゃないから」
「紅…」
「自分が隊長だとか、彼は生きてるんだとか…。その全てを忘れてしまいたくなるの」

全てを忘れる事が出来れば、彼の元に戻る事が出来るのだろうかと。
何度そう思ったかわからない。
そして、その度に思うのだ。
過ぎた時間は決して戻らないのだと。

「だから…今は考えない。今考えるのは……ルキア、あなたを助けることだけ」

そう言うと、紅はルキアの手を取った。

「強いな、紅は」
「まさか!全然強くないよ」

ははっと笑って答える。

「ただね、弱さを見せる場所があるから」

支えてくれる人たちがいた。
何も聞かずに、ただ傍にいてくれる…不器用だけど優しい人。
どれだけ泣き叫んでも、その全てを受け止めた上で安心をくれる人。
だから、強くなれた。
弱さを支えてくれる存在を見つけて、初めて背中を預けられた。

「紅、私はお前が好きだ」
「私も、ルキアが好きだよ」

付き合いは短いけれど。
そこに在る確かな絆。

「ルキアも、自由になって」
「なら、紅も自由になるんだな」
「それって約束?」
「…それもいい」
「あははっ。じゃあ、私は二人分の約束を叶える為に自由に生きないといけないんだ?」
「無論だ。そうでなければ、素直にお前に助けられる私の行動が全て水の泡だ」

「手厳しいね…」と苦笑する紅を見て、ルキアは久しぶりに笑った。
ルキアは紅の存在の大きさに改めて驚く。

「(笑い方など……忘れたと思っておったな…。)」

この石の壁に取り囲まれて、心にすらそれが侵食してきていたような錯覚。
それを意図も簡単に打ち砕いたのは、他でもない目の前の少女。
まだ少し幼さの残る表情を見せる彼女が、その肩に背負う物は大きい。

『誰か一人に絞るなんて出来ないから…』

以前紅がルキアに告げた言葉。
それを、この小さな背中で実行しようとしている。

「本当に、呆れた奴だな、お前は…」

小さく、前の紅にすら聞こえない音量で呟く。
その時、閉じていた入り口は新たな侵入者を許した。

Rewrite 05.11.15