Raison d'etre sc.016
「痛ってえッ!!!!」
そう叫んで起き上がったのは、萱草色の髪を持つ男。
名を、黒崎一護と言った。
彼を心配して周りに駆け寄っていた仲間が、飛び起きた一護に驚く。
「ちくしょー何だよ、あの男!危うくケガするとこだったじゃねえか!!くっそ、いってー!!」
「げ…元気そうだね…。ていうか…ケガ…ないんだ?」
一護から少し距離を取った位置で、織姫が言った。
彼は市丸の斬魄刀を受けた時に痛めたらしく、肩を押さえている。
これだけ騒げるのだから大事はなさそうだが。
ふと、一護の頭に市丸の顔が浮かぶ。
思い出したくもない顔だったが、それと同時にあるものも一護の頭に甦った。
『ギンさんッ!!やめてッ!!!!!』
鮮明に思い出される、あの声。
一護は肩を押さえたまま身体の動きを止めていた。
「…………………紅…」
その声は小さく、周りの仲間には聞こえていないようだった。
決して間違うはずがないと。
そう言い切る事の出来る、聞き慣れた声。
今となっては昔の記憶だが、一護にとってはそうではなかった。
一年以上も聞いていなかった声。
その名を自分から紡ぐ事も久しいような気がする。
己の中に止めておけば、思い出さずに済む。
そうして逃げるように記憶に縋っていた事を思い出した。
「黒崎くん…?肩が痛むの…?」
「ん?あ、いや…大丈夫だ」
肩を押さえたまま動かない一護を見て、織姫が心配そうに一護に問いかけた。
いつまでも考えていても仕方がない。
そう思った一護は、自分の斬魄刀である斬月を背中に戻した。
「無事で何よりじゃ、一護」
「夜一さん。…悪い。俺のせいで門が…」
「いや、おぬしを責めても始まらぬ。
門は再び閉ざされてしまったが、相手が市丸ではおぬしが飛びかからずとも同じ結果じゃったろう。
おぬしに怪我がないだけでも良しとせねばな」
夜一、と呼ばれた黒猫が、そう言った。
この黒猫こそ、先程紅が気にしていた猫である。
夜一と話している一護を、織姫が何か考えているような表情で見つめていた。
門が閉ざされる直前、市丸を制止しながら飛び出してきた一人の死神。
その栗色の髪が、風に乗ってふわりと揺れる様は、目を囚われるほどのものだった。
何より印象的だったのは ―――――― その眼。
外見から受ける年齢よりも、遥かに多くの物を見ているようで…。
射抜かれるように鋭く、それでいて悲しげな眼だった。
彼女は真っ直ぐに一護を見つめ、そして自分と視線を合わせたのだ。
その眼が、言っていた。
『彼を、頼む』と。
何故か、織姫にはそう感じられた。
目を合わせたのはほんの一瞬。
けれど、その一瞬で感じられるほど明らかに、彼女は一護を案じていた。
彼女の事を、一護に尋ねようとする織姫だが、それを口に出す前に気づく。
肩を押さえつつ、何かを懐かしむような表情をしていた一護に。
その表情を見て、織姫は口を閉ざした。
代わりに、肩が痛むのか、と聞いて。
織姫はある人物を思い出していた。
自分は会った事のない、一護とたつきの幼馴染の事。
たつきに何度も聞かされていたせいか、まるで自分まで友人であったかのように感じていた。
高校になるのを待たずに他界した彼女。
いつだったか、たつきに彼女と一護の事を聞いた。
『一護は本当に好きだったんだと思うよ。本当に………大事にしてるんだなぁって。
………女のあたしから見ても、すごく可愛かったしね。性格もよかったし』
苦笑いにも似た笑みを浮かべたのは、たつきが彼女と自分を比べてしまった時期があったからだと言っていた。
それほどに彼女は周囲に影響を与える人物だったのだと、その時に知る。
『あの時は…本当に辛そうだった。あの子が死んで…一護はまた笑わなくなったから』
そう言ったたつきの顔が、今でも忘れられない。
ひどく悲しそうな顔。
その幼馴染の名前は……
「……紅…ちゃん……」
閉ざされた門を、紅は哀しげな表情で見つめていた。
が、すぐにいつもの表情を取り戻すと、くるりと振り返る。
相変わらず心中の読めない笑みを浮かべる市丸を見て、紅は視線を鋭くする。
「どないしたん?」
「……………」
「えらい焦っとったみたいやけど?」
「………そうですね」
「そんなに大事な子やったんかな?」
市丸が、一歩紅に近づいた。
と、紅は利き手を斬魄刀の柄にかける。
剥き出しの警戒心を一身に受けて尚、彼はただ笑みを浮かべていた。
「そんな警戒せんでもええよ」
「あなたの…行動がわからない」
「………それを言うたら、紅ちゃん。君もちゃうか?」
紅が図星とばかりに表情を強張らせるのを見て、彼は楽しげに笑む。
また一歩。
彼女と市丸の距離が小さくなった。
「あの子は旅禍やで?君の仕事でもあるんとちゃうの?」
「………………」
紅は柄から手を放す。
そのまま近づいてくる市丸から目を背けずに、真っ直ぐ彼を睨んだ。
すぐ脇で止まると、市丸は紅の顎を引く。
「そんな恐い顔したら別嬪が台無しやないの」
「顔なんてどうでもいいです」
「酷いなぁ…。さっきみたいにギンって呼んでくれてもええんよ?」
「…先程は失礼いたしました」
「別にええよ?同じ隊長やねんからもっと親しく呼んでくれても。…よっぽど焦っとったんやね」
そう言うと、市丸は紅から手を放す。
つい先日まで四席に居た彼女にとって敬語はすでに口癖に近い。
親しく、と言われてわかりましたと言えるほど図太い神経も持ち合わせていなかった。
相手が市丸である。と言う事もある程度…いや、かなり関係していると思うが。
「………あなたとは争いたくありません」
「……ボクもやで」
紅の真っ直ぐな視線をさらりとかわすと、市丸はその場を去った。
市丸の背中を見つめたまま、紅は溜め息を漏らす。
妙に緊張していたらしく、先程出来たばかりの真新しい爪痕を汗が刺激する。
そのピリピリとした刺激を無視して、再び閉ざされた門に視線を送った。
「………一護……」
この場にいない一護を思って、紅は表情に影を落とした。
こんな所で死ぬとは思えない、思わない。
だが、姿が見えない事に不安を感じずにはいられなかった。
憎らしいほど澄み切った空を見上げる。
「私は…大切な人を護れるのかな…。ねぇ………霽月」
Rewrite 05.11.07