Raison d'etre  sc.015

瀞霊廷内の屋根の上を、紅は飛ぶように走っていた。
隊長である日番谷すら追いつけないほどの速さ。
紅の背中を追っていた日番谷の表情が翳っていた事に気づかないほど、彼女は集中していた。
すでに日番谷も諦めたのか、彼の気配はない。
紅は只管、瀞霊廷の西門『白道門』に向かって走った。
徐々に高まる彼の霊圧に、細胞一つ一つが歓喜に震えているような…そんな錯覚を起こす。















白道門が見えると、紅は速度を落として音もなく屋根へと降り立った。
己の気配を絶つ事はすでに覚えてある。
同じく霊圧も極限まで落とし、双眸を細めて門を見据えた。
まだ、門は開いていない。
だが……………それは徐々に持ち上がろうとしていた。

「……市丸さん…?」

開こうとしていた門の前に、市丸が姿を見せた。
こちらに背を向けているために、市丸の表情は紅からは見えない。
その時、隙間に差し込まれた紅の何倍もあろうかと言う手が門を持ち上げた。

「あァ、こらあかん」

市丸が、やっと聞こえるほどの声でそう言った。
口元の笑みが深まったのがわかる。
次の瞬間、門番の左腕が後方へ飛んでいく。
恐らくこの場に居る者の中で抜刀の瞬間を捉える事が出来たのは紅と…そして市丸を見据える黒猫のみ。
他の者には何が起こったのかすらわからないだろう。
その黒猫にはただの猫と思うには、あまりに研ぎ澄まされたそれが伺える。

「…あかんなぁ…門番は門開けるためにいてんのとちゃうやろ」

市丸が冷ややかにそう言った。













「お ―― 片腕でも門を支えられんねや?サスガ尸魂界一の豪傑。けどやっぱり、門番としたら失格や」
「………市丸さん…」

紅は呟くように市丸の名を呼んだ。
これだけ離れていて、その声が彼の耳に届くはずがない。
左腕を肩の辺りから失って尚、男は門を支えていた。
その姿が、紅には何とも痛々しかった。

「…オラは負げだんだ…負げだ門番が門を開げるのは…あだり前のこどだべ!!」
「――― 何を言うてんねや?わかってへんねんな。負けた門番は門なんか開けへんよ」

いとも簡単に門番の言葉を否定し、市丸は地を踏みしめて進む。
門番の顔色が悪いのはチリチリと焦がすような彼の霊圧を感じているのか、それとも出血からか。
どちらとも取れる静止のまま、彼は門を肩に担いだまま動けなかった。

「門番が“負ける”ゆうのは…“死ぬ”ゆう意味やぞ」

静かに笑みを称えたままの言葉は、それで居て確かな力をもってしてその場一体を包み込む。
霊圧に眉を寄せながらも、抜刀しようとした市丸を見て、紅がその場から飛び出そうとした。
その時、彼女の視界の端にオレンジ色が映る。

「―――――――― ッ!!!」

紅は思わず息を呑んだ。

口先だけは会わない、会えないと言いながらも…再会を切に願っていた。
その相手が、今紅の視界の中にいる。
自分の記憶の彼よりも背が伸びて、そして着衣が漆黒の死覇装である事以外は何も変わっていない。

しかし、紅は思ったより冷静にその現実を見つめる。
一時的に間合いを取った一護が、市丸に文句を言っていた。

「何てことしやがんだ、この野郎!!!」

相変わらずな幼馴染に、紅は自然に笑みを零す。
きっと、策もなくただ本能的に飛び出したのだろう。
『思い立ったが吉日』などと言う代物ではなく『思い立つ前に行動』だ。
懐かしくも切ない感情が全身を駆け抜けるのを感じた。

「俺が斬る」

そう言った一護の眼は、真剣そのものだった。
隊長格の霊圧が感じられぬほど愚かではないだろう。
引いて欲しいと思いながらも、彼がそんな事をするはずがないと記憶が訴えていた。
どれだけ頑張ったとしても、市丸に敵うはずがない。
努力だけでは埋まらない確固たる差が、そこにはある。

「…お願い…無茶しないで…」

祈るような気持ちで、紅は二人を見つめていた。
血が滲むほど手を握り締める。
彼の隣に立つことも、市丸と同じく彼と敵対する事も出来ない自分。
遣る瀬無い想いが鮮血と共に屋根へと流れ落ちた。

「…キミが黒崎一護か」
「!知ってんのか、俺のこと?」
「なんや、やっぱりそうかァ」

市丸が一護にくるりと背を向けた。
一歩ずつ一護から離れていく。

「あっ!?おい!どこ行くんだよ!?」
「ほんなら尚更…ここ通すわけにはいかんなあ」
「何する気だよ、そんなに離れて?その脇差でも投げるのか?」
「脇差やない。これがボクの斬魄刀や」

市丸が、再び一護の方を向いた。
同時に、低く斬魄刀を構える。
その構えに、紅がいち早く反応した。

「射殺せ『神鎗』」
「ギンさんッ!!止めてッ!!!!!」

紅が咄嗟に飛び出したが、間に合わない。
市丸の斬魄刀は真っ直ぐに一護を目指す。
それを自身の刀で受け止めた一護は、門を支えていた男を巻き添えにして後ろへ吹き飛んだ。

「く…黒崎くん!!」
「黒崎っ!!」

共に一護とやってきた男女が、彼の名を呼ぶ。
そして、支えを失った門は重力に逆らうことなく口を閉ざし始めた。

「バイバ ――― イ」

門が閉じる刹那、市丸はそう言って門の外に手を振った。
地面へと降り立った紅が、閉じ行くそこから一人の旅禍と視線を絡める。
轟音と共に地面との距離がゼロになった。

Rewrite 05.11.05