Raison d'etre sc.011
「やっぱりここにいたのか」
「ここにいれば、冬獅郎に会えると思ったから」
紅は寝転がっていた身体を起こして、日番谷の方を向いた。
現世に降りる前に、二人で会った場所。
そこに紅は来ていた。
あれから十番隊に向かった紅だったが、仕事中の日番谷を見て邪魔をするのも悪いとそこを離れたのだ。
かといって仕事に戻る気にもなれず、ただ何となく足を向けた先がこの場所だった、と言うわけである。
「仕事は?」
「全部終わらせた。お前、詰所まで来たのに帰りやがっただろ」
やや乱暴に腰を降ろし、彼は真横から紅を見る。
少しだけ驚いたような…しかし、「やはり」と言う表情で紅は笑う。
「………知ってたんだ?」
「慣れた気配だったからな」
「仕事の邪魔するわけにはいかないじゃない。だから…待ってた」
「あのなー…俺がここに来なかったらどうするつもりだったんだよ?」
「………来てくれたじゃない。もし、の事なんて考えてたら、何にも出来ないわ」
その紅らしい答えに、日番谷は微笑みを浮かべた。
そして、思う。
彼女には確固たる信念があって、それを曲げることなく突き進む姿に、自分は惹かれているのだと。
「で、どうだったんだ?」
「あぁ…会えたよ。でも…帰る気は…ううん。私は帰って来てほしくない」
「友達だったんじゃねぇのかよ?」
「友達だよ?友達だから…彼女が笑っていられる場所にいて欲しいと思った。ただ…それだけ」
視線を空に向けて、紅はあの時のルキアの表情を思い出していた。
無理している表情ではなくて…本当の笑顔。
自分でもそうそう見る事のなかったものだったと思う。
その時に、感じた。
ルキアはここにいるべきだ、と。
「…言う?」
紅が視線を日番谷に戻して聞いた。
日番谷はわざと悩むような素振りを見せた後…紅の髪をくしゃっと掻き混ぜる。
「お前は、言ってほしくないんだろ?」
「……うん」
「なら、言わねぇ」
日番谷がそう言うと、紅は嬉しそうに口元を緩めた。
自分に彼女を陥れる事に対する意味はない。
人の悲しむ姿を見て楽しむような性格は持ち合わせていないし、何より相手は紅だ。
「ありがとう」
ふと零されたその笑顔だけで、見返りは十分だと思えた。
「俺の賭けだった」
「賭け…?」
日番谷はごろんと寝転がり、隣に座る紅から視線を逸らしたまま続ける。
「お前が現世に行って戻ってこなかったら、話すつもりだった。
約束が守れねぇ奴を庇う気なんて、これっぽっちもないからな」
正論だと思える言葉に紅は沈黙する。
「約束さえ守れば…俺はこの事を誰にも話す気はなかった。この先もずっとだ」
自分を見上げてくる翡翠の目に嘘はない。
紅はふっと笑みを浮かべる。
「そっか。…じゃあ、守ってよかった」
心地よい信頼だと思う。
優先すべき隊長としての矜持よりも自分へのそれを取ってくれた日番谷。
何度感謝を口にしても、足りないと思った。
「ありがとう。冬獅郎が居てくれるから…私は自由なんだね」
紅は薄く微笑むと身体を起こした彼の肩に頭を乗せる。
そうしているだけで、この気持ちは伝わるような気がした。
「人肌って落ち着くね」
顔は見えないけれど、彼女の表情は穏やかなのだろう。
重くないと言えば嘘だが彼女が安らげる場所がここだと言うならば、自分は喜んで己の肩でも何でも提供する。
口には出さない思いを胸に、日番谷は黙した。
数分後、日番谷の耳には規則正しい寝息が届いていた。
「……………この状況で寝るか?普通…」
日番谷は呆れたようにそう呟きながらも、自身の羽織を脱いで彼女の肩にかける。
袖は長くないのでさほど寒さを凌げないかとは思ったが、要は気持ちだろう。
「…お前は何を抱えてるんだ…?」
本調子とは呼べない彼女に、日番谷が気づかないはずがない。
あえて本人に問い詰めないのは、それが彼女を追い詰めることになると思うからだ。
自分に出来る事といえば、紅が自ら口を開いた時に耳を貸し、そして受け止めることなのだろう。
「…もっと頼れよ」
小さな言葉は、本人には届かない。
日が傾き始めた頃。
紅は文字通り飛び起きた。
「霧渡に怒られるっ!!」
覚醒後の第一声に、隣に居た日番谷は思わず眉間を押さえる。
彼女に女らしさなどと言う無理なものはこれ以上望むつもりはない。
しかし、何故よりによって副官に怒られる、がまず飛び出すのか…。
「何で起こしてくれなかったの!?」
下敷きにしていた髪が跳ねるのが気になるのか、紅はしきりに髪を押さえながらそう言う。
怒鳴りそうになる唇を鉄の理性で抑え込み、日番谷は口元を引きつらせながら口を開いた。
「…俺が起こさなかったと思うのか…?いつまでも人の肩でぐっすり寝込みやがって…っ」
体格差を考えろ、と言いそうになったが、それは自身のプライドを傷付けるので飲み込んでおく。
日番谷は痺れた腕を振りながら、不機嫌に眉を寄せた。
一度寝ると、中々起きないタイプの紅。
結局彼女が起きるまでその状態でいた日番谷の腕は肩から下が程よく痺れていた。
誰かに触れられれば痛い…と言うところまではいっていないが、動かすには不自由極まりない。
何度も腕を擦るような仕草を繰り返す彼に、先程までは慌てていた紅も気づく。
「…痺れた?ごめんね」
「……………行かなくていいのか」
そう言って触れようとする彼女の手から逃れ、日番谷は彼女に言う。
行き場のなくなった腕を引きながら彼女は思い出したように焦る。
「そうだったっ!霧渡に怒られるっ!」
紅は半ば叫ぶようにしてその場を去った。
「また明日ね!」と叫ぶ声が小さかったので、彼女は全力で走っているのだろう。
「…副官に怒られててどうすんだ…」
今日だけで二度同じ言葉を聞けば、いくら日番谷とて呟きたくもなる。
隊長としてどうなのだろうかとは思うが、それを言えば八番隊の長を務める彼もそうだろう。
やる時はやるのだから…問題はないか、と日番谷は自身で納得する事にする。
銀色の髪を赤い夕日が染める中、彼は痺れた腕を押さえながら自分も瀞霊廷へと帰るのだった。
「霧渡…」
「何でしょう?」
「これ、何」
紅は目の前のそれを指差して問う。
疑問系のように語尾を持ち上げない辺りに彼女のほんの一握りの拒絶心が篭っているように思えた。
そんな問いに、霧渡は何でもないように答えるのだ。
「隊長の仕事ですが?」
それが何か?とでも言いたげな声である。
「いや…うん。私の机に積まれてるからそれはわかるんだけど…」
明らかに未処理とわかる白紙に近いそれに、紅は口元を引きつらせた。
それを前に固まる彼女を振り向き、彼はにっこりと笑う。
「異動したばっかりなんですから、書類が多いのは当然ですよ?」
――― あぁ、怒っている。とてつもなく怒っている。
どうやら一週間+本日のツケを払わされることになるらしい。
先程見た一週間分の1.5倍ほどの書類の山。
紅が本日の残業を覚悟した瞬間だった。
「…こんな書類の山を見るって言うのもそう出来る経験じゃないわよね」
「二度とごめんです。口より手を動かしてくださいよ。俺まで帰れないんですからね」
「……………」
Rewrite 05.11.03