Raison d'etre  sc.010

「そろそろ、帰るね」
「あぁ」

再びルキアに背を向けると、紅は黙って歩き出した。
斬魄刀を抜き去り、空間へとねじ込む。
現れた扉が口を開くのを見つめながら、ゆっくりとその口を開いた。

「私、一護のこと…本当に大切なの」

独り言だけど、と。
見えない表情が、手に取るように感じられた。
言葉もなく背中を見つめるルキアの視線を感じながら、紅はそれ以上何も言わずに扉を潜る。
扉は静かに閉じられた。













山のように詰まれた書類を前にして、紅はただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

「何考えてるんですか、隊長!!就任したばっかりで仕事も山積みだって言うのに…!!」
「うん。正に山積みね」

座ってしまえば自分が隠れるような高さのそれを前にして、彼女は呟く。
一々突っ込まなくていいんです!と怒る霧渡。

「一週間ですよ!?一・週・間!」
「言われなくてもわかってるって。ごめんね、霧渡」
「どれだけ探したと思って…!その間にも任務は溜まる一方だし、十番隊長は放って置けって言いますし」
「彼にも聞きに?」

思わぬところで飛び出した彼の隊に、紅は書類を持ち上げていた手を止める。
ずっしりと重みを伝えるそれは、彼女が離れていた間の長さを思い起こさせた。

「当然ですよ。十番隊長が一番よくご存知ですから」
「そう…」
「あの人は“現世に向かった”とだけしか教えてくれませんでした」

そう言って霧渡は肩を落とす。
そんな彼の様子を見て紅は、何故彼がここまで気を落としているのかがわからず内心首を傾げた。

「俺、隊長の役に立ててませんか?」
「…霧渡…?」
「…これは始末書ですから!明日までに全部仕上げて提出するようにとの事です!」

零してしまった言葉を誤魔化すように彼は慌ててそう言いくるめた。
しかし、それは確かに彼女の耳に届いている。

「………仕事、隊長の署名が必要なものだけになってるのね」

始末書を脇へと追いやり、紅は目の前にあった仕事の山を見る。
背中を向けてしまっている霧渡にその声は聞こえているだろうが、彼は沈黙を保った。

「ありがとう。あなたが副官でよかった。…安心して任せられるわね」

棚を整理する霧渡の耳が僅かに赤かったのは、きっと気のせいではないだろう。













「あ」

署名を走らせていた紅の手が止まる。
彼女の声に、同じく仕事中であった霧渡の視線がそちらを向いた。
そんな彼の行動には気づいていないように、紅は無言のままに立ち上がってスタスタと室内を歩いていく。
彼女は「どこにいくんですか」と言う霧渡の問いに、にっこりと微笑んだ。

「少しだけ、会わなきゃいけない人がいるから…ごめんね?」

後ろで「会わなければならない人?」と声を発する彼を半ば無視する形で、紅は廊下に飛び出した。





今まで慣れた道のりのはずだ。
しかし、どこか見知らぬ地のような錯覚を起こすのは…きっと、現世で彼を見てしまったから。
霧渡にはあのように言ってきたが、実際は誰かに会うつもりはない。
今の顔を、他の誰にも見せたくはなかった。

「本当に…馬鹿みたいね…」

人通りのない倉庫の前まで歩いてくると、紅は壁伝いにその場に座り込む。
そのまま己の膝に額を乗せ、顔を俯けた。

「大切…だった、なんて…言えるはずない…」

過去形にするには、あまりにも胸が痛む。
ルキアと話していた時はまだ平気だった。
同じ空の下に居るのだと思うだけで心温まる程に、彼の存在は大きい。
逆に、今こうして見上げる空の下に彼は居ないと思うだけで…。

「苦しいよ…」

まるで尸魂界にやってきたばかりの頃のようだと自嘲する。
好きすぎて切ないなんて、そんな持て余す感情を知らなかった。
あの頃は本当に子供で、あの時がずっと続くと信じて止まなかったから。
そんな時の…突然の別離。
受け入れるにはまだまだ幼すぎた。
そして、それから一年。
いい師を持って周囲にも認められて、あんなにいい部下を持った。
それなのに。

「私、何も成長してない…」

護ると決めたのに、この心の弱さが嫌になる。
欲したのは肉体的な強さと、精神的な強さ。
前者だけでは、己の身ひとつ護れないような気がした。
紅は顔を上げると、その手で自分の頬をパンッと叩く。

「泣かないだけでも成長してる」

自分に言い聞かせるようにそう言った。
改めて開いたその目に、先程の迷いはない。

「“己の弱さを知る事も、己の強さ”」

師からの言葉は、今でも鮮明に思い出せる。

「弱いなら…強くなればいい」

そう呟き、紅は立ち上がった。

Rewrite 05.11.03