Raison d'etre  sc.009

「…懐かしい」

現世に来て、紅が一番に発した言葉だった。
紅がここを離れて、一年と少し。
その間にも何度か訪れていたが…任務以外はこれが二度目だった。

「ルキアの担当地区は…空座町…か。何の因縁かしらね…」

自嘲気味な笑みを浮かべて、紅は地面に降りた。
まだ、自分の慣れ親しんだ道ではない。
しかし…今から向かう所は間違いなく自分の住んでいたところ。
自然とその方向へ向かう足を止めることなく、紅は進んでいった。







道行く人々は、誰一人紅を振り返るものはいなかった。
紅が死神であるからには当然の事なのだが。

「…嫌だなぁ…この辺歩いてたら、絶対出会う気がするんだけど」

高すぎる霊力を持った幼馴染と。
会いたくないと言えば、嘘になるのかもしれない。
でも、会いたくなかった。

「矛盾…してるわね」

自嘲の笑みを零し、紅は死覇装を翻した。













紅が現世へと降り立って、一週間。
彼女自身が設けた期間の最後の一日となっていた。
ブラブラと当てもなく歩いたが、紅は決して自分の家の近くには寄っていない。
それがどれほどのリスクを持つかぐらいはわかっている。
不意に、紅の足がピタリと止まる。

「…虚の気配?」

突如虚の気配を感じ取った紅は、迷うことなくその方向へ向かって地面を蹴った。
走ることはせずに、そのまま屋根を飛んで移動していく。
少しして、とある建物の屋上に紅は自分の視界に虚を捉えた。
同時に、ある人物の姿も一緒に。

「―――― っ!?」

左肩から血を流した、オレンジ色の髪の男。
斬魄刀を抜き取ったものの、紅はその場所から動かなかった。

―― 中身が…魂が違う

瞬時にそれを理解した紅だが、近づいてくる死神の気配を感じて、身を潜めた。
現れたのは、先ほど見たオレンジ色の髪をした男。
だが、間違いなく紅と同じ死覇装に身を包んでいた。
そして…彼の手には、身丈ほどの斬魄刀。

「…何で…一護が斬魄刀を…?」

霊力を察知する能力はないとは思ったが、紅は一応自分の霊力を極限まで落とす。
そして斬魄刀を鞘に納めると、黙って様子を見ていた。

「…改造魂魄か…」

虚を蹴り上げた脚力から、紅はその事実に辿り着いた。
やがて、当然の事だが見知らぬ帽子を被った男がやってきて、そして探していた彼女も現れる。

「ルキア…」

呟きが届くはずなどない。
しかし、紅は帽子を被った彼と目があった気がした。













ルキアが一人になったのを見計らって、紅は彼女の前に下りた。
視界の端に降り立った死覇装に、彼女が身を固くする。
しかし、紅が着地の反動で倒していた上体を起こすと、彼女は肩の力を抜いた。

「まさか…こんな所にいるとは思わなかったわ」
「紅…」
「義骸に入らなきゃいけないほど、弱ってるってことは…。彼に霊力を?」

紅が一歩進めば、腰に挿した三本の斬魄刀の鞘が鳴る。
その音は嫌に響いた。

「…私の言っていることが…わかるわね?」

紅がいつもとは違う、鋭い視線をルキアに向ける。
ルキアは黙って頷いた。
俯く彼女からは見えていなかったが、紅の視線は優しい。
鋭さなど刹那で消したその眼差し。
紅はゆっくりとルキアの手を取った。

「無事で…良かった…」

心底安堵するような声に、ルキアは弾かれたように顔を上げる。
自分を見つめるその視線に、彼女は表情を和らげた。

「心配…させたか?」
「当然でしょ?仕事も捗らなくて…霧渡に怒られてばっかりよ」
「すまぬ」

目を伏せるルキア。
紅は笑みを崩さず、首を振った。

「無事で何よりよ」
「無断滞在が超過されれば零番隊の長であるお前が出てくるであろうと思って、いつも探しておった」
「ええ。もう、数え切れないくらい現世を探したわ」

見つからなかったけど、と悪戯めいた笑みと共に彼女は零した。
そんな彼女の変わらない笑顔に、ルキアも口元を上げる。

「…優しい笑い方をするようになったのね、ルキア」

どこか遠慮した物ではなく。
心の内からと呼べるようなそれに、紅は言った。
いつも張り詰めていた彼女を知っているからこそ、思う。

「ルキアは…帰りたい?」
「私、は…」
「…私は、帰ってきて欲しくない…かな」

紅のそんな言葉にルキアが口を噤む。
明らかに自分の言葉を取り違えている彼女に、紅は苦笑した。

「その笑顔が消えてしまうなら、私はここに残って欲しい」
「紅…。しかし、お前は…」

最後まで語られなかったが、それが自分を思っての言葉だと言う事は容易にわかった。
その事実は、嬉しい。

「私、何も見てないよ。オレンジ色の髪の死神とか、改造魂魄とか。ただ、自分の親友は見つけたけど」

にっこりと笑うと紅はゆっくりルキアから離れた。
一歩、一歩。
彼女に背を向けるようにして歩く。

「元気でね?」
「あぁ」
「…無理、しちゃだめよ」
「わかっておる」

ルキアの言葉に紅は振り向いた。
そして、哀しげな色を映す目を彼女に見せる。

「最後に…もう一つ。彼を…一護をお願いね?」

自分は逢えないから。
せめて、親友にその思いを託す。
そんな紅の言葉に、ルキアが表情を変えた。

「やはり…一護は前にお前の話していた…」
「ええ。私の大切な人は…死覇装に身を包み、身丈ほどの大刀を持っていた彼よ」

彼がどうして死神の衣を纏い、斬魄刀を挿しているのかはわからない。
恐らくはルキアの代わりをしているのだろうと、紅は推測する。
しかし、彼はそれを無理強いされているわけでもなく悔いているわけでもなかった。
彼の目は、あの頃と変わらぬ真っ直ぐな目をしていたから。

「一護の部屋に、一枚だけ写真があった。紅、お前の写真だ」

この思いに縋ってくれればいい、とルキアは内心呟く。
互いを話す時の表情は柔らかく、彼らを逢わせてやりたいと、そう切に思った。

「…そっか…覚えて…くれてるんだね」

嬉しそうに、それで居て哀しそうな声。

「一護は」
「ルキア」

ルキアの声を遮り、紅は哀しい微笑を浮かべてその視線を上げる。

「もう、やめてくれる?」
「しかし…」
「向こうに、待ってくれている人が居る。彼と…必ず帰るって約束したの。
それに………私の今の居場所は…向こうにしかないから」

一度視線を交えてしまえば、それに背を向けることなど不可能。
思い出の中の彼は色褪せる事なく存在しているのだから。
己の想いに縋り、己の任を忘れてしまうから。

「それにね。今の一護の話を聞いたら…私の記憶の一護が薄れてしまう気がするの」

苦笑気味に笑んだ彼女の言葉に、ルキアは言い知れないデジャビュを感じた。

『思い出にするつもりはねぇし、何より…人から聞いた紅を俺の記憶にしたくねぇんだ』

そう言った彼の表情が印象的だった。
ルキアは切ることの出来ない繋がりを感じ、苦笑する。
二人がこう言うならば、もう自分は何も言うまい。
何も言わずに見届ける事が、彼らの為なのだと確信した。

Rewrite 05.11.01