Raison d'etre  sc.008

机の上に置かれた写真立て。
伏せられたそれは彼がそれを目にする事を拒んでいるようにも思えた。
ルキアはそっとそれに手を伸ばす。
そこに写っていたのは、紛れもない己の親友だった。

「一護…お前、紅を知っておるのか?」
「………紅…?」

一護の表情が揺れる。
それだけで質問の答えとなっているようだった。

「そう、か…。紅の言っていた“一護”はお前の事か…」

幾度となく彼女の口から零れだす『彼』と言う単語。
初めこそ瀞霊廷の死神かと思っていたが…。
それを彼女に問えば、笑いながら首を振った。
もう逢えない…大切な人だ、と。
彼女は懐かしむような笑みを刻み、その名を紡ぐ。

「紅から、よく聞いた名だ…」
「…同名の赤の他人だろ?紅は………あの日…」

あの忌まわしい日を思い出したのだろう。
一護は眉間の皺を更に深め、ぎゅっと口を噤んだ。
鮮血に染まるあの身体を抱きしめた時を、忘れたことなどない。
階下から自分を呼ぶ妹達と、親父の声。
心臓が張り裂けそうなほどの鼓動を、初めて体験した。
眠るようにして、二度とその目を開かなかった彼女は…。

「紅の事は話さないでくれ」
「…逃げるのか?」

ルキアの言葉に一護の肩が揺れる。
図星、とも取れる反応だった。

「紅はお前との約束を果たそうと努力している。そんな紅の意志から、お前は顔を背けるつもりか…」
「…約束…?」
「もう、一年も前の事だ。紅は、お前に逢う為に現世に来たと言っていた」

自分が尸魂界へ来て、三週間後の事だと言っていた。
彼女は親に見つかった悪戯を話す時のような、そんな表情で語る。

『秘密ね?これ、ばれると隊長にまで迷惑がかかるから』

唇に人差し指を乗せ、彼女はそう言っていた。
ルキアも口外するつもりなどなかったのだ。
彼女がそんな大切な秘密を自分に話してくれたことがただ嬉しくて。
誰にも話すまいと誓った事は、自分しか知らないのだけれど。

「紅との…約束か…」

少しだけ乱暴にベッドに座り込めば、押し潰された布団がバサッと広がる。
短い髪を掻き揚げるように頭に手をやって、彼は苦笑した。
本当は…何一つ忘れてなんかなかった。
あの日は朧気だった記憶も、時が経つ程に鮮明となってきて…。
パズルのように集ったピースが音を立てて揃ったのは、ルキアと出逢ってから。
その漆黒の死覇装を見たとき、全てを思い出していた。

「アレが、紅だったって言うのか?」
「お前の言う“あれ”が何を指すのかはわからないが…紅は尸魂界で死神として存在している」

決定的な言葉。
ルキアがそれを紡ぐと、一護は「はは…」と笑う。
その小さな声が、彼の心の内を表しているようだった。

「一護。紅は…」
「悪りーな…ルキア。紅の事は…もう聞かないことにする」
「な…何故だ!?」

彼の言葉に驚くルキア。
彼にならば自分の知る、今の紅の様子を全て話してもいいだろうと思っていたのに。
そんな思いが彼女の内を過ぎる。

「思い出にするつもりはねぇし、何より…人から聞いた紅を俺の記憶にしたくねぇんだ」
「一護…」
「元気にやってんなら、それでいい」

迷いなど一切ない彼の言葉に、ルキアはふっと笑みを零した。
どこまでも、彼女の言っていた通りだと思う。

『不器用に優しくてね。で、凄く真っ直ぐな人。私もあんな風に生きられるかな…』

真っ青な空を見上げた彼女は、澄んだ目でそう言った。
自分からすれば彼女はどこまでも真っ直ぐで…その優しさに憧れていたと言うのに。
彼女はそれ以上を望んでいた。
まるで、手の届かない空に焦がれるように。

















寝転がった状態で、紅は空へと手を伸ばす。
邪魔する物のない視界には空しか映っていない。
届きそうで届かないこの距離を焦がれたことなど、数え切れなかった。
ふと、近づいてくる気配に伸ばした腕を下ろす。

「隊長。またこんな所に」
「…任務?」
「いえ。今日は…日番谷隊長からの伝言を預かってきました」
「日番谷から…?」
「…今から出てきて欲しい、と。ただそれだけを伝えるように言われました。どうしますか?」
「そう。じゃ、行って来るわ。あと…よろしく」

霧渡が頷いたのを見て、紅は身体を起こすと軽く屋根から飛び降りた。
場所は聞いていない。
たまには捜す側になってみるのもいいかもしれない。
そう考えて、紅は日番谷の行きそうな場所に足を向けた。









「見つけた」

瀞霊廷を離れ、小さな湖の辺にやってきた。
背中を向ける日番谷に近づきながら、紅は口を開く。
しかし、彼女の声が発せられる前に別の声が上がった。

「思ったより早かったな」
「何となく…ここのような気がしたから」

紅も日番谷の隣に腰を降ろすと、ゆっくりと寝転がった。
視線を交えることなく、ただ爽やかな風を頬に受けるだけの時間が過ぎていく。

「まだ、見つからないな」
「……うん」
「……………行くんだろ?」

その時初めて視線を向けられて、紅は黙って頷いた。

「一週間…。無断で現世に下りるわ」
「許可は?」
「“今回の件は忘れて自分の仕事をしろ”って言われてるのよ?くれるはずがないじゃない」

結果が無駄だとわかりきっていることをするつもりはない。
その時間すら、紅にとっては惜しく感じる。

「自分の気が済むまで…一週間だけ。それで駄目だったら…諦める」

何かしら答えを得る事ができると、そう信じたい。
しかし、今まで独自に調べてきた情報を考えればそれも危うい事はわかっていた。
日番谷はそんな彼女を一瞥すると、視線を空へと戻す。

「…俺は隊長だからな。報告の義務はある」
「………総隊長に言う?」

上体を起こすと、紅は日番谷の顔を覗き込むようにして聞いた。
絡まった視線は彼の意思を伝えている。
彼の目に、肯定は映っていなかった。

「まさか。言った所でお前は聞かないだろ?」
「よくわかってるね」

紅はクスクスと笑い、彼から視線を逸らす。
とても長いとは言えない付き合いだけれど、こうして理解してくれる人が居るのは嬉しかった。

「…行って来いよ。ただし…お前は必ず帰って来い」
「ありがとう」

後押ししてくれる言葉が、これほど力になるとは思わなかった。
だからこそ、こうして彼の元へとやってきたのだろう。
その言葉を求めて。


翌日、紅は単身現世へと降り立った。
自身の斬魄刀を腰に挿し、その眼差しに決意を宿して。

Rewrite 05.11.01