Raison d'etre  sc.007

「ルキア!!」

いつものようにのんびりと廊下を歩いていた紅は、前方に知った背中を見つけて思わず声をかけた。
ちなみに今は勤務中…のはずである。

「…紅か…?」

彼女は黒い髪を揺らし、振り返った。
何も疑問系でなくとも…とは思うのだが、声だけで判断してくれているのだからよしとしておこう。

「久しぶり。今から現世?」

彼女の腰に挿されている斬魄刀の存在に気づいた紅がそう問いかける。
ルキアもその視線の先を辿り、頷いた。

「あぁ、小一時間もすれば向こうに赴く事になるだろう」
「じゃ、残り時間私とデートしませんか?」

にっと口角を持ち上げて楽しげにそう言う紅。
質問のように語尾は持ち上げられているが、そこには肯定以外の答えは残されていないように感じる。
裏に含められた言葉の意味を悟り、ルキアは今まさに苦労の真っ只中にいるだろう彼を思った。

「…また逃げておるのか…。副官が可哀相ではないか…」
「この程度の範囲で私を探せないようじゃ駄目だよ。何も尸魂界中を逃げてるわけじゃないんだから」
「…その範囲に及ぶようならお前は鬼だ」

呆れるような声で溜め息を漏らすルキア。
彼女の言葉に「失礼ね」と口を尖らせながらも、紅は笑っていた。

「………まぁ、いいだろう。残り時間はお前に付き合ってもらう事にするか」
「じゃ、霧渡が来ないうちに行こうか」

紅はルキアの手を取ると、彼女の態勢が整わぬうちに走り出す。
それを咎める声などどこ吹く風、とばかりに。
その数分後、先ほど紅とルキアが話していた場所に霧渡が辿り着いていたのだが…遅すぎた。

「………隊長 ――――― っ!!!どこに行ったんですかーっ!!!」

本日何度目かの霧渡の怒鳴り声が、瀞霊廷内に木霊した。

















「少しは隊長らしくなってきたようだな」
「そう?今現在脱走中なんですけど?」

少しばかり手には熱すぎる気もする湯飲みを両手で持ち上げ、紅は言う。
そんな彼女の隣でルキアは頷いた。

「そう言うものではなくて…顔つきが変わったな」
「…顔つきねぇ」

ふに、と自分の頬を摘みながら紅は首を傾げた。
自分では中々わからないものである。

「気にするな。いい変化だ」
「そう?じゃあ…ありがとう、かな」

紅の言葉にルキアは満足そうに微笑む。
彼女らは休憩室の一角に腰を降ろし、お愛想程度の和菓子を傍らにお茶会を楽しんでいた。
灯台下暗し。
さすがの霧渡も、紅が休憩室でのんびりしているとは思わないらしく、彼の声は聞こえない。

「今日のはどんな仕事?」
「近頃同じような時間帯に虚が出現するらしくてな。それの昇華だ。
まぁ、紅が日頃行っている任務ほど難しい物ではない」
「私のも言うほど難しい仕事じゃないわよ。ここんとこずっと机に向かうのばっかりだし」
「隊長格の者がそう易々と現世に赴いていてどうするのだ」

呆れたように肩を竦め、ルキアは言う。
それもそうかも、と答えると、紅は湯飲みをお盆の上に置いて身体を伸ばす。
その際に洩れた声は何とも間の抜けたものだった。
紅の傍らでルキアは彼女を見つめ、そして小さく溜め息を吐き出す。

「…お前がもっと早く尸魂界に来ておれば…兄様は紅を選んだのだろうな」
「ルキア?」

ポツリと呟いた独り言。
しかし、それは思ったよりも静かなこの場所では彼女の耳に拾われてしまった。
気にするな、と返すルキアだが、その表情は明らかに先程の言葉の尾を引かせている。
それに気づけないほど浅い付き合いをしているつもりはない。

「もう少しだけ、白哉さんを信じてもいいと思うよ」

紅にとって踏み込みすぎない限界の言葉だった。
彼女が望んでいるのは慰めや否定の言葉ではないと、紅はそう思っている。

「いつでも聞いてあげる。ルキアの言いたいこと、全部聞いてあげるから…弱気になったら私のとこに来て?」
「…ありがとう」

紅とルキアは顔を見合わせて微笑んだ。

「さて、と…。まだ時間ある?何か美味しい物でも食べに行かない?」

彼女は話題を変えるように声のトーンを上げ、ルキアに問いかける。
しかし、彼女は首を振った。

「…残念だがその時間はないな」
「そっか、残念ね。じゃあ、帰ってきたら一緒に甘い物食べに行こうよ。美味しい店を見つけたの」
「あぁ。帰ってきたら、一番に紅のところへ行こう」
「待ってるわ。行ってらっしゃい」

そしてルキアは紅に見送られ、現世へと赴く。

















それから二時間後 ――― 紅はようやく隊長室へ戻っていた。

「隊長!どこに行ってたんですか!」
「…何か火急の任務?」

ただならない様子の霧渡に、紅は表情を引き締めた。
この心の引き締めを出来るようになった辺りが成長したのだろうか、と思う。

「はい。行方不明になった死神の捜索が来ています」
「行方不明、か…」

彼の説明を聞きながら、紅は準備へと取り掛かる。
霧渡は渡されていた資料を捲り、その一部で目を止めた。

「…あれ?この苗字って朽木隊長の…?」
「朽木………朽木ルキア?」

ペラペラと資料を捲って名前を探し出した霧渡が、「朽木」の名前を出した瞬間、紅の顔色が変わった。
用意に向けていた視線を霧渡の方へと向け、答えを待つ。

「え、あ…はい」
「………場所」
「はい?」
「場所をさっさと教えてっ!!」

彼女の声に、霧渡は慌てて資料に記されている場所を告げた。
いつも温厚な紅しか見ていない霧渡は驚く。
その理由を探るように記憶を漁り、そして彼女が朽木ルキアと仲が良かったと言う事を思い出した。
斬魄刀を腰に挿し、すでに歩き出している紅。
呆けていれば放って行かれそうだと言う事に気づき、彼は慌てて彼女の後を追った。





現世へと降り立ってから数時間。
すでに朝日が昇ろうかと言う時間だ。

「隊長…もう虚に…?」

霧渡が躊躇いがちに声を掛ける。
必死でルキアの気配を探す紅を見ていると、その先を口にするのは憚られた。

「………おかしいのよ」

紅は酷く神妙な面持ちで、顎に手を当てた。

「もし、ルキアが虚にやられたとしたら…何で虚の気配がないの?」
「もう戻ったんじゃないですか?」
「じゃあ、何で虚が食い散らかしたと思われる霊魂がないの?」

ルキアを食らい、その虚がそれだけで満足したとは考え難い。
つまりは別の被害があるはずだ。と紅は考えた。

「この地域は彼女の担当で、さらに言うと彼女の失踪後は一番に零番隊に報告が来ている。
と言うことは、他の死神は来ていない筈なのよ。なのに…虚はいない」
「…朽木さんが昇華した…?」
「その可能性は…ゼロじゃない。………どこかで弱っているのかもしれないわね」

紅はもう一度辺りを見回した。
どこにも虚の気配はなく、町の東から太陽が顔を出し始めている。
これ以上は捜索も無駄だろうと、隊長としての判断を下す。

「総隊長に申し出るわ。私たちの任務はここまでよ」
「帰りますか?」

霧渡の問いに、紅はほんの少しだけ間を置いて頷く。

『解錠』

霧渡が門を開き、紅はそれに続いた。
門が閉まる直前、紅はただ一度だけ振り返る。

「ルキア…」

その小さな呟きは残る闇へと飲み込まれた。

Rewrite 05.11.01