Raison d'etre sc.004
言葉では表現しがたい感情だった。
半年以上経った今でも、そう思う。
日番谷は懐かしむように目を細める紅を見ても何も言わなかった。
むしろ言えなかったと言うのが正しいのかもしれない。
「で、どこにいるんです?」
「この辺りだ」
「ふぅん…この辺り、ね」
そう言いながら彼女はフェンスの上に座り込む。
漆黒の死覇装に身を包んだ二人の死神の姿は、昼間の現世では異様な光景だった。
廃屋に似た、今しも崩れそうなビルの上に彼らはいた。
今は虚の気配もなく平和な限りである。
「まだ現れないんですか?」
「…お前なぁ…まぁ一時間だぞ?ちょっとは忍耐力をつけやがれ」
「隊長と違って私はまだまだ心身共に若いですからね。そんな悟りを開いたみたいには出来ませんよ」
「ほぉ…それは暗に馬鹿にしてんのか?」
少しだけ低くなった彼の声に、紅は「まさか」と呑気に返す。
「まぁ、私も出る所に出ればきちんと落ち着きますから…大丈夫ですよ」
彼女はにこりと笑ってそう返すと、雲の流れる晴天を見上げた。
頬を撫でていく風はどこまでも優しく、そして懐かしい。
心地よい誘われるまま、その視界を閉ざした。
どれくらいそうしていただろうか。
不意に、水面に波紋が立つようにはっきりと。
紅は確かにその存在を感じ取っていた。
「ようやくお出まし、か」
ゆっくりと目を開けば、クリアになった世界。
寝ていたわけではないので思考の方も問題ない。
「来たか?」
「そのようで」
短く答えると、紅は腰に挿した刀の一本に手を掛ける。
すらりと抜き取られたそれは白銀の身を露にした。
「ここから東…卯の方角に3キロって所ね。どうする?」
「行くぞ」
東に向かって指を伸ばした紅にそう答えると、日番谷は立ち上がってコンクリートを蹴った。
それを追うように、紅も同じく空へと駆け出す。
「隊長、私がやります」
そう言って彼女は速度を速め、彼の前へと出た。
近づくにつれて大きくなってくるその気配に真剣な目を浮かべ、足を進める。
「うわあぁぁあぁぁぁっ!!!」
少年の声が耳に届き、遅れる事数秒でその姿も視界に捉えることが出来た。
彼の背後に迫り来るものは仮面をつけた虚。
虚と少年の間に、紅は抜刀していた刀を投げる。
ヒュンッと風を切ったそれは的確に虚の動きを封じる事に成功した。
「私の管轄で好き勝手してくれないで欲しいわね」
地を踏みしめて少年を背後へと庇った紅は、睨みつけるように虚を見た。
動くはずのない虚の仮面に刻まれた目が愉快そうに微笑んだように思う。
「…貴様は…死神だなぁ…?」
質問のように思える言葉ではあったが、そこには確信があった。
虚の言葉に答えるでもなく、紅は口を開く。
「世間話をするつもりは全然ないのよ。…あなた、死神を三人ほど食ったらしいわね」
「…食ってやったぞ。弱い死神だったからな」
「弱いと言われようと…私にとっては大事な部下だったの。勝手に食わないでくれる?」
「それは悪いことをした。貴様の方が美味そうだ!!」
くくくっと喉で笑う虚に対して紅は不快感を露にした。
視界の端で日番谷が少年の魂葬を終えたことを確認すると、紅は鎖を握る手に力を篭める。
一気に腕を引けば、その鎖と繋がった刀が地面から抜けて彼女の手へと納まった。
普通の刀よりはやや短く、脇差よりは長いそれ。
「貴様も私の一部としてやろう!!」
高らかな宣言と共に襲い来る虚。
紅は臆する事なくそれを見据え、そして紡いだ。
「切り裂け『天狼』」
彼女の声に呼応するように斬魄刀の刃が大きく変化する。
鍔を拠点として何千何万と言う糸の様に枝分かれしたそれ。
紅が指を動かすのにあわせて波打つそれを見て、日番谷は目を細めた。
彼がそれを目にするのは、今で二回目だ。
「そんなか弱き糸如きで何が出来る!!」
嘲笑うように声を発して虚はより一層速度を速めた。
勝ち誇ったような虚の声に、彼女の眼差しの鋭利さが増す。
次の瞬間にはそれの脇を通るようにして、紅は虚の真後ろに居た。
「天狼の糸は鋼の如く。どれだけ足掻こうとも…他の斬魄刀をもってしても切れない」
紅は絡みつく無数の糸にもがく虚を冷たく見つめ、そう言った。
彼女の声はどこまでも冷たく…まるで身体の芯を貫くように。
「死をもって償ってもらう」
張り詰めた糸を指先で弾く。
ピィンと高い音を鳴らして振動が伝わり、そして虚を絡め取る部分まで届く。
瞬く間に物言わぬ肉塊と化したそれが消え去るのを見ながら、紅はただ黙した。
絡め取る標的を失った糸はその長さを縮め、やがてシュウウと言う空気の抜けるような音と共に元の姿に戻る。
「…知ってたのか?まだ広まってないはずだが…」
「今日、偶然耳にしました。せめて彼らの弔いとなればいいですけど…」
「そうか。…まぁ、ご苦労だったな。帰るぞ」
日番谷の言葉に紅も「はい」と答え、尸魂界への門を開く。
先に日番谷がその扉を通り、紅が続くとそれは静かに閉じた。
「ただ今帰りました」
執務室に入るなり、紅は明るい声でそう言った。
彼女に気づいた乱菊が仕事の手を休めて近づいてくる。
「お疲れ様、紅。隊長も。怪我は?」
「ありませんよ。任務の方も無事終了しました」
「そう。これで彼らも浮かばれるかしらね」
「そうだといいですね」
言葉を交わす彼女らの脇を抜けて、日番谷は自分の席へと戻った。
それを見た乱菊が紅越しに彼に声を掛ける。
「隊長、お疲れ様でした。総隊長がお呼びですよ」
「総隊長が…?」
彼女の言葉に日番谷の眉間に皺が入った。
「用件は?」
「さぁ…。私は伝言を承っただけですから」
「そうか。…行って来る」
そう言って日番谷は立ち上がる。
だが、執務室を出て行こうとした彼の背中を引き止めるように乱菊が声を上げた。
「隊長、紅も一緒に呼ばれてますよ」
「へ?…私も?」
思わぬところで出てきた自分の名前に、紅は思わず自身を指さす。
そうだとばかりに頷く乱菊を見て紅と日番谷は互いに顔を見合わせた。
「…とにかく行くぞ」
「あ、はい」
帰って間もなく出て行く二人を見送った後、乱菊は首を傾げた。
近くにいた隊員に声を掛ける。
「隊長はわかるけど…何で紅まで呼ばれるのかしら?」
「いつもの追いかけっこのお叱りじゃないですか?」
「…あれって怒られるほどのもの?それに…半年以上続いてるのに今頃って言うのも変よね」
「俺もそう思いますけどね…」
二人が出て行った扉を見つめながら、彼らは不完全燃焼の疑問を内部に残していた。
Rewrite 05.10.30