紅にとってはガラクタに見える山の前に、ポツリと座り込む男性。
白髪交じりの男性は、老人と呼ぶにはまだ早い。
しかし、小さく背中を丸めて作業に没頭する姿は、少しばかり老け込んで見えた。
「平賀、源外…か」
足元に転がっていたボルトを手に取り、そう呟く。
昔、今とは違う鬼兵隊の中に、平賀三郎と言う男がいた事を思い出す。
喧嘩をして飛び出してきたと言いながらも、父親の背中を見て、そして追い続けているような男だった。
ただのガラクタが彼の手で立派な物へと変化していく様子は、さながら魔法のようにも思えたものだ。
そんな彼も、もうこの世にはいない。
戦で死んだわけではなかったけれど、それが理由で命を落とした一人だ。
唯一の肉親であった母を殺され、紅は天人を憎んだ。
己の身体に半分流れる天人の血すらも、憎み続けていた。
形見を手に天人を斬る彼女と、ずっと父の背中を追い続けた三郎と。
似ているようで異なっている二人の間には、友好関係など殆どなかった。
元々、紅は自分の血筋のこともあり、仲間にも本当の意味で心を開いたことはない。
信じられたのは、片手で足りるような人数だった。
三郎の存在が彼女の中に色濃く残っているかと問われると、そこは肯定できない。
しかし、紅にとって他人の三郎も、源外にとっては大切な息子だっただろう。
その死を知らぬとは思わないけれど、わざわざ思い出させるようなことはしたくはなかった。
高杉がするというのならば、それを邪魔したりはしないけれど。
彼女は、空と言う自由を得ていながらも、高杉と言う世界の中に囚われていた。
カチャカチャと部品を組み立てる小さな音が、紅の優れた聴覚に届いてくる。
相手は気付いていない。
彼女は自身の存在を知らせることもなく、無音でその場から立ち去った。
祭り前独特の雰囲気をかもし出す町中を歩いていた紅。
ふと顔を上げた彼女は、すれ違いざまに男に腕を掴まれた。
「…あの?」
問いかける紅に対し、男は何も言わず、少し遠くにいる仲間と思しき人物を呼ぶ。
そして、彼は無言で紅の腕を引き、道の真ん中から逸れてわき道に入った。
後を追うようにして、もう一人男が現れる。
その時点で、彼女は漸く男たちが真選組の隊服に身を包んでいることに気付いた。
面倒になったな、と思いつつ、顔に出すのは戸惑いや不安だけ。
「でも、目撃証言と似通う点が多かったから、つい…!」
「馬鹿かてめーは。そんな女が迂闊に町中を歩くわけねーだろ。
第一、こんな箸より重いものを持ちそうにない女を捕まえて奴の仲間っつって、誰が信じるんだ」
追ってきた男は、紅を拘束する男の上司のようだ。
直属かどうかはわからないけれど、少なくとも反論を許さぬ空気がある。
すみません、と謝る対象を間違えている男を冷めた目で見た。
「あの、私…どうして―――?」
「悪いな。人違いだ。てめーも、俺に謝ってどうすんだ馬鹿野郎」
そう言って、やや強い口調で部下を叱ると、彼女の腕を離す様に命じる。
命じられるままに紅を解放した男は、彼女に向けて謝罪をした後、上司の男の言葉によりその場を去った。
残された紅は、それを見送りつつ、横目で男を見る。
面倒くさそうに煙草を銜え、火をつける様をぼんやりと観察した。
「誰と間違われたんですか?」
「…以前、幕吏を殺害した攘夷志士の仲間の一人だ」
「へぇ…物騒ですね」
「アンタにはとんだ迷惑をかけたな。…だが―――」
男が紅の腕を掴んだ。
「こんな手をして、冷めた目で俺たちを観察していたアンタを見れば、間違うのも無理はねぇな」
この男は馬鹿ではないようだ。
手の平を上に向けるようにして拘束された彼女は、焦るでもなく淡々としている。
演技と気づいている者に対し、それを続けるような無意味な事はしない。
「―――ほぼ、そうであると確信しているような口ぶりですね。あの人の反応も演技ですか?」
「アイツは気付いてねぇ。だが―――割と傷の治りは早い性質だろ、アンタ。
一見しただけではわかり難いが…それでも、剣だこは残ってるみてーだな」
大した洞察力だ、と感心する。
痛みを伝えない程度に掴まれた腕は、その気になれば簡単に解けるだろう。
と言う事は、この男は紅を捕らえるつもりはないようだ。
「確信していても、捕らえませんか」
「証拠となるのは80を過ぎた婆さんの証言一つだ。捕まえた所で証拠不十分。
釈放されるとわかってるの奴を捕まえるほど警察は暇じゃねーんだよ」
男は紅を解放し、煙草の煙を吐き出す。
そこには、思い通りにならぬ苛立ちも含まれているように感じた。
「…では、私はこれで」
ニコリと笑顔を浮かべ、紅は姿勢を正す。
踵を返して道に戻ろうと歩き出した彼女の背中に、男からの声が発せられた。
「アンタを捕まえるには証拠が足りねぇ。だが…アンタの仲間は、過ぎるほどに有名だぜ」
精々気をつけな。
その言葉を聞きながらも、紅は振り向くことなく人の波に消えた。
彼女の姿が消えたわき道で、男は煙草を吸い、吐き出す。
「…物騒な眼の女だな」
世界を諦めているような死んだ眼ではない。
あれは、自分の世界を知っている者の持つ、強い眼だ。
ああ言う眼を持つ人間は我が強く、思い通りにならないことこの上ない。
落ち着いた身なりとは相反する、十数年は剣を握ってきている手。
80を過ぎた老婆の証言を信じていたわけではなかったけれど、彼女を見た瞬間に確信した。
以前から、実しやかに噂されていたことがある。
それは、過激派の攘夷志士、高杉晋助が女の手練を一人、仲間にしているということだ。
男の中で、その噂が間違いではないことを、確信した。
「…高杉が江戸に来てる事は確かだな…」
敵である自分に対し、臆することなく背筋を伸ばし、真っ直ぐな目を見せた彼女。
脳裏に焼きついたその姿をもみ消すように、煙草の火を踏み消した。
「…思い出した。あの男…土方十四郎ね」
真選組の副長だ。
―――その座に相応しい行動をする…事も偶にあって、何人もの仲間が奴の手に落ちたんすよ。
姐さんも気をつけてくださいね―――来島が、そんな事を言っていたのを思い出す。
あの男がそうだと気付かない程度に聞き流していた為に、今の今までわからなかった。
まともに遣り合っていたとすれば、どちらも無事ではすまなかったかもしれない。
「…それにしても…目撃証言、ね。迂闊だったわ」
今までは出来る限り他者の目に触れぬよう行動してきた。
紅の存在が噂でしかないのは、彼女自身の努力の賜物と言っても過言ではない。
高杉が派手に動く為に、静かな紅の存在が霞んでしまうと言うのも確かだが。
これ以上町の散策をする必要はないと判断した彼女は、高杉の待つ宿へと向かって歩き出した。