始まりが何だったのか―――もう、記憶も朧気だ。
間接的とは言え母を殺した仇だったのかもしれないし、ただ気に入らなかっただけかもしれない。
いつの間にか人間ではない者…天人を斬って、斬って、少しばかり有名になってしまった。
名と共に顔が売れ、今では新しくやってきた天人ですら紅を知っているらしい。
天人の間でも情報が交換されるのか―――まるで、人間と同じだと思った。
「天人も人間も…所詮は同じ生き物、か」
斬られる前には恐れ、死ぬ前には恐怖する。
感覚が麻痺してしまっているのか、その顔を見ても躊躇することはなくなっていた。
戦が人の感覚を麻痺させるならば、刀は心に変化をもたらす。
それは恐怖であり、昂揚でもあった。
今しがた斬り捨てた天人を見下ろし、紅は小さく息を吐き出した。
これで、この付近の殲滅は完了したようだ。
殲滅と言ってもどこかの組織から命じられているわけではない。
ただ、根城にしていた付近に宇宙船が下りてきて、それに大量の天人が乗っていて。
そこそこ有名な紅と、一戦交えるつもりでやってきた天人。
その二つが揃えば、条件としては十分すぎる。
「結構大きかったな」
地に伏す天人の着物で刀の刃を拭う。
何千と言う血を吸っていながらも、白銀の刀身を濁らせることはない。
名刀、と呼ばれるに相応しいそれ。
映りこんだ自身の目を見つめてから、それを刀の鞘へと納めた。
名前が売れ始める前からずっと、この刀一つで自分の命を繋いでいる。
家宝だと聞いた覚えもあるけれど、果たしてどの程度の価値を持つものなのか。
そんな事を考え、紅は首を振った。
刀の価値など、斬れるか斬れないかで十分だ。
それ以上の価値は戦場においては無用の長物である。
「…ここも移るか」
死臭に埋め尽くされたそこは、最早根城としては使えない。
この臭いに誘われた天人が集まってくる前に移動しなければ。
疲労感を訴えてくる身体に鞭を打ち、根城にしている廃屋へと歩き出す。
予想以上に体力を消耗してしまっている。
ささくれた畳の上に腰を下ろしてしまうと、すぐには立てなくなってしまった。
心中で舌を打ち、座り込んだ拍子にガシャン、と音を立てた刀を腰紐から抜く。
壁のところまで這うようにして進み、土の剥がれたそこに背中を預け、膝を立てた。
そうして、刀を抱くようにして膝に額を乗せる。
失われた体力は休まない限り戻っては来ない。
下手に足掻くよりも少しだけ仮眠を取り、身体を動かせる状態まで持って行った方が良い。
本能的に…いや、今までの経験からそれを悟っている紅は、そのまま目を閉じた。
男は、廃屋の中に人がいることを理解していた。
噂を聞いてここまで足を運んできたのだが、どうやら当たりらしい。
その人物が持っているであろう独特の空気が、ピリリと男の感覚を刺激した。
死角からの攻撃にも対処できるようにと警戒を怠ることなく、慎重に足を進める。
気配を消し、息を殺し―――人の気配のする方へと、歩いていく。
その人物を見つけるのは簡単だった。
何故ならば、廃屋の中で生活を感じられるのは、その部屋だけだったのだ。
壁のところに凭れかかるようにして、蹲るその人。
やや赤みを帯びた黒髪は長い。
伸びたそれを結んでいる紐は汚れ、元の色がわからなくなっていた。
8畳ほどの部屋の中で、向かい合う辺の中ほどに位置する二人の距離は、近くも遠くもない。
男は一瞬、室内に入ることを躊躇った。
その理由が何なのかはわからない。
けれど、何故かその一歩を踏み出すことを、身体が拒んだのだ。
馬鹿馬鹿しい―――その躊躇いを振り払うように畳に一歩、足を踏み出す。
そこで、ずっと蹲っていた人物がバッと勢いよく顔を上げた。
男の目と、その人物の持つ緋色の目が交差する。
目が合った。
そう感じた次の瞬間には、その部屋の屋根が轟音と共に消え去った。
慣れた硝煙の臭いに気づくと、砲撃を受けたのだと言うことを理解するのにそう長い時間は必要ない。
崩れ落ちてくる天井により、視線を合わせた二人は互いの姿を確認できなくなった。
しかし、そんな二人の考えを遮るように、第二撃が打ち込まれる。
「…チッ!」
舌打ちはどちらのものだっただろうか。
廃屋を飛び出す足音が聞こえた時には、男も縁側を蹴って外へと飛び出していた。
そこにはいつの間にか大量の天人がいて、廃屋を囲うようにじりじりと詰め寄ってくる。
天人達の向こうには真新しい煙を吐く宇宙船が見えた。
砲撃はそこからの物らしい。
男が状況を把握していると、スッと視界の端を何かが走っていった。
それに焦点を合わせると、獣の尾のように自由に揺れる黒髪が目に入る。
天人の波へと突っ込み、流れるような動作で刀を振るう。
賞賛に値する動きに、男は軽く目を見張った。
どうやら、噂に違わぬ実力の持ち主らしい。
「面白ぇ」
呟いた声と、ドォン、と言う大砲の発射音はほぼ同時だった。
それを皮切りに、男も己の刀を抜き、地面を蹴った。
敵が同じだったから、いつの間にか共同戦線を張る形となっていた。
こちらが2人なのに対し、天人は数十…いや、100を越えているか。
圧倒的な差がついているというのに、負ける気がしないのは何故だろう。
紅は男の気配を背中の方で感じつつ、そう思った。
彼女は今、目の前の天人に集中している。
今ならばその背をばっさりと斬る事も不可能ではないだろう。
しかし、男はそうしない。
そして、紅もまた、男の背を斬る事が出来る位置にいる。
けれど―――やはり、紅もそうしようとは思わなかった。
大刀を振りかざしてがら空きになった胴を凪ぐように斬り、こちらに倒れてこないようにと向こうに蹴り飛ばす。
その反動を利用して、紅は後ろへと飛んだ。
とん、と背中にぬくもりを感じる。
「ガキがこんな所で何やってる?」
背中から声が聞こえた。
男性特有の低い声。
「…アンタには楽しく遊んでるように見えるのか?」
躊躇いもなくそう答える。
「いや。そんな格好で遊んでるって言うなら、そいつァただの馬鹿か気違いだ」
背中から聞こえる声が、笑いを含んだ。
そんな格好、と言うのは、天人の血に塗れた自分の姿を指しているのだろう。
男はそれ以上何も言わず、スッと背を放して自分の前の敵へと斬りこんで行った。
離れていく温度に、不安ではなく少しばかりの寂しさを覚えた。
こんな風に誰かに背中を預けるのは初めてのことだ。
悪くはないと思っている自分は、どうしてしまったと言うのだろう。
しかし、振り向くことはなく、紅も自分の前の敵へと集中する。
黒い尾が自由に揺れた。