空色トパーズ
Target  --012

隣の部屋からドタンバタンと騒がしい音が聞こえてくる。
壁越しに「ランボ!」と言う声が聞こえて、彼が騒ぎの原因の一端を握っている事を悟った。
あの年頃の子供は色々と我侭で、随分慣れて来たとはいえツナには荷が重い時もあるのだろう。
紅はメールを打っていた手を止めてパソコンを閉じ、やれやれと立ち上がる。
飴玉の一つも持っていけば、簡単に解決する―――その時は、そう軽く考えていた。
壁越しよりもドア越しの方が音が大きく聞こえている。
ノックの音も中の人間には聞こえていないらしい。
走り回る音、何かが倒れる音、ツナやランボの声。
ノックした手をドアノブにかけ、ガチャリとドアを開ける。

「綱吉、床が抜けそう―――」

言葉が中途半端に力を失った。
顔を上げた先、視界のど真ん中。
こちらに向かってくる黒いそれ。
その向こうに驚いた顔のツナが見えた。

「紅!!!」

彼の声を聞いたが最後、爆風が紅を襲い、彼女の身体は強い力に引っ張られた。












不快な浮遊感が続いたのはごく僅かな間のこと。
思わず目を閉じてしまった紅が次にそれを開いたときには、その感覚は完全に消え失せていた。
きょとん、と瞬きをする彼女の目の前には、男の人がいる。
彼もまた、驚いたように紅を見ていた。
その眼差しや顔に、あれ、と思う紅。
どこかで見たような気がするけれど、などと考えている紅よりも、男の方がいち早く状況を理解した。
小さな箱をスッとポケットに片付けた彼は、驚かせないようそっと静かに紅の手を取る。

「怪我はない?」
「え、えぇ…大丈夫」
「10年バズーカでここに来てしまったんだね。大丈夫、5分後には元の場所に戻れるよ」

穏やかに笑みを浮かべた彼を見つめ、紅はその声にも懐かしさを覚えた。
10年バズーカ…見たことはないが、話を聞いたことはある。
5分間だけ10年後の自分と入れ替わるもの。
と言う事は、ここは10年後の世界と言うことだろうか。
10年後、と考えたところで、紅は目の前の彼が誰なのかを理解した。

「綱、吉…?」

驚きのままにそう問いかけると、彼…10年後のツナが、柔らかく笑った。
優しすぎる笑顔は、それでも男らしさを秘めていて―――無意識に頬に熱が集まる。

「その姿は懐かしいね、紅」
「ほ、本当に綱吉なの?うわぁ…格好良く成長してる」
「そうかな?紅にそう言ってもらえると嬉しいよ」

10年前の中学生の彼ならば、間違いなく照れているだろう。
しかし、目の前の彼は嬉しそうに笑うだけ。
大人になったんだな、と思う。

「そうか…今日の事だったんだ」
「何が?」
「ううん、気にしないで。それより、10年後の世界を見てみたい?」

ツナにそう問いかけられ、紅は少しだけ悩んでから首を横に振った。
彼女が飛ばされたのはどこかの部屋の一室だ。
その造りからして、ごく普通の家の一室ではないことは明らかだ。
どこかの執務室のような雰囲気を兼ねるそれは、おそらく。
紅はその先を考えないことにした。

「先の楽しみがなくなっちゃうわ」
「…うん、紅ならそう言うと思った」

気分を害した様子はなく、寧ろ楽しげな表情を浮かべる彼。
若干の幼さを感じさせるその笑顔が、自分の知るツナの表情と重なった。
間違いなく彼らが同じ人間なのだと理解する。
同時に、強烈なデジャヴを抱いた。
未来のツナに“彼”が重なる。

―――彼?

紅は自分が考えた事に対して疑問を抱いた。
彼とは、誰の事だろうか。

「座って?お茶を用意する時間はなさそうだけど。お菓子ならあるよ」

彼はごく自然に紅の手を取り、椅子へと促す。

―――いつの間にこんな事を身につけたの?

頭の片隅の冷静な部分が、そんなことを考えていた。
自分の知らない部分があるなんて、当然のことなのだが。
お皿に乗ったお菓子を前に差し出され、そこから袋入りの飴を一つだけ手に取る。

「10年後の私がここに来たって事は…今も、“私”は綱吉の傍にいるのね」

ここと言う言葉が指す場所―――それは、ツナの傍。
紅の言葉を理解して、彼はうん、と頷いた。

「傍にいてもらわなきゃ。じゃないと守れないだろ?」
「綱吉…」
「あの時の約束は、忘れてないよ」

彼の言葉に胸の辺りがほんのりとあたたかくなる。
ただ純粋に、嬉しかったのだろうと思う。
けれど同時に、それが彼を縛り付けているのではないかと不安になった。

「綱吉。守ってくれるのは嬉しいの。でも、私のために何かを犠牲にしてくれなくていいのよ」
「犠牲?」
「誰かを好きになったなら、その人を守ってあげて」

中学生の彼ならば、まだ考えなくてもいいのかもしれない。
けれど、10年後の彼を自分が縛り続けるわけには行かなかった。
紅の目が不安に揺れるのを見たツナは、ゆっくりと首を振り、安心させるように笑う。

「安心して、紅。俺だって、いつまでも子供じゃないよ。大丈夫、心配しなくていい」
「でも…」
「この先を言うのは俺の役目じゃないから、黙っておくよ」

そう言った彼の目が壁際に置かれた時計を見る。
もう時間だね、と呟く声が聞こえると同時に、視界が白く染まり始めた。
まだ話したいことがあるのに、と顔を上げると、ふわりと額に口付けられる。

「素直になれるおまじない。いつか、きっと…ね」
「綱…!」

その名を紡ぐ途中でぐんっと引っ張られて、彼の姿が消えてしまった。













ボフン、と煙が晴れた視界に入るのは、少年。
それが見慣れたツナであることを理解し、彼もまた目の前の彼女が紅であると理解する。
同時に、二人が視線をそらす。

「も、戻ってきたんだね」
「…うん。こっちには10年後の私?」
「う、うん」
「…どうだった?」
「ど、どうって…!」

頬を赤くして戸惑うツナに、紅はクスリと笑った。

「言わないで。将来の楽しみがなくなっちゃうから」
「わ、わかった…」
「ランボはどこに行ったの?」
「飴をもらって出て行ったよ」

ツナの返事を聞いて、紅は自分が飴を握っていることを思い出した。
10年後の飴―――何だかとても貴重なものを手にしている気がする。
あれが夢ではなかったのだと証明するそれ。
紅はそれを握って立ち上がり、じゃあ、とツナの部屋を出て行った。
廊下に出た紅は、足音を立てないように、けれども急いで自室へと戻る。
半ば駆け込むように自室に入った彼女は閉じたドアに凭れるようにして座り込んだ。

「10年後って…駄目だわ」

あの姿を見て、どうして可愛い弟と思えるだろうか。
幼さの抜けた彼は、弟ではなく―――男だった。

「“大丈夫、心配しなくていい”―――か」

触れられた額が、熱い。

10.01.21