空色トパーズ
Target --007
「おはよう、ツナくん」
机に鞄を置いた所で、京子が笑顔で挨拶をしてきた。
ツナの斜め前の席が黒川花の席だから、彼女が近くに居ても何ら不思議ではない。
「おはよう」
「昨日はごめんね。忙しいのに、誘っちゃって」
「昨日…?あ、あぁ…大丈夫。気にしないで」
彼女の言う『昨日』と言う単語の示す意味がすぐに理解できなかった。
だが、それが放課後の誘いだった事を思い出し、すぐに大丈夫だと取り繕う。
そっか、と笑った彼女は、すぐに黒川との会話に戻った。
そんな彼女を見ていたツナだが、苦笑に似た表情を浮かべてから席に腰を下ろす。
今、目の前に居て、話しかけてきた彼女は、自分が恋している女の子だ。
いや、恋していた、あるいは恋していると思っていたと言うべきなのかもしれない。
彼女を見ているだけで幸せだと思っていた自分を思い出せない。
寧ろ、クラスメイト以上の感情すら浮かばなくなっていた。
これは、ツナ自身も薄々気づいていた事だ。
「俺にとっては…紅以上なんて、あり得ないんだ…」
誰にも聞こえないような小さな声の呟きは、あまりにも自然にすとんとツナの心に居座った。
彼女がいない寂しさを、誰かを好きだと言う感情で誤魔化していたのかもしれない。
もしかすると、本当に好きだったのかもしれないけれど…彼女が帰ってきた今、その感情は思い出せない。
紅―――心の中で名前を呟くだけで、胸のあたりがほんのりと熱を持つ。
まるで魔法の言葉みたいだ、と思った自分自身を隠すように、鞄から教科書を取りだした。
四時間目が終わる。
先生が教室を出るなり、獄寺と山本がツナの元に近付いてきた。
「10代目!いつもの屋上でいいっすか?」
「うん。今日は天気もいいしね」
母が用意してくれた弁当を持って、ガタンと席を立つ。
教室を抜け出して三人で歩いていると、不意に山本がツナの顔を覗き込んだ。
「ツナ、何か今日は機嫌がよさそうだな!なんか良い事でもあったのか?」
そう言って屈託なく笑った彼に、思わず瞬きをした。
機嫌がいいなんて、自分では意識していなかったから、わからない。
もしそう見えるとすれば、それは昨日の出来事が理由なのだろう。
「そうかな。いつもと変わらないと思うけど」
彼の言葉により多少自覚したにも関わらず、惚けるようにそう答えてしまった。
そーか?なんて声を聞きながら、屋上の扉を押す。
山本の自殺未遂以来、屋上の鍵が新しくされた。
にも拘らずこうして扉を開く事ができるのは、獄寺がピッキングで開けてしまったから。
何かにつけて器用な指先を持っている。
押し開いた扉の向こうから、ひゅぉ、と風が舞い込んでくる。
思わず目を細めた視界の中で、何かが動いた。
「…あ」
声が零れる。
それに気付いた獄寺がツナの後ろから扉の向こうを見て、同じく「あぁ!」と声を上げた。
「…紅、姉さん?」
彼に先を越される前にと呟いた声は、彼女の耳に届いたようだ。
フェンスに腕をかけるようにして向けられていた背中が振り向く。
「姉さん?って、どういうことだ?」
「あの方は10代目のお姉さまだ!」
後ろで山本が獄寺に尋ね、答えを貰っている声が遠い。
何で、姉さんが学校に―――と言うより、その格好は?
ツナの中で疑問ばかりが膨らむ。
だが、それは一切声として発せられずに、視線は彼女に釘付け。
彼女が自分と同じ学校の制服に身を包んで、この場所に居る。
ありえないはずの光景が手の届くところにあって、常に感じている年の差のもどかしさが一瞬でも消えた。
「ごめんね。来ちゃった」
「来ちゃったって…どうして?」
「殆どリボーンに連れてこられたようなものなんだけど…」
そう言って苦笑を浮かべた紅に、あぁ、と頷く。
彼女が自ら制服を着込むなんて、おかしいと思ったのだ。
リボーンの策略と知って尚、ツナの心中は忙しい。
彼女の格好が、彼女との距離を限りなくゼロに近付けてくれているような気がした。
「綱吉、そちらは?」
「あ!こいつは山本!俺の友達だよ」
獄寺の時とは違い、ごく自然に『友達』と言う単語が口を飛び出した。
どうも、と頭を下げた山本に、紅はにこりと微笑んだ。
「初めまして。沢田紅よ」
「ツナの姉さんなんだ?あんまり似てないんだな」
素直な感想に、心中で当たり前だと答える。
彼女とは血の繋がりなんてない。
あるのは、小さい頃はずっと一緒だったと言う、『家族』の絆だけだ。
込み入った話をする必要はないと考えたのか、彼女は「そう?」と笑うだけ。
「あ、綱吉。少し聞きたいことがあるんだけど…」
「何?」
「応接室ってどこにあるの?」
彼女の口から飛び出した言葉にぎょっとする三人。
そんな彼らの反応を見た紅は、きょとんと首を傾げた。
彼女の肩を掴み、真剣な表情を浮かべるツナ。
「雲雀さんに何かされた!?」
「ちょ…綱吉?何でそこで彼の名前が…。応接室イコール彼なの?」
「っていうか、応接室が風紀委員の活動拠点なんだ」
上から下まで三周と言わずに五周ほど視線を一巡させて、彼女に怪我がないことを知る。
安堵の表情で肩を放してくれた彼を見る彼女は不思議そうだ。
「応接室って委員会の拠点になるような部屋だったかしら」
「並中の風紀委員は異常な権力を持ってるから。風紀委員って言うか、雲雀さんが、だけど」
ツナの説明を聞いて、なるほどと納得する。
逆リンチの現場を目撃した紅だからこそ、彼の説明する内容が理解できたのだ。
“一般人”の中であれば、彼は畏怖すら覚える存在だろう。
紅からすればまだまだ成長途中だけれど。
「それより、何で応接室の場所なんか…」
「これを渡されて、今度来る時には応接室に顔を出してって言われたから…」
「風紀委員の腕章!?そんなの捨てて!!」
「いや、捨ててって…中々思い切った事を言うのね、綱吉」
まるで毒でも付着しているかのように、慌ててそれをもぎ取ろうとするツナ。
ひょいと彼の腕を逃れつつ、紅は少し驚いた様子でそう言った。
「雲雀さんに腕章を貰うって、何したの!?」
「何って…普通に、戦って―――あ」
これは隠しておくべきだったかもしれない。
その言葉が聞こえるや否や、ツナの表情が変わったから。
ツナが、迂闊だったな、と思う紅の肩を掴み、怪我は!?と問う。
「大丈夫。リボーン、私に怪我一つないって証言してくれるでしょう?」
「そーだぞ。紅は怪我一つねーな。雲雀には怪我させたが」
また余計な一言を、と心中で舌を打つ。
軽く青ざめるツナと、驚く獄寺と山本。
獄寺は「流石、10代目のお姉さま!」と驚きつつも喜び、山本は「強いんだなー」とのんびりしている。
「頼むから、無茶な事しないでくれよ…!」
「大丈夫なのよ、綱吉。私は強いんだから」
「リボーンが認めるから、それはわかってるけど!」
強いから進んで戦っていいと言うわけではない。
たとえリボーンが認めるほどに強かろうと、彼女を心配する事に変わりはないのだ。
切望するようなツナの目に、紅は苦笑いを浮かべ、彼の髪を撫でた。
「うん。じゃあ…努力するわ。心配しなくても、いなくなったりしないから」
大丈夫、と昔と同じように撫でてくれる彼女に、ツナは顔を俯かせた。
一度は消えた彼女と再会して、彼女がまた居なくなってしまう事に恐怖を覚えてしまっている。
こんな事では駄目だ―――強く、ならなければ。
俯いたツナの目が覚悟を秘めた事に気付いたのは、彼を見上げていたリボーンだけだった。
09.11.30