空色トパーズ
Target --003
子供が親に縋るように、ギュッと抱きしめる。
紅の身体は小柄な俺よりも小さくて、柔らかくて…鼻につかない優しい香水の匂いがした。
俺自身が成長した事によって、紅は“姉”じゃなくて“女の人”なんだと感じる。
身長はまだ俺の方が少し負けているのに、彼女は小さかった。
守らなくちゃいけない存在なんだって、改めて実感する。
「ねぇ、綱吉」
「……………」
彼女の声で名前を呼ばれる事が、心地いい。
まるで自分が特別な名前でも持っているような、そんな満足感が俺の中を占める。
「私、綱吉の顔が見たいんだけど…」
見せてくれないの?と問いかける声。
ずるい言い方だと思う。
離してくれと言われたなら、嫌だと駄々をこねられるのに。
顔を見せてくれと言われてしまったら、その望みを叶えてあげたいと思ってしまう。
俺だって、紅の顔が見たかったから。
ゆっくりと腕の力を緩めて行き、同時に身体を起こす。
手をついた時にベッドがギシッと悲鳴を上げた。
「ありがとう」
ベッドに座れば、紅も身体を起こした。
少し乱れた服と髪を整えて、そして俺の方を向く。
暫く無言で見つめあってから、紅が優しく微笑んだ。
「格好良く成長したね、綱吉」
女の子がほうっておかないでしょう、と笑う紅。
学校では女の子どころか男だって呆れるようなダメツナなんだって知ったら、なんて言うだろう。
「こいつは学校ではダメツナだからな」
暢気に紅の反応を考えていた所で、いきなりそれを暴露するリボーン。
俺に恨みでもあるのか、と言いたくなった。
だが、咎めるようにリボーンを見た所で、口を噤む。
何だか、機嫌が悪そうだ。
「ダメツナ?」
首を傾げる紅。
「運動も、成績も何をやらしても駄目。男も女も呆れてるぞ」
そう説明するリボーンに、獄寺がそんなことは、と止めている。
少なからず思う所があるのか、彼にしては控えめな動きで。
リボーンから事情を聞いた紅は、悩むように口を噤んだ。
そして、俺を振り向く。
「…綱吉。あなた、手を抜いてるのね」
…やっぱり、紅には気付かれるらしい。
やれやれ、と肩を竦めると、事情を理解していないらしい獄寺が不思議そうに俺を見た。
「良い子にしたって、紅が褒めてくれないんじゃ、意味がない」
「もう…せめて普通レベルの生活は送っておかないと。高校受験の内申点に響くじゃないの」
「…うん」
「良い子にしていろとは言わないわ。無理に頑張らなくていいけど、自分の出来る事はちゃんとしないと」
紅の言葉はすんなりと俺の中に入り込んでくる。
いつだって、紅は無理に頑張らせようとはしなかった。
出来ない事をやれとは言わなかったし、精一杯頑張れば良くやったって褒めてくれて。
沢田綱吉と言う人間そのものを認め、努力を認めてくれた人。
何年経っても、紅は変わっていなかった。
「勉強、出来ないの?」
「…大丈夫。次は…ちゃんとやるよ」
「そう。楽しみにしてるわ」
嬉しそうに笑って、俺の頭を撫でる。
昔もこうやって撫でてもらったなぁ、なんて懐かしく思う反面、子供扱いの現状を歯がゆく思う。
かといって、この優しい手を振りほどくのは…したくないと思ってしまう甘えた自分。
「あの、10代目…」
控えめに声を上げた獄寺。
あぁ、そうか、まだ紹介していなかったんだ、と彼の視線の先の紅を見てそれを思い出す。
「紅…姉さん。彼は獄寺くん。俺の…友達。で、彼女は紅姉さん。俺達とは二つ違いだったかな」
「は、初めまして!10代目のお姉さま!」
緊張した様子で背筋を伸ばした獄寺に、紅はくすくすと笑った。
「初めまして。普通に呼んでくれて構わないわ」
「じゃあ…紅さんとお呼びします!」
どうやら、彼の中では俺と同等の扱いになっているらしい。
それはそれでありがたいことだと思う。
彼の慕い方は少し重いときもあるから、出来れば紅には向けて欲しくない。
もっとも、紅の事を知ってからも同じように『俺の姉』と考えられるかどうかはわからないけど。
そこまで考えた所で、俺は自分がとんでもない事を見落としている事に気付いた。
それは、10代目と言う呼び名を、あまりに自然に受け入れている紅の様子。
友達だと紹介した相手からそんな風に呼ばれていて、普通に受け入れられるのはおかしい。
それは彼女が、俺がボンゴレの10代目候補だと知っている可能性を示唆していた。
可能性はゼロじゃない。
マフィアに誘拐されたはずなのに、生きてこの場に立っている紅。
そして、紅はリボーンの客人。
導き出された答えは、俺を愕然とさせた。
「紅、姉さん…」
少しばかり震えた声に気付いただろうか。
呼ばれて視線を向けてくれた紅は、すぐに俺の視線の意味を理解した。
そして、少しだけ困ったように微笑む。
「…何から…話せばいいのかしら」
離れていた数年間に戸惑っているのは、紅も同じだったのかもしれない。
いきなり第三者に事情を聞かせるわけにはいかない。
獄寺を帰すべきだろうと考えた俺が彼を見ると、彼はすぐに頷いてくれた。
少し突っ走ってしまう事もあるけれど、こう言う物わかりのいいところは、彼の長所だと思う。
「じゃあ、俺はこの辺で失礼します!10代目、また明日、学校でお会いしましょう!」
「うん、ごめんね。また明日」
彼を見送る為に、一階へと降りる。
ここで構いませんよ、と言った彼を玄関で見送って別れ、再び部屋へと戻った。
「随分と甘やかすんだな」
「可愛い弟だもの。いけないこと?」
「…弟、な」
「含みのある言い方ね。あなたが会いに来いって言うから来たのに…嬉しくなかった?」
「いや。そんなことはねーぞ。会えて良かった。元気そうで安心したしな」
「ふふ。私もよ。久しぶりだけど、元気そうで安心したわ」
少しだけ開かれたドアの隙間から、二人の会話が聞こえてきた。
紅の声が、気を許している人に対する優しさを帯びていると気付く。
同時に、二人の会話が対等な人間のそれに聞こえて、酷く心がざわめいた。
弟の枠を出られない俺と、対等な会話を許されるリボーン。
俺はこの感情の名前を知っている。
これは―――嫉妬だ。
子供が気に入った玩具を取り上げられて泣き喚くそれとは違う。
男女の…恋愛が絡んだ時に起こる感情。
なんとなく心の中に宿っていたそれが今、はっきりと形を作った。
紅が好きだ―――姉としてじゃなくて、一人の女性として。
認めてしまえば、ストンとパズルのピースのように心にはまるそれ。
「まずは“弟”から出ないとなぁ…」
これからすべき事、目下に迫る問題に、自嘲の笑みをこぼす。
それでも…その為の努力を惜しむ事はないだろう。
諦めることなんて、出来そうにないから。
09.11.19