羽化  05
--黒揚羽 番外編

「ディーノッ!!」

未だ嘗て、これほどに切羽詰った声で彼女に呼ばれたことがあっただろうか。
振り向くより前に、ドンと衝撃が自身の左脇から与えられる。
備えていなかった身体はその衝撃に負け、そのままコンクリートの地面へと転がった。
肺が縮んで呼吸が詰まり、一瞬世界が無音になる。
呼吸が整わないうちに、何かが圧し掛かるようにして自身の上に崩れ落ちてきた。

「ってぇ…。………紅?」

上半身を起こし、漸く自分の上に乗っている者に気付く。
うつ伏せるようにして、自分の声に答えない紅。
嫌な予感がした。

「おい、紅…?」

悪い冗談はよせよ、と心中で呟き、彼女の肩を揺らす。
同時に、ぬるりとした感触が手に付着した。

「ボス!銃声がしたけど、怪我はねーか!?」

駆け寄ってくる部下に目もくれず、ディーノはただ紅を見下ろす。
そうしている間に、灰色のコンクリートの上を赤が彩った。
徐々に広がるそれを見て、周囲に集まってきていた部下諸共言葉を失う。

「っ…医者だ!!すぐに手配しろ!!」

流石、一家の主。
誰よりも早く我に返った彼は、紅を抱き寄せながらそう指示を出した。
うつぶせる状態で背中に広がる赤に眉を寄せつつ、傷に障らない様気を配ってその身体をひっくり返す。
右鎖骨を中心に夥しい量の赤が溢れていた。
背中共に血が出ている所を見ると、弾は貫通したらしい。

「兎に角止血だ!ボス、支えててくれよ」

いつの間にかロマーリオがすぐ脇までやってきていた。
彼は二人の傍らに膝をつくと、真紅に染まった彼女のYシャツを脱がせ、それを引き裂いて止血する。
ぎゅっと裾の始末をした所で、ディーノが自身の上着を彼女の身体に着せた。

「ボス、コイツはどうする!?」

そんな声に、ディーノは顔を上げた。
部下が指しているのは、四方から銃を突きつけられている一人の男。
その扱いからして、そいつが紅を撃ったのだろう。

「生かしておけ。そいつから…このマフィアの全てを聞き出す。何が何でも聞き出せ」

普段の彼からは想像も付かないような鋭い眼差しに、部下は異論無く頷く。
殺すだけなら簡単だ。
しかし、ボスが求めているのは生きながらの苦痛。
ならば、自分達はそれを実行に移すまでだ。
大事な宝のような娘を傷つけた罪は、重い。

「ロマーリオ。ボンゴレにも連絡だ」
「医療チームを派遣してもらうのか?」
「当たり前だろ。すぐに手配しろ!」

紅を抱き上げながら、ディーノはそう声を荒らげた。
彼女の為ならば、いくらでも頭を下げてやる。
すでに意識のない彼女を抱いたまま車に乗り込み、病院へと走らせた。
















幸い大事な神経などは傷ついておらず、紅は命に別状は無いと診断された。
ただ、傷が癒えてもこの痕だけは残るだろうと、ボンゴレ直属の医者はそう告げる。
治療の終わった彼女は、キャバッローネの屋敷へと戻ってきていた。
彼女の自室にはいくつもの機械が置かれ、その細い身体へと繋がれる。
あの日からすでに三日。
紅の意識は戻らない。

「ボス、暁斗」

コンコンとノックの後、この数日開かれっぱなしの扉からロマーリオが入ってくる。
彼の声に、ベッドの両脇に椅子を置いて座っていた二人の視線が持ち上げられた。
何というか…こう、生気を失っているその目に、彼は苦笑する。

「そんな調子じゃ、紅が目を覚ました時に怒られるぞ」
「あぁ、そうだな…」

そう答えると、暁斗は紅の手を取る。
点滴の針を刺された肘が、何とも痛々しい。
尤も、肩から首にかけて巻かれた包帯の存在を思えば、そんなものは霞んでしまうのだが。

「あぁ、ボス。夕方にまたドクターが来てくれるらしい」
「そうか。それまでに目を覚ませばいいんだがな…」

そう言いながら、ディーノは立ち上がるとそっと紅の頬を撫でる。
あの時には酷い出血により、この頬からも血の気が引いていた。
今では通常通りとは行かずとも、その頬は赤い。
ディーノの様子を見ていたロマーリオは、溜め息と共に肩を竦める。

「ほら、俺が見ててやるから、1時間でも寝て来いよ」

そう言うと半ば強引に彼らを紅の部屋から追い出した。
何度も背後を振り返りつつ廊下を歩いていった彼らを見送り、椅子に腰掛ける。

「いつまで狸寝入りを続けるつもりだ?」

誰に言うでもなく―――いや、意識のない筈の人物に向けて、彼はそう言った。
紅の瞼が震え、ゆっくりと開かれる。
「ありがとう。彼らを部屋から出してくれて。言い出せなくて困ってたのよ」
苦笑を浮かべ、紅はロマーリオを見上げた。
似たような笑みを返してくる彼。

「調子はどうだ?」
「上々。と言いたい所だけど…痛いわ」
「まぁ、当然だな」
「そう…傷があるんだから痛みは当然よね。気にしないで」

訴えてどうなるものでもないとわかっているから、と告げる紅。
そんな彼女に、彼は頷いた。
そして、一際真剣な眼差しを浮かべて彼女を見る。

「紅」
「…何?」
「よくやった。ボスを守っての怪我は、マフィアとしては誇れる怪我だ」
「…そう言ってもらえた事と、ディーノが無傷だった事。これだけで、この怪我の価値は十分だわ」

そう答えて、紅は嬉しそうに微笑んだ。
きっと、ディーノ本人はこの考えをよしとはしないだろう。
逆に、ロマーリオがこんな事を告げたとあれば、彼はきっと怒る。

「ねぇ、ロマーリオ。私ね…ずっと、このファミリーに居場所を求めてた」
「………………………」
「今更、って思うかもしれないけど、それでも。だって、ディーノは私の前じゃボスらしくないでしょう?
だから…不安だった。言葉だけの繋がりは、いつ途切れるかわからないから」

彼は紅をファミリーの一員だと言ってくれる。
紅もまた、彼をボスと慕い、仲間を家族として想っている。
それでも、確かに自分はキャッバローネファミリーの一員なのだと言う、証拠が欲しかった。

「今回、ディーノ…ボスの命を守れたこと。これは私の誇りになる」

彼がボスの威厳を保つ事が出来ないとしても、自分は彼を守ることが出来る。
その事実が、紅を強くする。

「そうか…じゃあ、良かったな。お前にとっても」
「ええ。あと、問題があるとすれば…」
「ボスをどうするか、だな」

彼の言葉に紅は頷く。
首を動かせば、鎖骨付近も動いてしまったのか引きつるような痛みが襲ってきた。
思わず息を呑む彼女に、ロマーリオが心配そうに大丈夫かと問いかけてくる。

「ディーノに関しては、少し考えがあるの。上手くいくかはわからないけれど…」
「そうなのか?」
「それには、ディーノと一度話さなきゃ。…呼んでくれる?」

身体を動かさないようにそう問いかければ、彼は即座にOKの返事をくれた。
去っていく背中を目線だけで見送り、紅はふぅと息をつく。

「納得…してくれるといいんだけど…」

呟く声は、自身の耳へと届くだけだった。

06.12.31