羽化  06
--黒揚羽 番外編

ロマーリオがディーノを呼んで来てくれている間、紅は痛む身体を起こして背中にクッションの良い枕を挟む。
そうして一番楽に起きていられる体勢を作ると、彼の到着を待った。
本当ならば暁斗も呼んでもらうべきなのだろうけれど、彼が居ればきっと話がややこしくなる。
あえて彼を呼ばないようにと告げた時のロマーリオは、分かっていると言いたげな表情で苦笑した。
やや荒い足音が近づいてくる。
それにつられるようにそちらに視線を向ければ、ロマーリオが開けっ放していったドアから金色が飛び込んできた。
一番に目に入ったその金髪の明るさに目を細め、紅は笑う。

「ディーノ」
「紅…やっと目を覚ましたんだな」

よかった、と半ば縺れるようにしてベッドの傍らまでたどり着くディーノ。
彼は紅の頬に手を当てて、安堵の表情を浮かべた。

「心配させたね、ごめん」
「馬鹿野郎。それは俺のセリフだろーが…。悪――」
「いいえ、違うわ。ディーノが謝るのは、許さない」

すっと持ち上げた人差し指で彼の唇の動きを制する。
そうして、ベッドに腰を下ろしている分だけ開いた身長差を見上げた。

「キャバッローネ一員として、私は当然の事をしたの。その続きは…聞かない」

強い眼差しでそう言う。
続きを紡ぐ気配の無い彼に、紅はその腕を下ろした。
そして、改めて口を開く。

「今後、私は何度だってあなたを助けるわ。
あなたが私を部下だと思っていなくても…私はあなたをボスだと思っているから」
「紅…」
「命令でそれを止めるのは…私の存在理由を奪うも同然。…しないでね?」

先に釘を刺されれば、彼は紡ごうとした言葉を失う。
軽く舌を打ち、視線を落とせば紅は苦笑を浮かべて彼を見た。

「ねぇ、ディーノ。2つだけ…お願いしてもいい?」
「何だ?こんな、痕の残る怪我をさせて…何でも、聞いてやる」
「それを聞いて安心したわ」

にっこりと笑う紅。
そして、彼女はロマーリオに話した『考え』を実行に移すべく、脳内で手順を整理した。

「まずは、1つ目…。ディーノのこれを彫った彫師を紹介して欲しいの」

タトゥーの彫られた彼の腕を取り、その上に指を滑らせつつ彼を見上げる。
思いもよらないお願いだったのか、彼は驚いたように目を見開いた。
そして、自身のそれと紅とを交互に見る。

「彫師を紹介して…どうするつもりだ?」
「まさか、彫師にチェスのお相手を頼むわけ無いでしょう?頼む事と言えば…一つよ」
「…本気か?一生残るんだぞ?分かってんのか?」

質問に質問を重ねてくる彼に、紅はわかっていると一言答える。
それでも納得しそうにないディーノを見て、彼女ははぁと溜め息を吐き出した。

「銃創が残るなら、これを見る度にディーノは悲しい表情をするんでしょ?でも、私はこれを誇りとして残したい」

それが目的なら、他にも方法はあるだろう。
それでも、紅にはこれが一番だと思ったのだ。
譲るつもりは無い、と言う意思を露に彼を見つめれば、その反対意思が揺らぐのに気付く。

「ディーノが紹介してくれないなら、適当に探すわ。ヤブ彫師だったとしても…仕方ないわよね」
「…わかった。わかったから、自分で探すのはやめろ」

肌に刻み込むのだ。
命の危険は無いかもしれないが、下手な彫師に任せるのは断固反対すべき事。
半ば脅しのようにそう言った彼女に、ディーノは頷く以外に道を残されていなかった。
「良かった」と喜ぶ彼女は、純粋にそれを嬉しがっているように見え、自分は間違っていないと自身に言い聞かせる。

「もう1つはね」

そう言い出せば、彼の肩が面白いほどに跳ねた。
その後、姿勢を正すように背筋が伸びる。
先ほどのお願いが予想外だっただけに、今度もそんな度肝を抜くような何かが来るかもしれないと構えているのだ。

「鞭を教えて欲しいの」
「…は?」

拍子抜けしたように、彼は思わずそんな間の抜けた返事の声を発する。
先ほどは予想外だった。
今度も決して予想内だったとは言わないが、想像していたものとはまた別の驚きがある。

「鞭って…鞭か?」
「ええ。今回のようなことになった時、身を守れるだけの力が必要だと思ったの」
「…いや、お前は十分だったと思うが…」

あれだけの人数をその身一つで伸しておきながら、まだ不満があるというのか。
得物を相手から奪わなければならなかった事以外は、何も問題はなかっただろう。
しかし、紅は自分の武器になるものが欲しいのだと言った。

「銃は持たせてくれないし」
「危ねーからな」
「かといって、今回みたいに相手から奪ってたんじゃ時間が無駄だし」
「…あれでか?」

指折り現状の難点を挙げていく彼女に、冷静に口を挟むディーノ。
他にもあれもこれもと順に指を折っていたが、それはこの際省いてしまおう。

「一つくらい、何か欲しいのよ。自信を持てる何かが」
「鞭も危ないぞ?」
「師匠となる人がいい腕なのに…危ない使い手に育つ筈がないでしょう?」

ニッと口角を持ち上げ、紅は彼に向けてそう言った。
揺るぐ事のないその信頼を真っ向から受け、ディーノは頬を掻く。
結局、今回も残された返事は一つらしい。

「…引き受けた」
「ありがとう、ディーノ」
「お願いは2つでいいんだな?」

彼女が一度口にした事をそう易々と撤回するとは思わない。
しかし、一応確認の意味をこめてそう尋ねれば、彼女は少し弾んだ声で「ええ」と答えた。
どうやら、両方とも聞き入れてもらえた事が嬉しいらしい。

「…じゃあ、俺からの頼みだ」
「え?」

まさかそんな事を言い出すとは思っていなかったのだろう。
どういう意味だとでも問うような視線が彼へと向く。

「頼むから…これからは、俺の所為で怪我なんかしないでくれ」

彼の視線が紅の目から下っていき、その包帯を巻かれた肩の辺りで止まる。
あの時の事を思い出しているのか、その表情は硬い。

「ディーノ?」
「もう、あんな思いはごめんだからな」

そう言って彼が浮かべたのは、どこか儚い笑み。
笑みと共に頬を指先で撫でられ、紅は驚いたように彼を見上げた。
そして、彼の目を見て―――気付いてしまう。

「ディーノ…」
「彫師には連絡しといてやるよ。とりあえず、タトゥーはその傷が塞がってからだぜ」

ポンと頭を撫でられた時には、いつもの笑みに戻っていた。
彼はそれだけを伝えると、身体を休めろと言って有無を言わせず紅をベッドに横たわらせる。
そしてもう一度頭を撫でると、何も言わず部屋を出て行った。
引き止める時間すらない。
いや、きっと、引き止められることを拒んでの行動だったのだろう。






「ボス」

部屋を出て、扉を閉める。
バタンとそれが閉ざされた所で、ディーノは右側からそう呼ばれた。
振り向いた先には、とても今来たばかりとは思えない暁斗の姿。

「何だ、暁斗。盗み聞きか?」
「偶然だって。それより…」
「ん?」

何だよ、と笑って答えるも、暁斗の表情はどこか真剣だ。
その眉を寄せた表情が、彼の真情を表しているように見える。

「あんた、紅の事…」
「違う」

即座に答える彼に、暁斗は沈黙する。

「違うんだ、俺は…違う」

言い聞かせるように繰り返すディーノを見て、自身の予感が間違っていない事を悟る。
作った笑みを浮かべて去る彼の背中を見送ると、そっと溜め息を吐き出した。

「…紅にとってはボスはボスで、ボスにとって紅は―――」

答えを導き出さない方程式に、彼はもう一度深く溜め息を吐いた。




その一ヶ月後、紅の鎖骨から腕にかけてと、背中に美しいタトゥーが咲いた。
白磁の肌に蜜を求める黒揚羽が、鎖骨とその裏側に舞う。
それは、同時にキャッバローネの黒アゲハの誕生を意味していた。



羽化したのは、漆黒のアゲハか、それとも彼の者の心か―――。
その答えを知る者はない。

07.01.03