羽化 04
--黒揚羽 番外編
相手が女であることに驕り、ひと時であれ気を緩める者。
たとえ相手が誰であろうと、常に気を引き締めて掛かる者。
紅は、目の前の男が後者の部類であると、一目見て理解した。
やりにくい相手だ…と心中で思う。
「取引をしようじゃないか。キャバッローネのお嬢さん」
男よりはいくらか年下であるとわかるが、「お嬢さん」と言う言葉は喜ばしいものではない。
明らかにからかいを含ませるその声色がそれを助長しているのだろう。
「お前のボスを呼んでくれ。そうすれば、解放してやるよ」
解放も何も、手錠はすでに外れている。
そんな言葉を飲み込み、紅は沈黙のまま男を見上げた。
手錠の鍵を確認されれば一目で分かるのだが、外れているはずが無いと言う先入観に救われた。
いざとなれば動く事はできる、それは安心と言う感情をもたらす。
尤も、黒く丸い銃口がこちらに向けられている今は、それもできないが。
流石に自分の身体に風穴を開けるようなことをするはずも無い。
明らかに一般人ではないと分かる風貌の男達を一瞥して、紅は目を伏せた。
それは、取引をするつもりは無いと言う意識の表れでもある。
取引等せずとも、彼はこっちに向かっている。
「(お願いだから単独で乗り込んできたりしないでよね、ディーノ…)」
ふと過ぎった一抹の不安。
大丈夫だと拭い去る事のできないそれに、紅は心中で冷や汗を流した。
もし、彼が単独で行動していたとして…その時に、自分のピアスからの連絡が来たとして。
彼は部下との合流を果たすだろうか。
―――不安だ。不安で仕方が無い。
彼は、自分が部下なしにその素晴らしい運動能力を保持できない事を知らない。
良くも悪くも我らがボスは真っ直ぐな人で、回り道などと言う面倒なことをしない。
それらの事から考えると―――
「まずいわね…」
「あぁ?」
「何でもないわ」
呟いた声を拾い上げられてしまったらしい。
ドスのきいた低い声を発する男に、紅は淡々と答えた。
そんな彼女の反応に男のコメカミが揺れる。
どうやら、軽く地雷を踏んだらしい。
怯えを見せない紅の態度が気に食わないところに、自分などどうでも良いかのような反応。
誰でも腹が立っても可笑しくは無いだろう。
「今の状況分かってんのか…?」
男の声がより一層低くなる。
それにあわせるように、彼女に向けられる銃口の数が増えた。
今のところ、人質と言う事もありそれが火を吹くことはなさそうだが…この態度を続ければ、時間の問題だろう。
紅自身もそれを悟り、心中で苦笑した。
「(さて…どうするかな…。)」
自分は鉛をも弾く強靭な肉体を持っているわけでも、疾風の如き俊足を持っているわけでもない。
一発目を避ける事ができたとして、果たして二発目三発目が避けられるかと言えば、それも頷けない。
状況は決して良くは無かった。
それなのに、こうして冷静に構えていられるのは―――
「信じてるから、かな」
心の中ではなく、唇がそう紡ぎだした。
呟くような音量ではなかったそれに、相手の視線が怪訝なものへと変わる。
紅の心中の流れを読めていたわけではないのだから、その言葉の意図するところが分からないのも無理はない。
「信じてる、だと?この状況で、自分が生きて帰れることを信じてるっつーのか?」
「まさか。信じてるのは―――」
パァン、と、銃声一発。
倉庫唯一の出口であるそこにかけてあった鎖が打ち抜かれるのが、視界の端に映った。
続いて、両開きのそれがバンッと勢いよく蹴り開けられる。
「我らがボス、に決まってるでしょう?」
突然の侵入者に、一同の視線がそちらを向く。
完全に視界から外れた紅は、その隙を見逃さなかった。
一瞬のうちに一番近くに居た下っ端の首の後ろに肘を打ち込み、手に持っていた銃を奪い取る。
「この女…!いつの間に手錠を…!?」
誰かの声を耳でとらえつつ、立て続けに三発撃ちこみ、それら全てを別の下っ端三人の銃へと命中させた。
丁度良く飛んできたそれを左手で受け止め、先ほどから取引を持ちかけていたボスと思しき男に向ける。
が、すでに相手の銃口が自分に向けられている事を悟ると、そのまま側方へと地面を蹴った。
「紅!無事だな!」
「頭の流血以外はね」
転がった先に居たディーノと背中を合わせ、紅は彼の問いにそう答えた。
その間も右の銃がもう三発火を吹く。
そして、ガチンと弾切れである衝撃が手に伝わると同時に、それを迫ってきていた男の顔面に直撃させた。
「腕を上げたな!」
「ロマーリオの指導の賜物よ。ディーノは随分外してるわね」
予想通りだけど、と心の中で付け足しつつ、素早く周囲に目を向ける。
薬品類に関する知識以外に、本当に基礎的な戦闘能力しか持っていなかった紅。
マフィアに居る以上、そのままではまずいと、彼女を指導したのはロマーリオだった。
と言っても銃の扱い方と身体の動かし方程度で、それも付きっ切りではなく時間のある時だけ。
後は紅自身の努力の賜物と言えよう。
足元に転がってきた銃を爪先で跳ね上げて受け取る紅には、そんな事を思い出す余裕があった。
人間が動くに於いて最も重要な足。
そこを狙い、的確に打ち抜き、そして、落ちた銃をその人物から引き離すように蹴り飛ばす。
そうして動ける人員を確実に減らしていた頃、紅は視界の端に黒い塊を見た。
考えたわけではなく、咄嗟に身体が動く。
仰け反るようにして避けながら身体を捻れば、頬にピリッとした鋭い痛みが走った。
「避けるとはなぁ。どうやら、そこに突っ立ってる役立たずより遥かに使えるらしいな」
「生憎、うちのボスにはアンタみたいな小物は眼中に無いみたいよ。さっさと逃げたらどうなの?」
先ほどまでのあの冷たい態度とは一変。
挑発的な彼女に、男は軽く口笛を吹いた。
どうやら、紅本来の性格は彼の食指を動かしたらしい。
持ち上げられる口角に不快感を露にしつつ、彼女は今しがた真横に撃った弾を最後に空になった銃を一瞥する。
そして、それを男へと投げつけた。
「甘い!」
不意打ちでない攻撃を受けるほど相手も馬鹿ではない。
飛んできた銃を腕で払い、その向こうにいる紅を見る。
だが、そこに彼女の姿は無かった。
「どこだ………っ!?」
――カシャン――
見失った彼女の姿を探すべく彷徨わせた視線よりも更に速く。
銃を持っている腕、そしてもう片方の腕を背後に引き寄せられる。
同時に、乾いた音が響いた。
「はい、完了」
ドンッと背中を押され、本能的に手を付こうとそれを差し出す。
だが、何かに阻まれたように背中から戻らない手が地面に触れる事はなく、男は空しくも胸から地面に倒れこんだ。
「くそ!いつの間に…!」
ガチャガチャと背後で鳴る音には聞き覚えがある。
そう、それは彼女を捕らえていた手錠だ。
本来ならば目的を果たすべく、目の前で口角を持ち上げる彼女を捕らえているはずのそれ。
しかし、それは目的を見誤り、自身の腕を捕らえていた。
「手錠なんか持ってたのか」
「ずっと持ってたわよ、機を窺ってね」
ディーノにより見当違いの所に飛んだ弾が偶然にも相手の一人を撃ち抜き、漸くその場に静寂が戻ってくる。
彼の言葉に紅は得意げに頷いた。
自分が思っていた以上の成長を遂げている彼女に、彼は苦笑に似た笑みを浮かべる。
「悪かったな。俺の所為らしい」
「ディーノ。一家の主が部下に易々と頭を下げるもんじゃないわ。ボスの沽券に関わるでしょう?」
ピシリと彼の額を指先で弾き、紅は笑う。
つられるように顔を上げたディーノもまた、笑った。
痛みを堪える呻き声が聞こえる中、僅かに二人の空気が穏やかに戻る。
「皆はどうしたの?」
「あぁ、もうすぐ来るだろ。連絡はしてあるからな。―――っと、噂をすれば、だ」
出口の方を見ていたディーノが指差す。
そちらを向けば、彼の背中と、そして出口の外につけられた黒塗りの車が見えた。
見覚えのあるナンバーに、それがファミリーのものであると悟る。
それを視界に入れた所為だろうか。
どこか安心して、気が緩む。
そんな彼女の視界の端に、あってはならないものが映りこんだ。
向けられた銃口、その先に居るのは―――
「ディーノッ!!」
引き絞るような声と共に、紅は地面を蹴った。
06.12.28