羽化 02
--黒揚羽 番外編
「こんにちは」
カランと心地よいベルの音が二人を迎え入れる。
店の中は棚によって暗かったり明るかったりと忙しく変化していて、どうも目には悪そうだ。
受付と思しき場所に居た男性が、彼女の声に反応して顔を上げた。
「よォ、久しぶりだな。また大量に買い込んでくれるのか?」
「三ヶ月振りかしら。何か入ってる?」
「色々とな。それより…紹介してくれよ」
男性の視線がディーノの方を向く。
翡翠をはめ込んだような目に見られ、ディーノは棚に向けていた視線を彼へと返した。
「彼はディーノ。キャバッローネの10代目ボスよ」
「あぁ、アンタが跳ね馬か…。よろしく」
「よろしく。うちの部下が世話になってるらしいな」
「いや、こちらこそ。お得意様のお蔭で今日もいい売上になりそうだ」
クスクスと笑う彼に、紅は肩を竦める。
ここに来る時は、日本円で数十万以上使うこともある。
一度にそれだけの金を動かすのだから、お得意様と言われてもおかしくはないだろう。
彼とは数ヶ月の付き合いではないのだ。
「紹介が遅れたが…アルノルドだ。ボンゴレで世話になっている」
「ボンゴレの?」
「彼はボンゴレの情報屋よ。何か欲しければ、彼を介するといいわ。ボンゴレからの直通電話だと思えばいい」
すでに興味は棚の商品にあるのか、紅は薄暗い棚に視線を向けながらそう言った。
彼女の言葉にアルノルドは「直通電話とはあんまりだな」と笑う。
そんな彼の声を聞き流しながら、棚に並んだ植物を確認し、頷く紅。
「ここからここまで、全部貰うわ」
「さすが、目が高いな…その辺は今朝入ったばかりの一級品だぜ」
「通りで鮮度がいいと思ったわ」
なるほど、と頷きつつ、彼女は他の棚へと移る。
その目はどこか生き生きとしていて、まるで玩具でも貰った子供のようだ。
ディーノはそんな彼女に、研究は彼女の居場所を作るだけの物ではなく、ただ純粋に好きなのだと理解する。
「所で、アルノルド。何か変わった情報はある?」
「…無いこともないな」
「どんな?」
漸く彼女の飴色の目がアルノルドを映す。
そんな彼女に、彼はニッと口角を持ち上げた。
「俺の情報は高いぜ?」
得意げな笑みに、彼女はふぅと溜め息を吐きながら肩を竦める。
そして肯定の返事を口にしようと唇を開くが、それを制するように前に差し出された手にそのままで静止する。
「その情報はこの辺りのものなのか?」
「あぁ。そう遠くは無いな。アンタらの管轄内だな」
「なら、教えてくれ。金なら俺が用意する」
「ディーノ。それは私が…」
「紅。俺はボスとしてこの情報を必要なんだ」
分かるだろ?と言う視線を受ければ、紅は引き下がらずを得ない。
彼の表情が、ボスとしてのそれだったから。
「交渉成立だな。額に関しては、見合うと思う金額で構わない」
「随分親切だな」
「お得意様の上司とくれば、多少は…な」
そう言って片目を閉じてみせるアルノルドに、紅はふっと微笑んだ。
金にがめつい様な素振りを見せていても、情は厚い。
それが、彼だ。
「とあるマフィアのボスに女が出来たらしいな」
「………それが、何か問題あるのか?」
普通だろ、とディーノは首を傾げる。
確かに、マフィアの中で恋愛ごとがご法度と言うならば話は分からないではない。
しかし、跡取りを残す事を考えれば当然男女どちらの性別も必要となってくるわけで…ごく、自然の摂理だ。
「アルノルド、焦らすのはやめて」
「はいはい。そのマフィアはここらでも結構大きなマフィアでな…。
名を響かせる為に大物を狙うのは当たり前だろ?要するに、そう言うことだな」
「…全然分かり易くなってないわよ」
「惚けてんのか、本心なのか…。そのマフィアはキャバッローネだ。これで満足か?」
「………」
キャバッローネと。
その名前が出てくるとは思わなかった。
一旦静止すると、紅は隣に立つディーノへと視線を向ける。
何とも微妙な表情だ。
「…へぇ。オメデトウ?」
「おい。俺にそんな女がいねー事くらい、紅が一番よく知ってるだろうが」
「や、だって…アルノルドの情報だし」
「おいおい、それはまだ俺の情報じゃないぜ。マフィアの間の噂話だ」
ここからが重要、そう言って彼は磨いていた匙をカタンとカウンターの上に置いた。
そしてディーノに視線を向け、それを紅へと動かす。
「その女を狙ってる奴が居るって話だな。まだ動きは見えねーから、どのファミリーかはわからん」
ま、こっちだって根も葉もない噂だと言ってしまえばそれまでだけどな。
そう言って、アルノルドはポケットから取り出した煙草を唇に挟む。
だが、室内の環境を考えているのか、それに火をともす事はなかった。
「紅、上の花屋で暁斗に土産でも買ってこい」
「…は?何でまた暁斗に土産なんて…」
「いいから、行けよ」
トンと背中を押されれば、彼女とて動かざるを得ない。
不可解そうに眉を寄せるが、隣にあった棚を指してアルノルドを振り向いた。
「こっちの棚の分も全部。支払いはいつも通りでお願いするわね」
「OK。いい花を選んでもらえよ」
そうして、アルノルドとディーノに見送られ、紅は元来た道を戻る。
カンカンと響いていた靴音が完全に消え去ると、ディーノは短く溜め息を吐いた。
「紅の事か?」
「腐ってもボス、ってところか。これで気付かねーようなら、二度とこの店の敷居を跨がせないつもりだったぜ」
「あぁ、そりゃよかった」
どこがどう良いのか。
表情は全くそう言っておらず、寧ろ真剣そのもので眉間には皺すら刻まれている。
そんなディーノを横目に、アルノルドは紅に頼まれた棚のほうへと歩き出す。
「すぐに動き出しそうか?」
「さぁな。どこのファミリーかの予想も付かないんだ。動くのはまだ先だと思うが…」
どうかね、と小首を傾げてみる。
とても可愛らしいと思うものではなく、ディーノは特に気にした様子も無く思案顔を浮かべる。
「アイツの事を随分と大事にしているみたいだな。ここらでも、噂だぜ。お前さんたちは」
「……………」
「恋人じゃねーってんなら、不必要に近づかない事だな。
アイツはお前の弱点になる。例え真実がそうじゃないとしても…誰も、わかっちゃくれねーよ」
「そう、だな」
「それでなくてもアイツの事は9代目も気にかけてる。ま、頭の隅にでも置いておいてくれ」
彼の言葉が終わるのが早かったか、ガシャーンと何かが割れる音が響くのが早かったか。
その判断は難しいところだった。
「何の音だ!?」
「上だ!!」
ダンッと受付のカウンターを飛び越えると、アルノルドはわき目も振らずに駆けて行く。
地理的な点で遅れを取ったディーノだが、彼も急いでその後を追った。
何度か躓きそうになる場面もあったが、さほど遅れを取る事無くアルノルドに追いつく。
彼の背中越しに見えた店は、ガラスと言うガラスが粉々に吹き飛んでいた。
「おい、何があった?」
「あぁ、アルノルド…やられたよ」
花屋の店員である女性は、忌々しげに髪を掻き揚げた。
彼女に怪我は無いようだが、店の損傷は激しい。
それを見回したディーノは、不意にある事に気付いた。
あるはずのものが、ない。
「紅は…紅はどうした?」
恐らく、彼の中ですでに答えは出ている。
しかし…確認せずにはいられなかった。
彼の言葉に、女性は眉間に皺を寄せて俯く。
そして、足元にあった少し大きめのガラス片を足で踏み潰した。
「…連れて行かれたらしいな」
「あぁ。目当てはあの子だったらしいね…油断したよ。予想外の優男だった」
アルノルドの言葉に女性は頷く。
その答えにディーノは舌を打つと、即座に携帯を取り出した部下に連絡した。
半時間も経たずに、この事はファミリー全員に知れ渡るだろう。
06.12.14