黒揚羽
Target --096
「え?紅…?」
どうして、と言葉が詰まった。
彼女はまだ病院にいるはずで、こんな所にいるべき人ではなくて。
戸惑いの表情を浮かべたツナに、紅は微笑んだ。
そう、とても綺麗な表情で。
「勝手に、無理やり連れてこられたの」
前部分がかなり強調されていた。
とても綺麗な表情は、実はとても怒っている表情だったらしい。
説明と呼ぶには短い答えを返した後、彼女は小さく息を吐く。
「とても丁寧な物腰ではあったけれど…あれは強制だわ」
「…紅?」
紅が溜め息と共に呟いた言葉に続くように、雲雀の声が聞こえた。
ツナにとっては出来れば聞きたくなかった声だ。
彼の不機嫌が自分の方に回って来たらと思うと、口元が引きつる。
「随分と身勝手な事をしてくれるね」
雲雀がそう言った相手は紅でなければツナでもなかった。
彼の目は、チェルベッロの一人を睨みつけている。
「こうしなければこの場所にあなたを呼ぶのは難しそうでしたので」
「…原形を留めずぐちゃぐちゃにしてやりたいよ」
吐き捨てるようにそう言った雲雀は、大股で紅に近付いた。
「さっさと病院に帰りなよ」
「それは許可しかねます。今夜の戦いは紅様にも見届けていただかなければなりません」
ピシッと空気にヒビが入った気がする。
雲雀の目は、一人といわずに数人は射殺せそうな空気を帯びていた。
怒りの矛先が無差別になりそうだ、と慌てたツナは、雲雀をとめようと勇気を振り絞って一歩踏み出す。
しかし、彼が何かを言う前に、紅が雲雀を制した。
「関係があるのは確かだから」
文句の声は出ない。
紅の空気が、有無を言わさないものだったから。
黙り込んだ雲雀は、やがて諦めたように息を吐き出した。
不機嫌な様子は相変わらずだけれど、とりあえず帰らせようとするのはやめたようだ。
パッと見た感じではいつもと変わらない様子。
だが、月明かりの下でもわかる顔色や首元から見える包帯により、いつもとは違うのだとわかる。
彼女はやはり、無理をしてこの場所に立っているのだ。
辛いならせめて座れば良いのに―――そうするとツナが気にしてしまうから。
何となくそう感じたツナは、罪悪感でいっぱいになった。
「私はね、ツナ」
ふと、彼女は彼の心を読んだように絶妙なタイミングで口を開く。
「目の前の事実だけを見て、真実を見落とすような馬鹿じゃないの」
ある意味、直接的ではなく、抽象的な言葉だった。
けれど、ツナは理解する。
この怪我はツナの所為ではない。
怪我を負わせたのがツナである事に間違いはないけれど、原因は別にある。
それをちゃんとわかっているのだと。
気にしないで、とは言わなかった。
けれど、心が軽くなった。
不意に、紅が何かに反応して顔を上げる。
そこに現れたのはXANXUSだ。
彼は始めにツナを見て、そして紅を見て嘲りの表情を消した。
無、と言っても差し障りはない。
紅とXANXUSは9代目の子供。
けれど、半ば睨みあう二人の間に血の繋がりを見出す事は難しい。
それはツナにも言えることで、いくら見比べてみようとも、やはり二人に似ている部分などなかった。
そんな中、紅がゆるりと歩き出す。
逃げるでもなく彼女が近付くのを見ていたXANXUSの前へと立つ彼女。
数秒間、二人は正面から視線を合わせて―――そして。
「紅!?」
ツナは思わず声を上げた。
彼の視線の先で、紅が身体を折って蹲っている。
何かをされたわけではない、彼女が、したのだ。
引きの動作も何もなく、彼女は唐突にXANXUSを殴った。
平手打ちなんて女性らしい攻撃ではない。
はっきりとした敵意を持って、彼女は握った拳を思い切りその頬にぶち当てた。
その勢いたるや、傷口が開いても無理はないと納得できてしまうほどだ。
「あ、んたの顔を見たら…絶対一発殴ってやるって、決めてた…!」
途切れ途切れにそう告げる彼女の目に浮ぶのは怒り。
未だかつて、彼女がこれほどに怒る姿を目にした事があっただろうか。
紅って怒るんだ…場違いな感想も致し方ない。
一方、殴られた本人であるXANXUSは驚いていた。
昨日の怪我で死ぬかと思った相手が生きていた事に多少は驚いたが、そこはさほど大きな問題ではない。
死に損ないに出来る事など何もない、と高をくくって、彼女が近付いてくる事も気にはしなかった。
その結果が、これだ。
油断、確かにそう、彼は油断していた。
けれど、少なくとも女性に殴られるほど気を抜いていたわけではない。
それなのに、容赦なく殴られた。
怪我の所為で上手く身体が動かなかったのか、男性の力には及ばない程度の衝撃。
もし、彼女が万全の状況であれば…体制を崩す程度はしたかもしれない。
「…一発で十分なのか?」
プライドは十分すぎるほど傷ついた。
だが、ここで逆上すれば、残ったプライドも意味をなくす。
XANXUSはなけなしの自制心を掻き集め、口元に小さく笑みを浮かべて見せた。
ほんの少し引きつった笑みだった事を知るのは、彼本人だけだろう。
「ご希望なら何十発でもぶん殴ってやるけど…あんたの相手は私じゃない」
そう言って、紅は身体を起こしてふらりと来た道を戻る。
そして、ツナの隣に立ち、その肩に手を置いた。
「任せたから」
「…うん!!」
ツナの肩に乗せられた手は、震えていた。
顔に出さず、けれど無理をする彼女に返せることと言えば、これくらいしかない。
「リボーン、頼んだよ」
「あぁ。思い切りやってこい」
雲雀と何かを話している彼女を見つめ、リボーンに声をかける。
全てを理解したリボーンはただ一度、しっかりと頷いた。
10.07.25