黒揚羽
Target  --092

―――おりてきて、今すぐに。

そんな内容のメールが携帯に届いたのは、朝の5時。
クロームを送り届けてからもずっと、骸の言葉を考えていて殆ど寝ていない紅は、そのメールに眉を寄せた。
眠気を訴える頭には、命令口調の端的なメールが少し不快だ。
自分は大人で彼は年下。
そう言い聞かせ、起きたくないと言う身体を無理やり起こす。
前約束もなく女性を呼びつけようというのだから、少しくらいは待ってもらおう。
ベッドのぬくもりに後ろ髪を引かれつつ、服を着替えて髪を整えた。
のんびりと時間をかけて準備を整え、携帯だけを持って部屋を出る。
早朝でも機能しているエレベーターに乗り込み、1階のエントランスを抜けた。
ガラスの自動ドアを抜けた先に、彼はいた。

「随分と自分勝手なメールね」

挨拶もなくそう言うと、バイクに凭れるようにして背中を向けていた雲雀が振り向く。
遅かったね、とは言われなかった。
振り向いただけで何も話そうとせず、ただじっと紅を見つめる彼。

「…それで?私に何の用事?」

目と目で会話できるわけがない。
紅は溜め息と共に本題を求めた。

「今日…僕が戦って、この戦いは終わる」
「…そうね」

昨夜、確かにXANXUSはそう言った。
雲雀が勝てば、彼は素直に負けを認めると。
紅はツナたちのように、これで全てが終わるのだと楽観視出来ない。
今夜の戦いは、何かが起こる―――直感と、そして骸の言葉から、それを確信している。

「終わらないと思うけれど、終わるはずよ」
「終わらない?」
「…XANXUSが素直に負けを認めるなんて、信じるほど馬鹿じゃないわ」

これで終わるはずがない。
そう断言した紅に、雲雀は、そう、と呟いた。

「終わらないなら、ここに来た意味はないね」

そう言った彼は、そのまま自己完結して話を終えようとする。
バイクに跨ろうとする彼を見て、思わずその名を呼んだ。

「あなた何のためにここに来たの?」
「…明日の戦いが終わったら話を聞く、そう言おうと思っただけだよ」
「そんな事のために、わざわざ?」

紅は怪訝そうに眉を顰めた。
そんな話は、終わってから紅を呼べばいいだけの事。
普段の彼ならば前もって約束を取り付けるような面倒な事はしない。
自分の思うままに、相手の意思などお構い無しに行動するだろう。
そんな彼を知っているからこそ、今回の行動が解せなかった。
雲雀は紅の表情を見て、やれやれと溜め息を吐き出す。

「…君に会いに来た、とでも言えば、君は僕を見る?」
「―――」
「…冗談だよ。君がそんな安い言葉に動く簡単な女だったら、僕の興味は当の昔に消え去っているはずだ」

女性独特の弱さがなく、決して他人に依存しない姿勢。
一人でも生きていける孤高の精神力を持っていながら、他人と共存する道を選んでいる。
彼女は跳ね馬の下にいながら、同じ空気を持っていると感じた。
人を惹きつけ、そして受け入れる懐の広さ。

「君は僕に間違えていると言ったけど…やっぱり、僕は君が好きだよ」
「…雲雀…」
「でも君は…僕がそう言っても、嬉しそうにはしないんだね」

困った顔ばかりだ、と苦笑する彼が、表情には出ていないけれど傷ついているように見えた。
一歩彼に近付こうとして、以前言われた言葉を思い出す。

―――手の届く範囲に来たら無理にでも引き寄せるよ。それが嫌なら、近付かない事だ。

思わず足を止める彼女に、雲雀は「正解だ」とばかりに口角を持ち上げる。

「そうして、僕の言葉を覚えていて、僕を意識するといい。いずれ―――」
「どうして」

彼の言葉を遮るようにして、紅が声を重ねた。

「どうして?」
「好きだから」
「違う!どうして私なの?」

初めて出会った時、紅は決して雲雀が惹かれるような行動を取っていない。
興味を惹かれる行動を取った自覚はあるけれど、その興味が思慕に変わるのが納得できなかった。

「あなたは知っているわよね?私の本来の姿は既に成人しているし、イタリアンマフィアの一員よ。
あなた以上に多くの戦いを知っているし…人も、殺しているわ」

殺さなければ殺される世界を生きている。
ディーノは紅に殺しをさせようとしないけれど、その優しさを受け入れてこなかった。
抗争にも参戦し、銃で命を奪ったこともある。
この薬で人が死ぬ事を知りながら、報酬と引き換えに毒薬を渡した事もある。

「強い事があなたの興味を惹くきっかけだった事は、わかるわ。けれど、好きと言う感情は興味じゃない」
「…僕も、聞きたいね」

黙って紅の話を聞いていた雲雀が、ゆっくりと口を開いた。
意志の強い目に見つめられ、言葉を飲み込む紅。

「君は、ただの一度も僕に興味を持っていない?僕の傍にいたのは風紀委員に引きずり込んだから?」
「それ、は―――」
「僕は他人に興味がなかったからね。きっと、君ほど多くの感情を持っていないだろう。
けど、興味が好意に繋がらないと断言する君の言葉は間違っているとわかる」

雲雀の言葉を聞きながら、紅はふと気付いた。
もしかすると、彼とこんな風に深い言葉を交わした事はなかったかもしれない。
傍にいて、日常的な言葉を交わした事は何度もあった。
けれど、いつだって一線を画して、決して踏み込まない踏み込ませない会話ばかりをしていた気がする。
自分は、自分が思うほどに雲雀と言う人を知らなかった。











「―――ごめんなさい。私、今はあなたの事を考えたくない」

少しの間を置いて、紅がそう首を振った。
考える事が多すぎて、頭が痛くなってくる。
けれど、異常を来たす思考回路の中でも、優先すべきなのは今夜の事なのだと理解していた。

「もう、いいよ」

溜め息と共に彼がそう呟いた。
どこか諦めたような声に、紅は胸の辺りに鉛を呑んだような重さを感じる。
罪悪感―――とは少し違う気がした。

「君が沢田綱吉を心配している事は知ってるし、状況が悪い事もわかってる。
今この時に僕の事を優先しろなんて愚かな事は言わない」
「………」
「顔色、悪いから。ちゃんと寝なよ」

そう言った彼の手が紅へと伸びる。
思わず身体を硬直させる彼女だが、その手は彼女に触れる事無く雲雀の元へと戻っていった。
自分の手をじっと見下ろした彼は、やがてぎゅっと手を握りこむ。
そして、改めてバイクに跨った。

「僕の戦いに関しては、心配しなくていい。君は後の事でも考えてなよ」
「雲雀!」

エンジンを吹かせて走り出そうとした彼を呼び止める。

「怪我…しないで」

彼女の言葉に、雲雀は不敵な笑みを浮かべてからバイクを走らせた。
小さくなる背中を見つめ、紅は近くのベンチに座り込む。

「逃げるなんて…」

馬鹿みたいだ、と自嘲した。
考えたくないなんて、逃げ以外の何物でもない。
わかっていたはずなのに、自分が一番嫌う方法で自分自身を守ってしまった。
暫く顔を手で覆っていた彼女は、やがてゆるりと身体を起こす。

今考えるべきなのは雲雀の事じゃない。
咎めもせず、逃げる事を許した雲雀。
今はただ、彼の優しさに甘える事にしよう。

10.07.11