黒揚羽
Target  --091

紅が少し遅れて体育館に姿を見せると、そこはやや緊迫した空気に包まれていた。
原因と思しきクロームは、紅の姿を見るなり小走りに駆け寄ってくる。

「紅さん」

小さく微笑んだ彼女に、紅はスッと腕を持ち上げてその頬を撫でる。

「怪我は駄目よ?女の子なんだから」
「…はい」
「頑張ってきなさい。大丈夫、あなたには“彼”がついているわ」

後半部分は、きっとツナたちには聞こえなかっただろう。
優しく背中を押され、クロームは元の場所に戻っていく。
体育館の中心へと歩いていく彼女を見送ってから、ツナが紅を振り向いた。

「紅はやっぱり、知っていたんだね」
「…偶然よ」
「そっか。紅は…秘密ばかりだね」

敵だとは思っていない。
けれど、彼女が抱える秘密の多さに、少しばかり寂しさを覚える。

「…ごめんね、ツナ」
「ううん。あの子の事を知っていたなら、紅はあの子を戦わせる事に反対しない?」

そんなツナの問いかけに、紅はちらりと獄寺を見た。
恐らく一番強く反対したのは彼。
骸を重ねてしまう要素が多く、故に信用できない。
その気持ちもわからなくはないと、紅は小さく苦笑した。

「もちろん。私にとって、クロームは大事な子よ」

骸と関わりなく出会っていればどうなったかはわからない。
けれど、彼女が骸との繋がりを持つ以上、紅が彼女を拒む理由はなかった。
もちろん、それだけが受け入れる理由に繋がるわけではないけれど…紅は、クローム自身も気に入っている。
「そっか」とどこか安心したように小さく表情を崩すツナ。
大人になりきれない身体が背負う重責を垣間見た紅は、何も言わずツナの肩を叩いた。
大丈夫―――声なき言葉は、彼に届いただろうか。








骸の幻術を知っているからこそ、その違いがよくわかる。
決して下手と言うわけではないし、稚拙とも言えない。
だが、骸に敵わないその能力は、経験の差なのか彼女の持つ資質の差なのか。
否応無しに、骸の能力値の高さを感じる。
優勢に見えたクロームだが、徐々に形勢が傾く。
彼女の精神を支える要とも言える剣を砕かれた時、紅は彼女とマーモンの戦いの勝敗を悟った。
それは同時に、彼とマーモンの戦いの幕開けでもある。

「内臓を、幻術で…そんな事が…?」
「可能よ。彼、ならば」

聞こえた声に振り向くと、紅は薄く微笑んでいた。
懐かしさを感じるように目を細める彼女を見た瞬間、ツナの感覚が動く。
同時に、クロームの身体が霧に包まれ始めた。

「六道骸が!!骸が来る!!!」

もう大丈夫。
紅は勝敗を気にする事無く、霧の中から現れた骸の姿を見つめた。














骸の優勢が傾く事無く勝敗は決し、マーモンは逃げた。
こちらに向かって歩き出す骸を見て、紅がツナたちの横を抜けていく。

「あなた、なんて無茶を―――」

自分を実体化するなんて、並みの力で出来る事ではない。
勝つため、そしてクロームの生命を維持するためには仕方のない事とは言え、紅の心中は複雑だ。

「彼を勝者にし、あなたを傷つけさせるわけにはいきませんから」
「…それでも…」
「僕にとってあなたは何よりも大切です。きっと…あなたが思っているよりもずっと」

骸はそう言って静かに微笑む。
しかし、言葉が終わるか終わらないかと言うところで、彼の姿がぶれた。

「骸…っ」

時間がないのだと理解した。
咄嗟に彼の腕に指先をかけると、彼は困ったように笑う。
そして、時間を引き延ばすように、きゅっと眉間に皺を寄せたまま、彼女の耳元に唇を寄せた。

「ボンゴレの研究を…思い出してください」
「え?」

真意を問う前に、彼の身体が傾ぐ。
思わず手を伸ばした紅の腕の中に倒れこんできたのは、骸ではなくクロームだった。
骸の気配が消えた事を知り、小さく唇を噛む。
しかし、紅はすぐにクロームの呼吸や身体を確認した。
失われた内臓も、再び彼の幻覚によりそこに存在している。
呼吸も安定しており、ただ眠っているだけのようだ。
その事に安堵した紅は小さく息を吐き、クロームの身体を抱き上げる。
犬や千種と帰る場所が同じなのだが、彼らは彼女を連れ帰ったりはしないだろう。
骸以外の全てを拒む彼らにとって、骸と繋がっていながら本人ではないクロームの存在が認められない。
その気持ちを知っているからこそ、彼らに無理を強いようとは思わないのだ。

「紅、彼女は?」
「大丈夫。眠っているだけよ」
「そっか…。……骸、は?」
「………」

ツナの言葉に、紅は哀しげに目を伏せた。
恐らくはそれが答えになっただろう。

「彼女は私が連れて帰るわ。家は知っているし、今夜は様子見のために私の家に置いていきたいから」
「家、知ってるんだ」
「私が借りてるマンションに住ませてるのよ。女の子を廃墟で暮らさせるわけにはいかないでしょう?」

紅がそう言えば、ツナは納得したように頷く。
それから、彼は言いにくそうに視線を彷徨わせ、やがて口を開いた。

「明日は、その…雲の守護者の対決で…」
「…漸く雲雀の出番、ね」

紅の言葉に、ツナが一度、深く頷く。
彼は何が言いたいのだろうか。
雲雀の心配?それとも自分が雲雀を心配しているかと?もしくは、勝負の鍵を握る彼の実力?
心根の優しい彼だから、どれも間違いではない気がした。

「雲雀は強いから、安心していいわ」
「!…う、うん」

心中を見透かされたと感じたのだろうか。
彼は驚いたように目を見開いてから、そう頷いた。

「ごめんなさい、この子を休ませてあげたいから…」
「あ、ごめん!俺、引き止めちゃって…」
「心配な気持ちはよくわかるから…気にしなくていいわ。じゃあ、また明日、ね」

クロームを抱えているから手を振ることは出来ない。
紅は笑顔を一つ残して、真っ先に体育館を後にした。










「ボンゴレの研究を思い出せ―――か」

夜空の下、紅は帰路を進みながらそう呟く。
最後の最後でそう告げた骸の言葉が、今回のリング争奪戦に関係のない事だとは思わない。
何かしらの繋がりがあるからこそ、ギリギリまで彼女にそれを伝えようとしたのだろう。

「ボンゴレの研究…」

今まで多くの研究に携わってきた。
それは薬品関連から、武器の製作まで様々だ。
化学のみならず物理にも長ける紅は、開発部門の権威。
ボンゴレからの要請も決して少なくはない。
その全てを思い出せと言う事か―――いや、違う。

「最近の研究の事…?」

骸は、一体何を求めているのだろうか。
月を見上げ、自身の記憶を探った。

10.07.10