黒揚羽
Target --085
「…そう」
全てを話した後、紅はただ一言、そう呟いた。
クロームは居心地悪そうに膝の上で手を握る。
「骸はまだ囚われたままなのね…」
安っぽいティーカップを見下ろしながら、瞼を伏せる紅。
彼の罪が消える事はない。
ましてや二度も脱獄を重ねていれば、より深い場所へと移されるのも無理はないだろう。
出来る事ならばもう一度やり直すチャンスを与えてほしいと思うけれど、掟がそれを許さない。
「今も骸の声が聞こえるの?」
「…はい」
「私の声も、彼に届いている?」
「…骸様は、私が見たものを共有しています」
表に出る事を制限されているけれど、クロームを通して世界を見る事は出来る。
紅は少しだけ悩み、店内へと目を向けた。
店は建物の空きスペースを利用して作られたらしく、随分と複雑な形をしている。
二人が居る席は、他の席やカウンターからは見えない構図になっていた。
だからこそ、この席だけ呼び鈴が用意されているのだろう。
「クローム。今、骸と変わる事は出来る?負担になるならば必要ないわ」
「…待ってください。骸様に聞いてみます」
クロームはそう頷くと、そっと瞼を伏せた。
彼女は骸とどんな言葉を交わしているのだろうか。
紅はただ、二人の結論を待った。
やがて、彼女の目がゆっくりと開かれる。
「―――骸」
「お久し振りですね、紅さん」
姿形は変わらない。
けれど、紅には彼女の中の骸の存在がわかった。
「随分と顔色が悪い。ちゃんと眠っていますか?」
「…心配してくれるのね。私は…あなたに何もしてあげられないのに」
クロームの、いや、骸の手が紅の頬を撫でる。
その手がひんやりと冷たく感じるのは、彼が光すら届かない深い場所に投獄されているからだろうか。
哀しく瞼を伏せる紅に、彼は薄く微笑んだ。
「あなたが気にする事ではありません。僕の罪をあなたが背負う必要はないんですよ」
「…いいえ、私はそう思わないわ。少なくとも、私はあなたと無関係でいたつもりはないもの」
今でも、彼を止められる位置に居た一人だと思っている。
知らなかった事など言い訳にはならない。
紅の言葉に骸は困ったように笑う。
「…あなたにそんな顔をされたら、自分の行動を悔やみたくなりますよ」
「………人を殺した事を、後悔していないの?」
「している、と言えば嘘になりますね」
紅は彼の言葉を聞いて、その表情に影を落とした。
そんな彼女を見て、彼は心中で自嘲の笑みを零す。
また、だ。
彼女にこんな顔をされてしまうと、全てを投げ出してしまいたくなる。
彼女は、自分が彼に対してこんなにも影響力を持っているのだと気付いているだろうか。
「紅さん。僕はまだ、あなたにとって弟でしかありませんか?」
「え?」
「もうあなたに手を引かれる子供ではありません。それでも、あなたにとっては弟ですか?」
唐突な問いかけ。
紅は先ほどの表情を消し、ぱち、と瞬きをした。
そして、彼の問いかけの意味を考えてみる。
自分にとっての骸は―――過去は、確かに弟のようだった。
誰にも懐かず、いつも一人を好んで行動していた少年。
手を差し出せば戸惑いの表情を浮かべ、けれど最後にはその手を取ってくれた。
「沢田綱吉の勝利があなたをボンゴレから解放する―――だから、僕は彼の守護者になりました。」
「…骸…」
「XANXUSの企みは、きっとあなたを傷つける。本当ならば、僕が傍で守りたい」
クロームの身体を借りるのではなく、骸として彼女の隣に立ち、守りたいと思う。
けれどそれは叶わない。
「あなたは何を知っているの?」
「………話す時間は、ないようですね」
紅の質問に答えようとした骸だが、不意にその表情を歪めた。
クロームの身体を借りるにしても、長い時間留まる事は難しい。
忌々しい、骸は心中で舌打ちした。
「クロームはまだ未熟です。紅さん、この娘を頼みます」
クロームの中に居る骸の気配がぶれるのを感じた。
紅は思わずその手を掴む。
まだ、骸はそこに居る。
「骸。私…昔はあなたの事を弟のようだと思っていたわ。今は―――何と言えばいいのかわからない。
でも、私が頼りに出来る数少ない人よ。あなたの求める答えではないかもしれないけれど…」
全てを伝えられるようにと、早口でそう告げた。
すると、彼の目が最大限に見開かれる。
そして、彼は穏やかに微笑んだ。
「今はまだ、それで十分です」
紅の手を取り、そっと口付ける。
骸、と声なく呟いたところで、彼の気配が消えた。
ぱちぱちと瞬きをするクローム。
「お帰りなさい、クローム」
「…ただいま。……骸様と話せましたか?」
「…ええ、ありがとう」
紅は笑顔でそう言うと、自然な仕草で握られたままだった手を解く。
そして、そのまま呼び鈴を押し、やってきた店員にいくつかケーキを頼んだ。
「甘いものは好き?」
「…はい」
「そう。よかったわ」
クロームは静かに紅を見つめた。
穏やかで、優しい人。
二人が何を話したのかはわからない。
けれど、骸の気配がとても落ち着いているのを感じた。
改めて、彼女の存在の大きさを感じる。
犬や千種では埋められなかった穴を、過ぎるほどに補える人。
「私…頑張ります」
突然の決意表明にも似た言葉。
紅はきょとんとクロームを見て、それからクスリと笑った。
「うん。頑張って。でも、無理をしなくていいのよ」
そう答えて、届いたケーキをクロームに差し出した。
10.05.05