黒揚羽
Target --080
下校途中、紅は見慣れない男に呼び止められた。
いや、見慣れていないというだけで、知らない男ではない。
「…また10年バズーカを使ったのね?」
そう呟き、苦笑を浮かべる。
「酷いですね、紅さん。俺がここに居るのは俺であり俺ではない俺の所為なんですよ」
「知らない人が聞いたら、凄くややこしい話ね」
「ええ、全くです」
深く頷いた彼…この時代のランボの10年後の姿である彼は、ゆっくりと紅を見た。
「それにしても…懐かしい。お久しぶりです、紅さん」
「…10年後の私とは会っていないの?」
「紅さんは随分前に日本を離れてしまいましたからね。前にお会いしたのは…一年以上も前でしたか」
「へぇ…」
意外だわ、と呟く。
確かに紅が属するキャバッローネの本拠地といえばイタリア。
紅が日本を離れる事は何も不思議ではないのだ。
しかし…今の紅の心境としては、違和感を覚えるものでもある。
「10年後か…想像するのは難しいわね」
「そうですね」
「―――その憂いは、今夜のこと?」
不意に、紅がそう話題を切り出した。
驚いたように目を見開き、そして苦笑を浮かべるランボ。
「紅さんが哀しむ必要はないですよ。あなたの所為じゃない」
「……どうし―――あぁ、そうか。10年後のあなたは知っているのね」
紅の言葉に、彼はただ一度だけ頷く。
10年も経っていれば、彼が知っていたとしても不思議ではない。
もちろん、彼だけではなく…守護者全員が知っていると見て、間違いはないだろう。
「紅さん。俺は―――」
ボフン、と小規模な爆発の音がした。
目の前が煙に包まれるのを見て、時間切れか…と呟く紅。
今まで彼が居た場所にはこの時代を生きる5歳のランボが居た。
彼は周囲をきょろきょろと見回してから、漸く紅の存在に気付く。
「あ、紅発見!!お菓子寄越せー!!」
喧しく足元に付きまとうランボに、紅は深々と溜め息を吐き出す。
とりあえず、あまり煩いのは好きではない彼女は、ランボが得意ではなかった。
会う度に喧しくされる事に嫌気が差した彼女は、彼を追い払う為にお菓子を使ったのだ。
結果として、ランボの中では 紅=お菓子 と言う方程式が成り立ってしまった。
先ほどまでのまともな会話はどこへ…と思いながら、鞄に手を突っ込んだ。
指先に当たったそれを拾い上げ、ぽいとランボに投げてやる。
危うくもそれをキャッチしたランボが目を輝かせた。
「ブドウのアメだもんね!!紅のお腹は太っちょー!!!」
「…ランボ。誤解を招くような事を言わないでくれる?」
この平たい腹を見て、どこが太いというのだ、失礼な。
ランボの嵩高い髪を掴み、ニコリと微笑みかける。
「そう言うのは太っ腹って言うの。わかった?」
「太腹!」
「別腹みたいに言うんじゃない。…指を指すんじゃない」
子供独特の短い指が紅の腹を指す。
制服の上にベストを着ているから、出ていようが引っ込んでいようがわからないと言えばわからない。
だが―――いや、こんな子供に言い聞かせても無駄か。
自分自身をそう納得させ、彼を解放した。
そして、もう1つ握っていたアメを彼の手に握らせる。
「ほら、これを持って家に帰りなさい」
ツナが心配するわ、とランボの背中を押す。
すると、彼は紅の予想外の行動を取った。
小さな手が、彼女の制服のスカートを掴んだのである。
「ここどこ?」
これが、子供によくある迷子だと気付くまでに、少し時間を要してしまった。
やがて、掴まれたままのスカートを見下ろし、深々と溜め息を吐き出す。
「ツナの家まで送ってあげるわ」
わかっているのかいないのか、ランボはきょとんとした表情で首を傾げて見せた。
インターホンを鳴らし、相手の反応を待っている間にランボが家の中へと飛び込んでいった。
鍵は開いていたようで、無用心な…と思っている内にも、室内が騒がしくなる。
「うわ!ランボ!!どこに行ってたんだよ!!探したんだからな!って言うか、お客さんだから放せって!!」
ツナの声だ。
恐らくは、駆け込んでいったランボが彼に飛びついているか何かなのだろう。
見ている分、聞いている分には微笑ましい。
バンッと勢いよくドアが閉じられる音がした。
多分、ランボをリビングかどこかに置いてきたんだろうな―――と考えていた所で、玄関が開く。
「はい―――って、紅?」
「こんにちは」
ひらりと手を振った紅に、ツナは驚いたような顔を見せた。
インターホンを鳴らした人物が彼女だとは、想像もしていなかったのだろう。
つま先で地面を蹴って靴を履きながら、ツナが門の所まで歩いてくる。
「どうしたの?」
「用は…あったんだけど、先に飛び込んで行っちゃったみたい」
「飛び込んでって…ランボ?」
「そう。迷子になってたみたいで」
ここまで連れて来てくれたのだと理解したツナは、慌てたようにごめん、と謝る。
弟でも何でもないと言うのに、彼はランボの為に頭を下げる。
中学生と言う幼さから考えると、彼はよく頑張っていると思った。
「別に構わないわよ。少し…騒がしかっただけ」
「アイツ、本っ当に煩いからなぁ…。でも、ありがとう。探したんだけど、見つからなくて」
「探したって…この近辺を?結構近かったんだけど…」
「…いや…またかくれんぼだと思って、家の中だけ…」
それでは、いくら探しても見つからないのは当然だ。
苦笑を浮かべた紅に対し、彼はバツが悪そうに頬を掻く。
そして、ふと真剣な表情を見せ、玄関の方を確認した。
ランボの声が遠いことを確かめてから、紅に一歩近付き、口を開く。
「あの、さ…」
「…今夜のことでしょう?」
「うん。そう。………なんで、ランボが戦わなきゃいけないんだろう…。あんな…子供なのに」
「…そうね」
「ランボが、昨日のお兄さんみたいに…。こんなの、絶対間違ってるよ」
心根の優しい少年は、自分のものではない痛みに傷ついていた。
紅はそんな彼を見つめ、安心させるように微笑む。
「ええ。間違っていると思う。けれど、止められないの。
だから…あなたは、自分の思うようにしたらいいんじゃないかしら?」
「紅?」
「知っているように、私はあなたよりは10年は長く生きているの。子供の尻拭いは大人の役目なのよ。
尤も…センセも居るんだし、悪いようにはならないと思うけれど」
安心して、と呟き、ツナへと手を伸ばす。
子供をあやすのと同じように彼の頭を撫でれば、3秒ほど間を置いて慌てて飛び退いた。
顔を真っ赤にするツナを見て、クスクスと笑う。
「1つ。良い事を教えてあげるわ」
「な、何?」
「京子のお兄さんには、私がコルネロに薬を届けておいたの」
私の薬は効くわよ。
そう言って、ニコリと笑顔を見せる。
きょとんとした表情で言葉の内容を繰り返し、そして理解するツナ。
ありがとう、と言うお礼と共に向けられた屈託のない笑顔に、紅は自分が安心させられるのを感じた。
「―――だから、9代目はあなたを選んだのね」
「え?何?」
「何でもないわ」
09.02.22