黒揚羽
Target --079
「ねぇ、もし…私が、とても大切なことを隠しているとしたら。
それを話した時、あなたは私から離れてしまうのかしら」
どこかから話題が繋がっていたわけではなかった。
唐突にそう発言した自分に、彼は珍しく驚いていたように思う。
それもそのはず。
こんなことを言われれば、誰だって戸惑ってしまうだろう。
「…何の話だ?」
「たとえ話だと思ってくれればいいの」
答えて?と先を促す彼女に、彼、ランチアは先ほどの言葉を反芻する。
たとえ話だと言い訳するものは、たとえ話ではなく実話であることの方が案外多いものだ。
無意味な行動をとらない彼女だからこそ、恐らくこの言葉は実話。
つまり…彼女は、何か話すことの出来ない事情を抱えていて、それに不安を抱いている。
ランチアは、彼女が常日頃から後ろめたさを感じていることを知っていた。
ファミリーの一員でありながら、ボスから外の任務を預かることの出来ない人間。
彼女は自分のことをそう思っている。
ボスにはボスの理由があり、ファミリーの中のことを任せているのだが、そこまでは考えが及ばない。
皆の役に立ちたいと思っているのに、外に出ることを許されない自分に、もどかしさばかりを感じている。
誰一人として、彼女を役立たずとは思っていないというのに。
「―――内容による」
彼は数十秒間言葉を選び、結局そう答えた。
この答えは尤もだ。
何か大切なことを隠していて、それを聞いた時に彼女の元を離れるか。
その答えは、大切なことの内容により変わってしまうものなのだから、仕方がない。
彼の言葉に、紅は小さく苦笑を浮かべた。
「怒るか…戸惑うかもしれない、そんな内容」
喉から零れ落ちてしまいそうだと思う。
いっそ、隠すことなく全てを打ち明けてしまいたい。
そう叫ぶ自分がいて、それを抑え込むのに苦を労した。
「…一概には答えかねるが…」
「ええ」
「お前はお前だろう」
例え彼女が何を隠していようと、自分には関係ないだろう。
彼女が彼女であると言う事実は変わらず、共に過ごしている時間も偽りではないのだ。
今ここに居る紅が嘘をついて自分を接しているとは思っていない。
目の前の彼女が紅だと、頭ではなく、感覚が理解している。
彼女自身が実は悪魔で、自分の命を取りに来た―――とでも告げられれば、流石に戸惑うだろうけれど。
「…そう。………ありがとう、ランチア」
いつの間にか、それも周囲の思い違いから生まれた二人の距離。
けれど、始まりがどうであれ、繋がっていた日々は、いつしか本当のものへと変化…いや、進化する。
二人の関係は、まさにそう言ったものだったのかもしれない。
サングラス越しに晴のリング戦を見つめる紅。
友人の兄が危険に晒されているにも関わらず、自分の脳内はマイペースだ。
過去のことを思い出している暇など、ないはずなのに。
「彼らは…何と言うのかしら」
ツナは驚いて、けれども信じて納得してくれるかもしれない。
彼はとても優しくて素直な少年だから。
そんな彼に説得されて、獄寺や山本も、例え文句があったとしても口を噤むだろう。
それは、ツナの考えに流されているからではなく、彼らの中に確固たる信頼関係があるから。
リボーンは…話す必要はない。
彼は、全てを知る人物の一人だ。
ディーノと、暁斗と…この場に来ていないXANXUSと、それから。
紅の隠し事を知る者は決して多くはない。
けれど、数人―――片手で足りるか足りないかと言う人数が、それを知っている。
いつか話さねばならないその時がきたら…自分の生活は、どう変化するのだろうか。
ふと、その時のことを考えた紅の表情に、憂いのそれが浮かんだ。
ルッスーリアと笹川では、越えてきた死線の数が違う。
中学のボクシング部と言うだけの笹川がどうこうできる相手ではないのだ。
結果は決まっているのだと思った。
大丈夫だといったリボーンの自信に満ちた目を見れば、もしかすると、と言う可能性も抱いていたけれど。
それでも、本能的な部分では、やはりツナたちが勝つことは難しいだろうと思っていたのだ。
闇を生きる者に、敗北など許されはしない。
ヴァリアーと言う組織を知っているからこそ、紅は手を握り締めた。
二人を照らしつける照明が破壊され、サングラスなしに二人の様子が見えるようになる。
すでに使えなくなっている彼の左腕から流れ落ちた血が、ぽたりとリングに落ちるのが見えた。
「紅、お兄さんが…っ」
紅が冷静すぎたからだろうか。
ツナは、まるで助けを求めるかのように、震える声で彼女を呼んだ。
「…とめることはできないわ。でも…命の危険があれば、その時は…」
本当は、止めてはいけないけれど…それでも、友人の兄を、見殺しにするわけにはいかない。
そんな時が来たならば、マフィアの黒アゲハとしての自分を殺し、ただの雪耶紅として動こうと決めている。
ディーノにも迷惑をかけることになるけれど、彼はきっと笑って大丈夫だと言ってくれる。
―――深く考えんなよ。紅は、紅らしく。好きに動けばいいんだからな。
ファミリーを優先する彼女だからこそ貰えた言葉なのだろう。
そんな彼の言葉に背中を支えられ、時に押されて。
紅は今、この場所に立っている。
凛と背中を伸ばし、目を背けることなく戦いを見守る紅。
そんな彼女の隣で、同じく戦いに視線を向けつつも、暁斗の意識は別の所を警戒していた。
不意に、彼の視線が別の場所を見た。
誰よりも早く状況を把握した彼は、紅の背に手を伸ばす。
そして、肩の辺りで垂れていたファー付きのフードを彼女の頭にかぶせた。
「暁斗?」
突然フードをかぶせられた紅は、不思議そうに彼を見る。
彼はしぃ、と人差し指を唇の前で立てた。
そして、その手でとある方向を指差す。
そこにはこちらに向かって歩み寄ってくる人影が二つ。
リングに残った照明が届く範囲に入った二人は、紅がよく知る人物だった。
「京子…花…」
名を呟いた声は、囁き程度のもので、隣に立つ暁斗にすら届かないものだった。
何故、無関係であるはずの彼女たちが?
そう疑問を浮かべると共に、暁斗の行動に感謝する。
彼女たちに、自分の存在を知られるわけにはいかない。
彼女たちが何も知らないからこそ、数少ない学友として交友する事が出来るのだ。
幸いだったことは、彼女の存在に驚いたツナが、二人が去るまで紅の存在を思い出さなかったことだろう。
彼が紅を思い出していれば、間違いなくその名を呼び、彼女がここにいることを教えてしまっていただろうから。
笹川の右の拳がルッスーリアを打ち破ったその時も、紅はただ沈黙して事の流れを見つめ続けていた。
08.11.30