黒揚羽
Target --077
数分前から、引っ切り無しに震える携帯電話。
着信の主は、恐らく暁斗だろう。
約束の「3時間」を越えてしまっているのだから、連絡があってもおかしくはない。
このままだと別の所にまで被害が及びそうだな、と思いつつ、電源ボタンを長押しする。
無言で震えていた携帯が沈黙した。
「電源を切っちゃって大丈夫なの?」
男の声が、やたらと甘くそう問いかけてくる。
慣れてきたとは言え、そう言う人間と親しくなるのは初めてと言う紅。
少しばかりの溜め息を吐き出してから、その人を見た。
「じゃあ、帰してくれる?」
「あら、それは駄目よ。ボスの命令なんだから」
ウインクの一つでも付属してありそうな声だ。
生憎、目元はサングラスによって隠されていて、それは見えなかったけれど。
いや、この場合は…幸いに、と言うべきか。
男なのに女のような口調と仕草の…いわゆる、「オカマ」を脇に従えつつ、今度こそ長い溜め息を吐いた。
慣れてしまいそうな自分が嫌だと思う。
「まったく…本部が動いても知らないわよ、私は」
「あなた一人のために本部が動くの?不思議な娘ねぇ」
ソファーで足を組む紅を、遠慮なく見下ろす彼。
名は…ルッスーリアと言ったか。
紅が隠している事実は、ごく一部の者しか知らないものだ。
ヴァリアーの中でも、知っているのはXANXUSくらいだろう。
恐らく、スクアーロも知らされていない。
今後、XANXUSが触れ回ると言う可能性も皆無だ。
「一つ言っておくけど…実年齢はあなたとそう変わらないわよ」
小娘扱いされたのでは堪らない。
スッと目を細め、紅はそう言った。
その言葉に、ルッスーリアが少し間を置いてじろじろと紅を見る。
頭の天辺からつま先まで、まるで舐めるような眼差しを向ける彼。
「ふぅん…変わった子ね」
病気ってわけでもないみたいだし。
と呟く彼に、紅はそれ以上は何も言おうとしなかった。
わざわざ教えてやる必要性を感じない。
そして、沈黙すべく視線を逸らす。
「黒アゲハは開発局の権威だよ」
どこからともなく声が聞こえた。
男物だが少し高く…そう、子供のようなそれだ。
視線を動かした先に、黒いフードをかぶった子供がいた。
子供…そう、見た目は子供だが、そこにリボーンと似た空気を感じる。
即座にそれを悟った紅は、子供と侮ることなく、そこにいるのは大人とした態度を取った。
彼女のまとう空気からそれを理解したのか、フードの彼はフン、と鼻で笑う。
「頭は悪くないみたいだね」
「…誰?」
「失礼な質問だけど、答えてあげるよ。僕はマーモン。君はボスが連れてきた黒アゲハだね」
XANXUSに連れて来られた覚えはないけれど。
そう思ったが、あえて口に出すことはなかった。
ええ、と肯定するように頷いてから、紅よ、と短く名乗る。
「ルッスーリア。こんな所で遊んでいていいの?」
「まぁ、失礼ね!子供相手に準備も何もないわよ!
…でも、飲み物がなくなったわね。用意してくるから、姫の事を任せたわよ」
そう言ってルッスーリアが部屋を出て行くと、室内にはシンとした沈黙が下りる。
姫?と思ったけれど、それが自分を指すのだと言うことは明らかだ。
「随分と稼いでるらしいね。一つ、手を組んで金儲けをしてみないかい?」
「断るわ。結託しなくても、金は有り余ってるから」
「ムム。僕と手を組めば、今の倍は稼げるのに」
稼ぐと言うことに対し、一種の執着心を見出しているらしい。
マーモンの人間像をそう分析しつつ、横目に彼を見る。
見た目的に、肉体派の人間ではない。
と言うことは…骸と同じ、術士だろうか。
「さて…と。そろそろ保護者が煩くなるし、帰らせてもらうわ」
深く腰掛けていたソファーから立ち上がる紅。
マーモンはそれを咎めることもなく、待ちなよ、と落ち着いた声を発した。
「ボスからは逃がさないようにって言われてるからね。大人しくしておいてもらうよ」
「さっきの人がいる間は無理だと思って諦めていたけれど…あなたなら、逃げられるわ」
体力派の人間から逃げるのは一苦労だが、マーモンが相手であれば話は別だ。
紅の言葉にカチンときたのか、彼はムッと口を絞った。
「逃がさない」
ざわりと周囲の空気が変わる。
室内だったそこは、亜空間と呼ぶ他はない場所へと変化した。
目を回しそうなほどに、風景がぐるぐると歪みながら動いている。
「平衡感覚を失うこの場所で、出口まで辿り着けるものなら辿り着けばいい」
勝ち誇ったような声が聞こえた。
紅は驚くでもなく周囲の風景に目を向ける。
だが、その目は何も映していないように見えた。
ただ真っ直ぐにどこかを見つめる眼差し。
「悪いけれど…私に幻術は効かない」
打ち破る術を持っているわけではないけれど、それに感覚を支配されることはない。
目を回すこともなく、紅はマーモンを見た。
そして、太股に装着していた銃を取り出し、構える時間をおかずに発砲する。
弾がマーモンのフードをかすめ、幻覚が消えた。
照準を合わせる間もなく、即座に銃を撃った彼女。
その腕の正確さに、ゾクリと寒気がした。
狙おうと思えば、マーモンの額を撃ち抜くことも出来ただろう。
「君、は…」
「…侮らないで、とだけ言っておきましょうか」
何事もなかったように歩き、ドアノブに手を掛ける。
そこで、紅は一旦動きを止めた。
「あなたが守護者だとしたら、戦うのは―――」
確信の持てない未来を口に出すことはない。
そこまで呟き、口を結ぶ。
そして、紅は振り向くこともなく、部屋を後にした。
ヴァリアーの下っ端を適当にあしらい、数分後には敷地の外を歩いていた。
随分と消費してしまった銃弾の残数を確認してから、装填しておく。
それをホルダーへと戻し、顔を上げた。
「…リング…か」
胸元のそれを握り、空を仰ぐ。
大空のリングが選ぶのは、恐らく彼。
「この戦いに意味はないのに…」
巻き込まれてしまう彼ら。
平穏な生活を望む心根の優しい少年の姿を思い浮かべ、眉間を寄せる。
誰よりも平凡な日常を望む少年に流れる血は、それを許してはくれない。
これを、血の運命とでも呼ぶのだろうか。
08.10.17