黒揚羽
Target  --076

意識を取り戻したのは、数分前。
状況を把握するために大人しくしていたのだが、もうその必要もないだろう。
少し身体を…いや、筋肉を動かそうとするだけで、ズキンと鳩尾が痛む。
思い切った力で攻撃してくれたものだな、と思う。

「…起きてたのか」

そんな声が聞こえ、紅は顔をそちらに向けた。
見事な銀髪が、絡まることなく水の流れのように揺れ動く様に目を奪われる。

「スクアーロ…」
「久しぶりだなぁ、黒アゲハ」

そう呼ばれることも、久しいと思う。
この距離で話しているにもかかわらず、相変わらずの音声に、クスリと笑った。
地声が大きいのだろう、と思って諦めている。

「ここは?」
「ヴァリアーが管理してる日本アジトだぁ」
「…そう。まぁ、予想していたことだけれど」

そう言いながら、コートの内ポケットに手を伸ばす。
目当ての携帯電話を取り出し、電池が切れていないことを確認した。
ついでにアンテナの量も確認して、電波に問題がないことを知る。

「電話、構わないかしら?」
「………」
「連絡しておかないと、乗り込んでくる人が居るから。困るでしょう?お互い」

それが暁斗を指しているのだということは、彼も理解できたようだ。
少し渋った様子だが、それでも頷く彼。
ありがとう、と形だけの礼を述べてから、携帯を操作する。
3コールほどで相手の声が聞こえた。
大丈夫か、と言う言葉から始まった会話は、僅か1分ほど。
意識を失っていた間は心配させたようだが、こうして無事を連絡したのでひとまず安心と言った所か。
納得できない部分もあったようだが、本人から大丈夫だと力強く言われてしまえば、彼も無理強いは出来ない。
3時間で帰らなければ動く。
その提案を呑む形で、紅は通話を切った。

「悪かったわね。これでとりあえず…3時間は大丈夫よ」

平たく言えば誘拐された状態にもかかわらず、実に潔いお言葉だ。
堂々とそう言ってのける彼女だが、姿は中学生…精々高校生程度である。
スクアーロは、一回りほども年下の小娘が話す口調ではないな、と思った。
彼女の実年齢を知っているので、あまり気にしてはいないけれど。

「用が済んだなら付いて来い」

そう言って、スクアーロが踵を返す。
紅は、足つきのソファーから立ち上がり、服の皺を調えるように撫でてから彼に続いた。

「随分と待遇がいいように思うんだけど…その辺、どうなの?」
「…同盟ファミリーのボスのお気に入りに下手な扱いは出来ねーだろうが」
「…ま、それで納得しておいてあげるわ」

それだけではないだろう、と思うけれど、追求する必要もあるまい。
暗殺を種としている部隊の割には、雰囲気の良い屋敷だ。
造りも悪くないな、と思いつつ、彼の後ろを歩く。
廊下の一番奥の部屋の前に差し掛かり、スクアーロが足を止めた。

「…入らないの?」

沈黙する背中にそう声をかける。
紅の知る彼らがボスは、あまり気の長い人間ではなかったはずだが。
人間、変わろうと思えば変われるものなのだろうか。
動こうとしない彼に、そんな事を考える。

「…馬鹿な女だな、お前」
「…失礼な男ね、相変わらず」

本人を前にして馬鹿呼ばわりとは、大した奴だ。
思わず目を細める紅。

「生きて帰れると思ってるのか?」

振り向いたスクアーロの目が彼女を射抜く。
嘘を言っているわけではない。
あくまで可能性の話だが、もちろんゼロではないのだ。
殺しが罪だとか、そう言った一般常識の枠を外れた組織。
そのボスに会うと言う事―――そこに、命の安全など、確保できるはずもない。

「…そう思っているように見えるのなら…理由は、あなた達のボスは馬鹿ではないと思っているから、ね」

同盟ファミリーに果たし状を叩きつけるようなものだ。
そして、もう一つの理由が、紅の服の中でその胸元にぶら下がっている。
紅はスクアーロの横をすり抜け、立派な扉を自らの手で押し開いた。









「遅ぇ」

ヒュンッと飛んできたボトルが紅へと向かってくる。
辛うじてそれを避けると、後ろから鈍い音がした。
振り向いてみれば、スクアーロが顔を抑えて蹲っている。
どうやら、自分が避けた所為で彼にぶち当たってしまったらしい。
ごめんなさい、と言うより先に、部屋の中の空気が変化した。
ピンと張り詰めたそれが、自然と緊張感を高めていく。
ヴァリアーのリーダーであるXANXUSが、そこにいた。

「…カス、出てけ」

低い声がそう命令する。
呼ばれた自分ではないのだろうと、思っていると、後ろの人物が動くのを気配で感じた。
彼は一度紅へと視線を向けてくる。
大丈夫、そう答えるように、小さく微笑んだ。
スクアーロはそれを見ると、何も言わず部屋を出て行く。
彼の居た場所に、散ったガラス片とウイスキーの水溜りが出来ていた。

「久しぶりと…そう、言うべきなんでしょうね。10年近くも顔を見なかったから」

皮肉をこめてそう言えば、鋭い視線が紅へと向けられる。
赤い目の中に憎しみに似た負の感情を見て、軽く表情を歪めた。

「どう言うつもりだ?ガキになりやがって」
「ご不満があるなら、元の身体に戻りましょうか?」

そう言ってニコリと貼り付けた笑みを浮かべる。
恐れはない。
この男が自分に手を出すことが出来ないということを、理解しているからだ。

「…相変わらず気に食わねぇ」

吐き捨てるようにそう言うと、彼は紅から目を逸らす。

「私も、あなたに言いたい事があったから…丁度いいわ。こんな馬鹿馬鹿しい争いは止めて」

広いデスクの上に足を乗せて別のところを見ている彼。
紅はデスクの前まで足を進め、更に続けた。

「あの子達はマフィアと関係すべきではないわ。まだ子供なのよ?」
「そのガキを後継者候補に選んだのは誰だ?」
「それは…9代目が、何らかのお考えを持って決定されたことよ」

一旦言葉を詰まらせ、それでもそうして最後まで言葉を繋ぐ彼女。
XANXUSは、彼女の言葉を鼻で笑った。

「9代目からの勅命を読んでねぇのか。てめーはあの場に居なかったからな」
「…読んだわよ。だからこそ、ありえないと言える。あの人はこんな争いを望むような人じゃない」

あの温厚な人が、ツナ達をこんな事に巻き込むはずがないのだ。
そして、何より―――

「あなたを後継者に選ぶ筈がないわ。あなたは―――」

ぴたり、と黒い銃口が紅の額に向けられる。
沈黙の中、二人がにらみ合う。

「死にてぇのか?」
「…それが出来ない事を、あなたは知っているはずよ」

紅は自分のシャツの首元から3つ、ボタンを外す。
そこに見えた細い鎖を引っ張り、それを取り出した。
揺れる指輪を見たXANXUSが大きく舌を打つ。
殊更にゆっくりと銃口が下ろされていく。

「…気に食わねぇ…っ」
「…お互い様よ」

大きくはない声で、そう呟く。

08.08.24