黒揚羽
Target  --075

街中を歩いていた紅は、誰かに見られていると感じていた。
気のせいではないことを理解しつつ、スッと人の少ない道へと折れる。
ビルとビルの間の狭い空間を進み、太ももに付けている護身用の銃の存在を意識した。
一番慣れているのはディーノに教わった鞭だが、彼ほどの技術を持たない紅には不安要素が多すぎる。
一撃で動きを封じることの出来る銃の方が、護身用に適していた。

「―――――」

路地に入ったところから視線が消えた。
そう感じていた紅は、そのまま奥へと進む。
やがて、ビルを挟んで並行に位置する道が見えた。
少し寄り道をしてしまったけれど、このままこの道を通って帰ろう。
そう思ったところで、紅はほんの少しだけ警戒心を解いてしまう。

「動いたら殺す。声を上げても殺す。OK?」

そんな声と共に、首筋に何か冷たい物がぴたりと押し付けられる。
紅は軽く眉を寄せ、見えるはずのない背後の人物を見ようと目を動かした。
尤も、視線で捉える必要などない。

「ま、俺としては動いてくれた方が面白いんだけどなー。ボスが殺さずに連れて来いって言うからさ」
「…従うのね」
「そりゃ、ボス命令だし?いくら王子って言ったって、ボスの本気を相手にするには面倒じゃん」

そう言って屈託なく笑う声に、裏はない。
ただただ純粋な彼に、紅は軽く溜め息を吐き出した。

「逃げないから振り向かせて欲しいんだけど?」
「何で?」
「目を見て話す、は基本でしょう?整列しているわけじゃないんだから」

紅がそう言うと、首筋に押し付けられていたそれがスッと離れた。
相手がこの男でなければ、ここから一瞬の隙を突いて反撃に出ることも出来ただろう。
しかし、紅はその行動が無意味だと理解している。
この男…ボンゴレの暗殺部隊、ヴァリアーにいるベルフェゴールには。

「ヴァリアーも随分と堕ちたのね。中学生の子供を相手に本気の殺し合いを受けるなんて」

振り向いた紅は、冷めた目で彼を睨む。
ベルフェゴールはそんな彼女の視線にも、笑みを返した。

「子供だろうが何だろうが、殺すだけだし。弱い奴に生きてる意味なんてないだろ?」

悪びれた様子のない彼に、世の常識を諭すつもりはない。
ししし、と笑う彼を冷めたと言うよりは呆れたような目で見つめる彼女。

「う゛お゛ぉい!!黒アゲハは見つかったのかぁ!?」

そんな声がベルフェゴールの向こうから聞こえた。
声の主に覚えのある紅は、ほんの少しだけ足を後ろに引く。
二人が揃ってしまえば、逃げることは不可能になってしまう。
しかし、紅の動きに気付いたベルフェゴールの拳が彼女の鳩尾を深く抉った。
一瞬の動作を捉えることが出来なかった紅は、心中で舌を打ちながら意識を失う。

「ったく…鮫の所為で逃げられるところだったじゃん」
「あ゛ぁ!?…何だ、見つかってたのか」
「王子だからね。鮫とは出来が違うんだよ。―――はい」

笑顔のまま紅を手渡す彼に、スクアーロは思わずその身体を受け取ってしまう。
本来の年齢ではなく、中学生レベルのそれになっている彼女の身体は、彼にとって重いとは思わない。

「おい。てめぇで運べよ」
「やだよ、面倒くさい」

遠慮も何もなくそう言ってのける仕事仲間に、思わず拳を握る。
運ぶのが面倒なら初めから動けないような状態を作るなと言いたかった。
だが、この男に何を言おうと無駄だと言うことを、彼は理解している。
大人になれと言い聞かせ、完全に脱力しているらしい紅を肩に担ぎ上げた。

「行くぞぉ!」
「あーあ、これだから鮫は。駄目じゃん、女はこうやって抱えないと」

こうやって、と示す彼の腕は、俗に言う「お姫様抱っこ」と言うアレだ。

「ばっ!やりたきゃテメェでやれぇ!!」
「やだってば。あ、落として傷つけないでよ。王子、こいつの顔好きだから」

そう言って紅の顔を覗きこむベルフェゴール。
こいつが好みだったのか、と言いたげなスクアーロの視線に気付いたのか、彼はニッと口角を持ち上げた。

「大人のこいつは美人だもん」

ベルフェゴールの言葉に、スクアーロは大人の姿の時の紅を思い出す。
跳ね馬に連れられてやってきた彼女を初めて見た時には、確かに美人だと思った。
跳ね馬が選ぶだけの事はある。
そう思って奴をからかってみれば、満更でもない反応を返したのは跳ね馬だけだった。
違うわよ、と笑いながら関係を否定した彼女のその笑顔に、一瞬でも目を奪われたのを覚えている。

「なぁ、スクアーロ」
「…何だぁ?」
「ボス、こいつをどうするつもりなんだろうな?…殺す?」
「…俺が知るかぁ」

ヴァリアーのボスであるXANXUSと紅の関係は酷く複雑だ。
いや、言葉に出すのは簡単だが…精神的な部分の話をすると、複雑と言う以外にはない。
彼女本人の口から聞いたわけではないけれど、恐らく彼女自身もその関係を知っている。
知った上で、彼女はキャバッローネに籍を置いているのだ。









「あなたがスクアーロ?」

そう声をかけてきたのは、マフィアとは無関係な世界を生きているように穏やかに微笑む女性。
胸元に光る、キャバッローネのエンブレムがなければ一般人だと思っただろう。

「誰だぁ、テメェは」
「紅よ。あなたのことはボス…ディーノから聞いたわ」

そう言って向こうの方で重役に囲まれているディーノを見る。
その時、身体の角度を変えた彼女の肩に黒揚羽のタトゥーを見た。

「…黒アゲハか」

思わずそう呟けば、知っていたの?と首を傾げてくる。
その方面の権威だと噂に聞く黒アゲハ。
どんな根暗な女なのだろうと思っていたが…現実は、想像とは別物だ。

「紅!」

そんな声と共に駆けてきたディーノが、彼女の隣にいるスクアーロに驚く。

「スクアーロと一緒だったのか」

微妙な表情の彼に、スクアーロはふと納得する。

「こいつが噂の「跳ね馬の女」か」
「な…!何だよ、噂のって!」

途端に顔を赤くするディーノに対し、隣の紅は至って平然とした様子で笑った。

「違うわよ。私はディーノの部下。キャバッローネのボスの恋人だなんて…恐れ多い立場じゃないから」

限りなく近い位置にいながらも、完全にそれを否定する。
やや落胆した様子のディーノの様子を見たスクアーロが彼を鼻で笑った。
どこか困ったように笑う紅が目に入り、あぁ、そうか、と思う。

―――こいつはわかった上で、知らない振りをしてるわけか。

そんな事を考えていると、ふと紅がこちらを向き、視線が絡む。
スクアーロの考えを読んだのか、彼女は立てた人差し指を唇に乗せた。

―――知らない振り、ね?

聞こえるはずのない声と共に小さく微笑む。
綺麗な顔立ちではあるけれど、絶世の美女と言うわけではない。
けれど、その一瞬…スクアーロは、確かにその笑顔に目を奪われた。










XANXUSが彼女をどうこうする理由はない―――筈なのだが、そんなにも単純ではないのだろう。
殺さずにつれて来いと命令したからには、話をする意思はあるのか。
はたまた、自分の手で片を付けたいだけなのか。
どちらにせよ、彼女にとってはありがたくない未来が待っているのは確かだ。

「…馬鹿な女」

肩にかかる彼女の重さを感じつつ、そう呟く。
あの跳ね馬の入れ込み方を見ていれば、その心は火を見るよりも明らかだ。
今回のボンゴレリング争奪戦を知ったあの男は、紅を日本から離そうとしただろう。
それなのに彼女がここにいるということは、それを拒んだと言うこと。
自ら渦中に身を投げるその様子は、スクアーロには愚かな行動に見えた。

08.08.10