黒揚羽
Target --074
「はぁ?山篭り?」
朝食を用意していた紅は、ディーノの言葉に思わずそう返した。
彼はそんな紅の様子にも、いつも通りの笑顔を振りまく。
「おう!軽ーく山に篭って恭弥を鍛えてくる。留守は頼んだぜ」
「別に構わないけれど…電波は気にしなくてもいいけど、携帯は壊さないようにしてよ?」
携帯自体を壊された日には、電波が関係なくとも意味はない。
前科があるだけに、紅は念を押すようにそう言った。
覚えのあるディーノは、彼女の言葉に、ははっと乾いた笑い声を上げる。
「ロマーリオは一緒に行くのよね?暁斗は?」
「俺は並盛待機」
「ん。じゃあ、何かあったら暁斗が動けるわね」
隣で朝食の準備を手伝ってくれている暁斗を横目に、紅も作業を進める。
しかし、何故山篭りなのだろうか。
理由として考えられるのは―――何だろう?
「ま、修行場所は山でも海でも川でもどこでもいいんだけどな」
「え?」
「紅は知らねぇだろうが…争奪戦の場に、並盛中学校が選ばれたんだ」
「争奪戦って…何それ」
それだけでは意味を成さない言葉を耳にした紅は、怪訝そうな表情でディーノを見る。
彼は表情に影を落としつつ、ことを説明した。
紅の顔が驚愕に染まっていく。
「XANXUSが…」
自分の知らぬうちに話が進んでしまっている。
ある意味では蚊帳の外に位置する自分が置き去りにされるのは仕方がないのだろう。
しかし、自分の知っている者たちが巻き込まれていく現実を笑顔で受け入れられるような人間ではない。
「…私、ツナに…センセに、話を聞きに行って来る」
「紅。お前はイタリアに帰らないか」
踵を返そうとした紅の腕を取り、ディーノがそう告げる。
紅は驚いたように彼を見て、言葉を失った。
「お前が巻き込まれる必要はねぇんだ。場所が日本に選ばれた以上、イタリアなら少しは安全だろう」
「…無関係だと…そう言うの?」
紅が目を細めてそう呟く。
そして、俯いていた顔を上げ、しっかりと彼を見つめた。
「ディーノ…私は、あなたが何も知らないとは思っていないわ。私が無関係じゃないことも、理解してるはず」
「無関係だ。お前はキャバッローネの一員で、俺の部下だ。ボンゴレリング争奪戦とは関係ない」
事実を知っていながら、彼はその姿勢を崩さない。
それが紅を思っての態度だと言うことを、彼女自身は正しく理解している。
けれど、ずっとその姿勢を貫くことができないと言うことも、わかっていた。
「ツナが…まだ中学生のあの子達が巻き込まれている。
それなのに、自分だけが安全を優先することは、私には出来ない」
「…お前なら、そう言うと思ってたさ。ボスとして「イタリアに帰れ」って命令しても、エゴでしかねぇな」
そう言ってディーノが哀しげに微笑む。
紅は彼を見つめ、「ごめんなさい」と目を伏せた。
「無茶はするなよ、紅。お前は俺たちの家族なんだ。ボンゴレとやりあうのはごめんだぜ?」
そう言って彼が紅の頭を撫でる。
こう言っているけれど、紅の身が危険に晒されるならば、キャバッローネは全力で彼女を守るだろう。
ボンゴレと一戦を交えるかどうかはわからないが、彼女のために動くことに間違いはない。
「ありがとう、ボス」
「おいおい。ボスに対する礼を言うところか、ここは?」
「…ありがとう、ディーノ」
小さく微笑んで、紅は彼の頬に軽いキスを送った。
そして、手の平をすり抜ける蝶のように、するりと彼から離れていく。
部屋を出て行く彼女を見送り、ディーノは絆創膏の貼られた頬を掻いた。
「どう言う経緯でこうなったのか…説明してください、センセ」
主の居ない部屋に上がりこんだ紅は、そこにいたリボーンの前に正座をした。
その声はと言えば、とてもではないが頼んでいるような声ではない。
不機嫌を露にしている紅の様子に、リボーンは壁を指差した。
正確に言えば、壁ではなくそこにかかっている額入りのそれだ。
「9代目の勅命だ」
読めるだろ、と言われ、その内容に目を通していく。
日本ではお目にかかる機会の少ない、流れるような筆跡で書かれたイタリア語。
その内容に目を通した紅は、後に行くにつれて表情を険しくしていく。
「こんな…嘘よ」
「死炎印が、9代目のものであることを示してるぞ」
「だって…そんな筈がない!あの人が、こんな事を言うはずがないわ!あの優しい人が…」
記憶にある9代目を思い浮かべ、紅は首を振った。
あの優しい人がそんな事を言うはずがない。
これは…たとえ、これが9代目の勅命であると証明できるとしても、信じられるはずがなかった。
「信じるも信じないも勝手だが、リング争奪戦は決定事項だぞ」
「相手はヴァリアーよ。中学生のあの子達がどうにかできる相手じゃないわ」
「どうにかできなくてもやるしかねーんだ」
淡々と答えるリボーンに、紅は表情を顰める。
確かに彼の言う通り、やるしかない。
争奪戦から逃げ、その場をやり過ごせたとしても…負けた者に、平穏などない。
マフィアの世界はそんな生易しいものではないし、相手はヴァリアー。
万に一つも、生き残ることなど出来はしないだろう。
彼らに残された道は、勝つことだけ。
「とめられないの?」
「何なら、直談判でもしてみるか?」
リボーンの言葉に、紅は溜め息を吐き出した。
そんなことで変わるようならば、この状況にはなっていないはずだ。
紅が諦めたことを悟ると、彼が口を開いた。
「お前も気をつけろよ。機密事項とは言え、これだけ状況が迷走してるんだ。
XANXUSがお前のことを知ってる可能性もある」
「………そうね。いっそ…その方が良いのかもしれない」
室内を見回し、そう呟く。
中学生らしく、部屋の中は散らかっている。
それが、この場所に生活感をもたらしていた。
何者にも怯えることなく平穏に暮らせる場所―――ここに戻してあげたいと思う。
「…一人で抱え込むなよ。ちょっとはディーノも頼ってやれ」
「…わかってるわ」
「ツナたちなら心配するな。誰が鍛えてると思ってるんだ?」
ニッと口角を持ち上げる様は赤ん坊には似合わない表情だ。
しかし、それが彼らしいと思える。
紅は小さく微笑んでから壁にかけられた額入りの勅命に触れる。
一瞬だけ、死炎印がボゥ、と燃えた。
08.07.15