黒揚羽
Target  --071

授業に出る気になれなかった紅は、そのまま応接室で過ごした。
初めは書類を整理していたのだが、元々あまり溜め込んでいなかったのですぐに終わってしまう。
その後はソファーで本を読んで少しの時間を過ごし、欠伸が出たところで昨夜はあまり寝ていなかったと思い出す。
どうしようかな、と悩みつつも、内容が頭に入ってこないのでは仕方ないと本を鞄にしまう。

「眠いなら寝れば?」
「…邪魔にならない?」
「眠さに負けそうな人間ほど邪魔な人間は居ないね」

名簿を見つめる雲雀にそう言われ、紅は苦笑を浮かべた。
それならば、ありがたくその申し出を受けるとしよう。
3人がけのソファーに身を横たえ、腰辺りに学ランをかける。
やや裾の長い学ランは、彼女の膝を越えたあたりまで覆い隠してくれた。
そのまま瞼を閉ざす。
静かに過ごすだけで、実際に眠るつもりはなかった。
ただ、睡眠不足を訴えてくる身体を休めることさえ出来ればと考えていただけ。
まさか、本当に眠ってしまったのは、紅自身も予想外だった。
十数分後には完全に寝入ったらしい彼女。
雲雀はふと視線を上げて彼女を見つめ、何も言わずに手元へと視線を戻した。












それからどのくらいの時間が流れただろうか。
軽く浮上してきた思考の中で、遠くから近づいてくる足音に気付く。
あぁ、これの所為で起きたのか。
何となくそう思いつつ、紅は瞼を押し上げた。
開いた視界に飛び込んできた光景は、先ほどとはあまり変わらない。
向かいに設置されたソファーには、眠る前と同じように雲雀が腰掛けている。
紅が起きた事には気付いていないらしく、彼の目線は名簿を追っていた。
あいている方の右手がリングを遊ばせている。
数秒間それを見つめ、身体を起こそうと腕に力をこめたところで、応接室の扉が開く。
ガラッと開かれたそこから姿を見せたのは、紅が足音の主と予測していたディーノだ。

「お前が雲雀恭弥だな」

ノックも何もなしに、突然部屋の中に入ってくるディーノと、ロマーリオ。

「……誰……?」

訝しげな視線を向けるのと同時に、手の平にリングを握りこむ。
紅はソファーに手をついて身体を起こし、軽く伸びをした。
そんな彼女をちらりと一瞥し、ディーノが雲雀の問いに答える。

「俺はツナの兄貴分でリボーンの知人だ。雲の刻印のついた指輪の話がしたい」
「―――ついでに補足するならば、彼は私のボスよ」

雲雀の視線が紅へと向けられた。
話には聞いていたが、この男が。
脳内でそんなことを考えたが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。

「じゃあ、強いんだ」

そう言うと、彼は名簿を脇へと置き、スッと立ち上がる。

―――あぁ、嫌な予感がする。

ディーノが現れた時点で感じていたことだが、不安がより一層色濃くなった。
そんな紅の心中など知らずに、雲雀は続ける。

「僕は指輪の話なんてどーでもいいよ。あなたを咬み殺せれば…」

物騒なことを言ってくれるものだ。
はぁ、と紅が溜め息を吐き出すも、残念ながら雲雀やディーノには届かない。

「なるほど…問題児だな」

そう言ってディーノが笑みを浮かべる。
噂に勝るとも劣らないその問題児ぶりに、頭を痛めているというよりは、楽しんでいるように見える。
いつの間にか取り出した鞭が彼の手に握られた。

「いいだろう。その方が話が早い」

対する雲雀も、その表情を崩すことなく、その手にトンファーを握った。
両者が1メートルと少しの距離を開けて対峙する。

「はい、ストップ」

そう声を上げたのは、雰囲気に飲まれることもなく二人の間に滑り込んだ紅。
彼女は、まるで鋏でちょん切るように、ぴんと張り詰めた空気を一瞬のうちに飛散させた。

「こんな場所で得物を取り出して…二人とも、何を考えているの」

特にディーノ、とじろっと彼を睨みつける。
紅の視線にたじろぐ彼。

「いや、紅。…落ち着け?」
「大の大人が、挑発なんて浅はかな真似をしないで頂戴。
打てば倍になって響いてくる人だってことは、センセから聞いているでしょう?」

後片付けをするのは誰だと思っているの?
にっこりと微笑まれ、ディーノは口元を引きつらせた。
彼女は普段あまり怒らないけれど、怒ると恐ろしい。
仕事が仕事だけに、結構陰湿な仕返しの手立ても持っていて、それがまた恐怖を助長するのだ。
もちろん、彼女が無闇に仕事上の薬などを用いることはない。
身体に害のない…寧ろいい影響を与える、けれども割ときつい下剤などは普通に使っているけれど。

「雲雀も。安い挑発に乗らないで。部屋の中では満足に暴れられないし、後片付けが大変なの」

くるりと振り向いてそう告げる彼女の表情は険しい。
彼女は以前、ツナと彼が出会った日のことを思い出していた。
爆発のおかげで酷い有様となったこの部屋を直したのは、自分と風紀委員の皆さんだ。
彼女の能力を使えば一瞬で元通りなのだが、状況を見たものが多く、それは使えなかった。
お蔭様で大変な労力と時間を費やすこととなり、以後は室内での乱闘を酷く嫌っている。

「暴れたいなら屋上でどうぞ」

はっきりとした口調でそう告げる。
一人はコクコクと頷き、もう一人は短い溜め息を了承とした。







「不満げだな」

隣を歩くロマーリオがそう呟いた。
その表情は軽く笑いを含んでいる。

「…そうね。私たちのボスが、彼を巻き込もうとしていることが不満よ」

授業中の廊下に、生徒の姿はない。
もちろん、授業中に校内を徘徊するような教師もおらず、まるで無人のようにがらんとしていた。

「おいおい、巻き込んだのは…」
「ディーノじゃないとわかっていても、言いたくなるのよ。彼には…こんな世界に関わってほしくはなかった」

普通じゃないことくらいは、わかっている。
マフィアの中に所属しているとしても、彼女はその感覚だけは麻痺させていなかった。

「動き出してしまった以上、私一人にとめられるはずもないけれど…」

隣のロマーリオにすら聞こえないほどに小さく呟く。
紅の意思とは裏腹に、四人の前に屋上への階段が姿を見せた。

08.05.03