黒揚羽
Target  --070

そこから始まる現状の説明に、彼女は僅かに目を細めた。
日が暮れて夜が明けて。
そうして、紅は学生の本分とも言える学びの為に学校へとやってきていた。
昨日の今日なのだが、世界が止まってくれると言う事はない。
よく分からないけれど、朝起きると携帯に着信が入っていた。
緊急の連絡が入ってくる場合を想定し、紅が携帯の電源を切るのは病院内と映画館の中だけ。
どうやら、寝ている間に届いたメールの着信音に気付かなかったようだ。
そんなに疲れていたのだろうか…と思いつつ、紅は校門に凭れかかる。
彼女の視界では次々と生徒が登校してきていた。
そして、そんな生徒に交じり、時折制服の乱れた生徒をどこかへと連れて行く風紀委員。
戻ってきた風紀委員は生徒を連れておらず、代わりにその生徒の物であろう生徒手帳が紅に手渡される。
はいはい、とそれを受け取りつつ、名簿を開いて手帳に書いてあるクラスを確認し、名前を探す。
チェック欄にピンとはねた印を付け、手帳を腕に提げていた小さな紙袋に入れた。
これでもう5度目の作業になる。
衣替えの後と言うのは、意外というか、ある意味当然と言うか…制服を着崩した生徒が多い。
風紀委員により抜き打ちで行なわれている服装チェックは、現在も確実に違反者を増やしている。

「そもそも制服を着ていない風紀委員にその権利があるのかなぁ…」

とりあえずメールの指示通りに動きつつ、紅はそんなことを考えていた。

















登校ラッシュも落ち着き、風紀委員の活動場所となっている応接室に戻ってきた紅。
腕に提げた紙袋はそれなりの重さを感じさせている。
確か…今朝だけで、23人ほど引っかかった。
しっかり彼らの名前をチェックした名簿を片手に、紅は応接室のドアを背中で閉める。
音に反応したのか、ソファーで足を組んでいた雲雀がこちらを向いた。

「抜き打ちチェック終わったわよ」

はい、と彼に名簿を手渡す。
預かった生徒手帳は本人が今日中に取りに来ることになっているが、果たして何人が取りに来るだろうか。
いや、取りに来られるだろうか、と言った方が正しいかもしれない。
普通の神経を持った生徒ならば、応接室には近寄りたくはないと考えるだろう。
生徒手帳ならば、事務室で新しく発行してもらう事も出来るのだ。
もちろん、明日になっても残っている手帳の持ち主に関しては、風紀委員のブラックリスト入りが決定するのだが。

「多かった?」
「さぁ、どうかしら」

多いと言えば多いが、全校生徒の中で23人なのだから、少ないと言えば少ない。
線引きは難しいな、と首を捻った。
別にそれに関しての明確な答えを求めていたわけではないらしく、雲雀は「ふぅん」とだけ短く答える。
それから、パラパラと当てもなく名簿を捲った。

「君も学ランは脱いだら?」

こちらに視線を向けずに、雲雀がそう言った。
飲み物でも用意しようかとソファーの後ろを通っていた紅は、突然の言葉にギクリと足を止める。
それから、即座に平静を取り戻して口を開いた。

「まだ少し肌寒いですから」
「敬語。何にうろたえてるの?」
「…別に…」

自然に答えたつもりだったのだが、しっかりと見抜かれてしまったようだ。
後ろに目でもついているのか!と思いつつ、紅はその話題は終わりだとばかりに足を動かそうとする。

「衣替えは君にも言えることだよ」
「(他の風紀委員は学ランなのに…!)…了解」

心の声を何とか飲み込む事に成功し、そう言って震える唇で頷く。
不本意だ。
非常に不本意だが、ここで言う事を聞いておかないと、彼の機嫌が悪くなるような気がする。
平常心を掻き集めて、学ランを脱いだ。
下にはほかの生徒同様にブラウスとベストを着用しているのだから、元々この学ランは必要ないのだ。
ただ…問題があるとすれば、別の所。
彼女が学ランを脱いだ事を確認する為に振り向いた雲雀。
彼は、一目見て彼女が何を隠そうとしていたのかを悟った。

「…腕を怪我したの?」

薄手のブラウスは、下に巻いている包帯が少しだけ透けてしまう。
タトゥーを隠す為の包帯とは別の腕に巻かれたそれに気づくと、雲雀はそう問いかけた。
紅はやはり見つかったか、と溜め息と一緒に肩を落とす。

「昨日少し。軽く痣になっている程度よ。腕の湿布は剥がれ易いから、包帯で止めているだけ」

そんなに目くじらを立てるほどの傷ではない。
そう伝え、紅は今度こそ飲み物を入れるために隣の部屋へと歩いていく。
それを見送ると、雲雀は手元に視線を戻した。
彼は目線を名簿の名前に向けたまま、ポケットを探る。
そこから転がり出てきた一つのリング。
今朝応接室にやってくると、机の上にこのリングがあった。
コロンと転がされていたわけではなく、「雲雀恭弥」と書かれた封筒の中に入っていたものだ。
別に封を切らずにそのまま捨てても良かったのだが、ふとした気紛れからそれを開けた。
そこにただ一つ…手紙すらなく、リング一つだけが入っていた、と言うわけである。

「何をじっと見ているの?」

二人分のカップを乗せたトレーを片手に紅が応接室に戻ってきた。
彼が熱心に見ているのは、名簿なのだろうと思っていた彼女。
不憫にも、誰かが彼の目に留まってしまったのだろうか―――と思っていたのだが、どうやら違うようだ。

「今朝ここに届いたんだよ」

そう言って彼が掌を開く。
そこに存在したリングを見て、紅は目を見開いた。

「な、んで…それが、ここに…」

完全ではないリング。
欠けているにしてもその装飾の素晴らしさを感じさせる、それ。
本当ならばここにあるべきものではない。

「―――…今すぐ捨てて!さっさと捨てて、そんなものは忘れ………や、やっぱり駄目!」

彼女は思い出したように、捨てて、と言う。
しかし、そう言ってしまってから、その存在の大切さを思い出したのか、慌てて前言を撤回した。
元より捨てるつもりのなかった雲雀は、その様子に心中で首を傾げる。
自分の掌にあるこれは、恐らくもう一つ同じようなパーツが組み合わさる事により、完全なリングとなる。
精巧な造りのそれは確かに捨てるには値しない代物だが…彼女がそんな反応を見せる理由が分からない。

「君は何かを知ってるみたいだね」
「…ええ、少しは」

彼の手の中にあるそれは、ボンゴレリング。
ディーノがイタリアから日本まで持ってきた例のリングの一つだ。

「とても大切で、重要な意味を持つリング。だから…本当は、あなたには持ってほしくなかった」

それを持つと言う事は、ボンゴレのボスの守護者となること。
それは、マフィアとの繋がりを意味する。
とてもではないが綺麗とは言えないあの世界に、これ以上彼を踏み込ませたくはなかった。
紅は、それ以上は何も言わないと口を噤み、じっとリングを見つめた。

08.04.13