黒揚羽
Target  --069

胸元の傷を消毒しながら、紅はマスクの中で溜め息を吐き出した。
傷自体はそれなりに酷いが、命に別状はない。
呼吸も問題なさそうだし、このまま一番酷いであろう袈裟懸けの傷さえ何とかなれば大丈夫だろう。
消毒に使った綿をピンセットごとトレイの中に置き、その隣に置いてあった薬の瓶を手に取る。
止血を行なっている間に暁斗に取ってきてもらった、紅が作った薬だ。

「無茶するわね…まったく…」

顔なじみと言うほどではないかもしれないが、一応面識はある。
そんな人間を放っておく事は出来ない。
況してや、相手は意識を失うほどの重傷だ。
心配していたディーノたちを放り出し、処置室で手当てを続ける紅。

「スクアーロが来ていたって事は…ヴァリアーが動いているってことよね…」

傷口の上に少し多めに薬を乗せて、その上にガーゼを置いていく。
すぐには治らないだろうけれど、市販の薬よりは遥かに治りは早いはずだ。
怪我の多い仲間の為に考え、作り出した薬なのだから。

「ヴァリアー…あまり関わりたくない相手だけれど…」

巻き込まれた場合は、仕方がないだろうか。
紅はそう呟き、カランッとピンセットを置く。
包帯を巻かなければならないのだが、一人では無理そうだ。
少し考えた彼女は、ガーゼを固定するようにテーピングを始めた。
派手に動かなければこれだけでも十分。
処置が終わり、ふぅ、と息を吐き出した彼女は漸くマスクと薄手の手袋を外す。
それから、髪を留めていたそれを解いた。
肩を少し越える髪がサラリと首筋に流れ落ちる。
その時、紅の首に少し太めの鎖が見えた。
彼女自身もその存在を思い出したのだろう。
指先一つで鎖を引き抜くと、その先に出てきたのはペンダントヘッドではない。
彼女の指には少し大きいかもしれない、リングだ。
美しい装飾を施されたそれを見下ろし、彼女は再び溜め息を吐き出す。

「…9代目…何を考えておられるのですか…?」

少なくとも、9代目の目が黒いうちは、ヴァリアーが下手に動く事など考えられない。
あんな風に襲撃してきたという事は―――
紅はそれを考え、表情を険しくした。
それから、肩に羽織っていた白衣を脱ぎ、脇の椅子の背凭れに掛ける。
丁度その時、処置室のドアをノックする音が聞こえた。
紅は指先で胸元を寛げ、そこに鎖に通したリングを落とし込む。
これで、リングは彼女の服の中に隠れた。

「紅。バジルの様子はどうだ?」
「…入って良いわよ」

ディーノの声に答える。
彼は…と言うか、キャバッローネのメンバーは、こう言う時の紅には忠実だ。
彼女が入るなと言えば入らないし、入っていいと言われるまでは決してドアすら開かない。
医者ではないが、それに匹敵する彼女の知識を認めているからだ。
何人の仲間が彼女に命を救われたのかは分からない。
初めの頃は、薬を与えるだけだった。
だが、それだけでは駄目だと思ったのだろう。
彼女はそこから猛勉強を重ね、自らが治療できるだけの知識を得たのだ。
もちろん、自分を過信したりしない彼女は、手術を行なったりはしない。
手当ての範囲に留まるのだが…それでも、彼女の存在は大きかった。









ギィ、と立て付けの悪いドアが悲鳴を上げた。
まず顔を覗かせ、紅の位置を確認したディーノは自分が通れる幅にドアを開く。

「ツナが心配してるんだ。会わせてやれるか?」
「意識は戻っていないけれど、それでもよければ大丈夫よ」

そう答えてから、ツナが来てもいいように中の片付けを始める。
血だらけの治療具などを彼に見せない方がいいだろう。
ディーノも紅の行動の意味を理解しているのか、彼女が片付け終わるまではツナを呼びに行かなかった。
代わりに、バジルの眠るベッドの傍らに近づき、彼を見下ろす。

「…酷いのか?」
「見た目ほどでもないわ。でも、傷口を固定していないから…動かないように気をつけて」

片づけを終えて戻ってきた紅に、持っていた紙袋を手渡す。
その中身は新品の服だ。
紅の着ているそれは、止血の際に付着した血で、とてもではないが出歩ける状態ではない。
ありがたくそれを受け取り、カーテンで仕切った中で手早く着替えを済ませる。

「さて…と。もういいわよ」
「おう。じゃあ、ツナを呼んで来るな。…今後の話もある」

後半部分で声のトーンを落としたディーノ。
その裏に秘められた意味に、紅は心中で何度目かの溜め息を零す。
出来るならば…彼を関わらせたくはない。
しかし、それは不可能なのだろう。
彼は…ボンゴレの10代目なのだから。

「…あんな子供に何をさせるつもり?」

全てを知っているわけではない紅は、ディーノに向かってそう尋ねた。
彼は苦笑を浮かべるだけで、何も答えてはくれない。
全ては、その時が来れば分かる。
彼の目がそう語っていた。

















「紅、あの人は…!?」

ツナは呼ばれるなり部屋に駆け込んできて、そう尋ねた。
大丈夫、そう迷いなく答えた彼女に、ツナは安堵する。
自分が傷つくのも傷つけるのも嫌だけれど、誰かが傷つくのも嫌だ。
彼は、自分を助けて怪我を負ったバジルの身を案じていた。
優しい子だと思う。

「ありがとう、紅…」

いくらか血を失っているので顔色は良くないが、紅が大丈夫だというのだから命に別状はないのだろう。

「お礼を言われることじゃないわ。私は、出来る事をしただけだから」

偶々彼の怪我の程度が、紅の能力の範囲内だっただけのこと。
もう少し酷ければ、彼女ではどうにもならなかったのだ。
小さな運と、日頃の鍛え方が彼を救ったのだろう。
紅はそう言うと、すれ違い様にツナの肩をポンポンと叩く。
そして、話の邪魔にならない位置に落ち着いた。
そんな彼女を横目に、ディーノが口を開く。
そこから始まる現状の説明に、彼女は僅かに目を細めた。

08.03.25