黒揚羽
Target --063
身体を起こした骸は、その腕が自由に動かないことに気づく。
ゆっくりとそれを辿った彼の視界に、紅の手が重なる自分の手を見た。
それを解き、涙の跡の残る頬を指先で撫でる。
「あなたは…僕のために、泣いてくれるんですね」
そんな彼女が愛しくて仕方がない。
彼女が自分を弟のように思っていたとしても、自分はずっと一人の女性として彼女を想ってきた。
少年だった頃とは違って、今は彼女を抱きしめることだって出来る。
それなのに、彼女は今も自分を見てくれようとはしない。
切なさを感じたのは嘘ではない。
けれど、こうして自分の手を握り涙の跡を残してくれている彼女を見ると、その感情も消える。
右手に握り締めた剣を見下ろす。
これで彼女を傷つければ、彼女を意のままに動かすことが出来る。
しかし、そこには彼女自身の意思が存在しない。
骸は剣から視線を外し、彼女の背中と膝裏に手を差し込んでその身体を抱き上げた。
大人の彼女と子供の自分。
自分は成長し、彼女は縮んでいる。
その現実は、彼らを同じくらいの年齢に見せていた。
いとも簡単に抱き上げることの出来る彼女に、自然と表情が優しくなる。
「骸!紅に何をする気だ!?」
「何もしませんよ。彼女を巻き込まないようにするだけです。君も、彼女を傷つけたいとは思っていないでしょう?」
そう答え、骸は抱き上げた彼女を部屋の隅に運ぶ。
その場へと横たえるのと同時に、彼女の瞼が揺れた。
「……む、くろ…?」
「…ええ」
「……よかった…生きてる…」
ゆっくりと持ち上げられた手が骸の頬を撫でる。
彼は目を閉じ、その手に己のそれを重ねた。
それから、顔を動かして手の平に口付ける。
そして、彼女の手を下ろさせた。
「眠っていてください、紅さん。全てを終わらせるまで。そうしたら、また一緒に居られます」
「――――」
彼女が何かを伝えようと口を開くが、それを止めるように手で彼女の瞼を覆う。
目を閉じさせるように動かせば、彼女の意識は再び深いところへと沈んだ。
それを見届け、骸は腰を折る。
唇同士が触れそうな距離で一旦動きを止め、額にそれを落とす。
いつの間にか無意識のうちに手放していた剣を持ち、立ち上がった。
ツナを振り向いた骸の目には、先ほどの優しさはない。
「僕がこんなにも大切にしていることが、そんなにも意外ですか?」
ツナの表情からそれを読み取った骸は、そう言って笑う。
「彼女が欲しかったんですよ。だから、彼女を縛り付けるマフィアは必要ないんです。
そうすれば、彼女にはその身体に流れる血筋も何も、関係ない」
骸の言葉の意味は、ツナにはわからなかった。
しかし、リボーンがピクリと反応を見せる。
「骸、お前…知ってるのか」
「あぁ、やっぱりあなたは知っていましたか。知らない、とは思っていませんでしたけれどね」
的を射ない会話だ。
疑問ばかりを深めていくツナ。
それに気づいたのか、はたまた別の意図があるのか。
骸は「この話は終わりだ」そう言って床に転がっていた槍の柄の部分を拾い上げる。
カチン、とそれに剣を嵌め込み、ツナを見た。
「理解する必要はないですよ、ボンゴレ。君が僕に身体を渡して、この一件は片が付く」
それ以上の会話を拒むかのように、彼の空気が研ぎ澄まされた刃物の鋭さを見せた。
結果だけを話すならば、骸はツナに破れた。
死ぬ気モードを越える超死ぬ気モードのツナは、まるで冷たい炎のようだ。
相反する二つだが、その言葉が適しているように思う。
紅が目を覚ましたのは、全てが終わってしまってからの事。
全身を刺すような筋肉痛と肉体疲労により意識を飛ばしたツナ。
彼に凭れかかるようにして眠り出したリボーン。
それとほぼ同時に、紅はゆっくりとその瞼を持ち上げた。
周囲を見回し、状況を脳内で整理していく。
1、2、3…意識せず、人の数を数えていた。
そして、その足りない者が誰なのかと言う事に気付くと、彼女は即座に立ち上がる。
床に伏す彼らに表情を歪めつつも、立ち止まらずに走り出した。
「紅!?どこに行くんですか!」
途中、部屋を出る直前に彼女はボンゴレの医療チームとすれ違う。
顔見知りのメンバーが走る彼女の背中に焦ったように声を掛けた。
「ごめんなさい…!」
自分が彼らの世話にならねばならないことくらいは分かっている。
けれど、今を逃すわけには行かないのだ。
未だ名を呼ぶ彼らから逃げるように、紅はトンッと窓枠から身を投げた。
2階の高さから飛び降りれば、全身がギシッと軋む。
色々と酷使したことが原因だろう。
飛び降りた彼女は、姿勢を戻すと周囲を見回した。
そして、木々の向こうに揺れる人影を見て、そちらへと走り出す。
「―――って…待って!!!」
掠れる声を張り上げる。
しかし、その黒い集団は止まろうとはしない。
「…待てって言ってんのよ!!」
息を切らせつつ、その集団の前へと回りこむ。
進路を断つように立った彼女に、漸く足を止める彼ら。
「…時間を頂戴。彼らと話がしたい」
包帯で隠れた顔を見上げ、紅はそう告げる。
罪を裁き、罰を与える、マフィア界の掟の番人―――復讐者。
紅が彼ら、と告げた先には、意識のない骸、そして苦渋の表情を浮かべた千種と犬だ。
彼女の視線が自分達にあることに気付いたのだろう。
「俺らはてめーに話なんかねぇよ!」
「…まだ何か用?」
そういうが早いか、ジャラッと彼らの首輪に繋がる鎖が勢いよく引っ張られた。
喉を刺激された二人は、そのまま表情を歪める。
許可なく喋るな、と言う事なのだろう。
「…私は―――」
何かを伝えようと口を開いた彼女。
しかし、それは言葉を始めてすぐに途切れてしまった。
「はい、終了。こいつらの邪魔しちゃ駄目だろーよ、紅」
後ろから口を手で塞がれ、進路を断っていた身体はいとも簡単に後ろに引っ張られる。
体勢を崩した彼女はそのまま原因である彼、暁斗の胸へと背中をぶつけた。
「暁斗!?」
「うちのお嬢さんが悪かったな。行ってくれ」
どうぞとばかりに道を譲れば、復讐者たちは何も言わず歩くのを再開した。
待って、と言う声を上げようとした彼女は、再び暁斗に口を塞がれる。
だが、必死に暴れた後、少しだけ口を開く事に成功した。
「骸と一緒に居てくれてありがとう…それが言いたかった!それから…骸!私、待ってるから…!!」
早口にそう言えば、引きずられる千種と犬が驚いたような目を向けてくる。
しかし、言葉を返す事は許されなかった。
そのまま彼らが消えた方向を見つめたまま、紅は息を吐き出す。
「復讐者に手を出すなよ…見つけた時には肝が冷えたぞ」
「………………………」
「あいつらには任務遂行の意思しかない。邪魔すれば、お前だって奴らのように連れて行かれるぞ」
「連れて行かれたほうが…良かったのかもしれないわね」
私だって無関係じゃないんだから。
紅は小さく呟き、そっと目を閉じた。
彼らがどのような罰を与えられるのかは分からない。
だが、逃れる事のできない深層部へと拘束されるだろう。
それでも…それでも、紅はいつか会えると言う事を諦めたくはなかった。
「待ってるから…」
小さく呟いた声は、届けたい相手には届かない。
08.01.19