黒揚羽
Target  --062

骸が雲雀を見て、そしてその後ろから入ってきた紅を見た。
その時の、彼の表情が忘れられない。
哀しげで、でも優しい表情。
きっと、紅以外の誰もその表情に気がつかなかっただろう。
それは、嘲りにも似た余裕の中に、過ぎるほど巧妙に隠されていたのだから。






骸と雲雀の対峙は長く続いた。
いや、もしかすると、骸の言うように一瞬だったのかもしれない。
長く感じた、と言うだけで、実際は数分程度の事だったのだろう。
骸はサクラクラ病のことを知っていたらしく、雲雀との勝負が長引くと悟るなりそれを出現させた。
はらり、はらりと散ってくる緋色の花びら。
紅がふわりと自分の前に舞い降りたそれを掌に乗せるのと同時に、雲雀の攻撃が骸を吹き飛ばした。
まるで本当に掌に存在するかのようなそれは、幻覚だ。
しかし、たとえ幻覚であってもサクラクラ病はそれに頭を垂れるもの。
雲雀が尚も動く事ができたのは、獄寺がシャマルから預かってきたサクラクラ病の処方箋のお蔭であった。

「ついにやったな」

リボーンの声が聞こえ、ツナが安堵したように表情を緩ませる。
先ほどまでは立っていた雲雀が崩れ落ち、彼の身体が限界を向かえたようだ。
喜ぶツナも、リボーンも獄寺も、倒れているビアンキもフゥ太も、雲雀も。
紅にはそれら全てがフィルター越しの世界のようだった。

「その医療チームは不要ですよ」

聞こえてはならない声が聞こえ、その場に再び緊張が戻った。
皆の視線を一身に集める声の主は、一行に向けて銃口を向けている。

「なぜなら、生存者はいなくなるからです」

口元から赤い血を流しつつ、骸は余裕の笑みを消さない。
獄寺やツナが声を上げる中、彼は不敵に笑って見せた。
その表情が、紅に嫌な予感だけを残す。
銃口を動かしていく彼を見ながら、「骸…?」と小さくその名を呼んだ。
その声が聞こえる筈もないのに、彼は彼女の方を向く。
己のこめかみに銃口を押し当て、そして笑った。

「や…めて…」
「Arrivederci」

銃声一発と、崩れ落ちる音。
その光景が紅を現実へと引き戻す。

「いやああああっ!!」

今まで動かなかった身体は勝手に動き出した。
傷んだ床が膝を傷つけるのも厭わず、骸の傍らに膝をつく。

「どうして…!!骸、骸…答えてよ、骸ッ!!!」

大怪我を負うのとは訳が違う。
こめかみを銃で撃ち抜いたその先にあるのは―――死だ。
取り乱す紅を前に、ツナ達はその表情を歪ませる。

「紅…」
「嫌よ…。もう、誰も失いたくなんてないのに…どうして…」

何年も待って、漸く再会出来たのに。
やっと手に入れたと思ったら、指の間をすり抜けていってしまう。
たとえ彼が犯罪者であろうとも、紅にとっては大事な家族だった。
罪を償わなければならない事は分かっているし、それを逃れられるほどマフィアの世界は優しくはない。
最悪、その先に待つものが死だったかもしれない。
それでも―――こんな風にして命を終わらせて欲しくなかった。

「また…私を置いていくの…?」

もう、彼とランチアしか残っていないと言うのに。
また自分を置いて逝ってしまうのか。
ボロボロと涙が溢れた。
動かない骸の手を額に押し当てて涙を流し続ける。

「紅…」
「そっとしておいてやれ。ボンゴレが到着するまでだ」

ツナの声を遮るようにして、リボーンがそう言った。
骸を敵としてみていた獄寺でさえ、彼女の様子に僅かながらも胸を痛めている。
誰かにとって敵だったとしても、その人は誰かにとっては大切な人。
複雑に絡み合う矢印が、偶々相反した方向を向いていただけなのだ。
それだけで、こんなにも哀しい結末を生んでしまうものなのか。
そんな事を考えていたツナの視界で、彼女の背中がぐらりと揺れた。

「紅!?」

ドサッとその場に倒れこむ彼女。
骸が何かを?と思ったけれど、彼は彼女と並ぶようにして崩れ落ちたままの姿勢を保っている。
慌てて駆け寄り、それに続いたリボーンが彼女の脈を確かめる。

「…意識を失っただけみたいだな。ここからは医療チームの仕事だ」
「紅は大丈夫なの?」
「立て続けにこんな事があったんだ。精神が限界だったのかもな」

そう言って、リボーンが紅の頬に掛かった髪を耳に掛ける。
露になった彼女のそこには、いくつもの涙の後が残っていた。
僅かに顔の角度が変わり、目元から一粒の涙が零れ落ちる。
その光景はとても綺麗で、それで居て、酷く哀しいものだった。

「紅にとっては…大事だった、んだよな」

意識を手放しても、彼女の手は骸のそれを握り締めていた。
それを見下ろし、ツナが静かに呟く。
彼の心境はとても複雑だった。

「…紅はマフィアだ。それくらい、ちゃんと分かってるぞ」
「そんなの!口ではいくらでも言えるよ!それと気持ちとは別問題だろ!?」
「甘ぇぞ、ツナ。マフィアの世界はそう言う所だ。昨日の友が今日の敵になる事だってありえる」

ファミリー間の抗争で仲間を失う事だってザラ。
彼女が生きているのは、そういう世界なのだ。

「紅は今回の一件もちゃんと乗り越えられるぞ」
「リボーンは紅に何を期待してるんだよ…。いくらマフィアに入ってたって、紅は女の人なんだ!
こんな…辛い事ばっかり、あんまりだよ…」

ツナの悲痛な声に獄寺が眉間に皺を寄せた。
確かに、彼の言っている事はマフィアからすれば甘い。
彼女が生きているのはそういう世界で、そんな世界の中、彼女は確かに黒アゲハとして名を上げている。
今回の事は、ずっと内に秘めていた過去が表へと出てきてしまった為、ショックが大きかったのだろう。
獄寺の聞いていた黒アゲハの噂には、こんな彼女を表したものは一つだって無かった。

薬学の権威、発明のスペシャリスト、頭脳明晰で冷徹無慈悲。

どれが正しくて、どれが間違っていて。
本人を見てしまえば、そんな風に白黒をつける必要などない。
目の前に居る彼女こそが、雪耶紅であり、黒アゲハとしてマフィアの間でも名の通った彼女だ。

「―――…帰りましょう、10代目」
「獄寺くん…」
「リボーンさんが言うんです。間違いありませんよ。こいつは…きっと、乗り越えられるんです」

まさか彼がそう言うとは思わなかったのか、ツナは驚いた表情だ。
しかし、すぐにその表情を少しだけ和らげる。

「そう…だよね。うん。…今は皆の治療が先だし」

そう言って、ツナは頼りなく笑った。


彼らの後方で倒れていたビアンキの目が開く。
その目に数字が浮かんでいた事に気付いた者はいない。

08.01.04