黒揚羽
Target --060
建物の中に入り、制限されている進路を進む。
途中、隣の部屋から爆発音が聞こえたが、紅は足を止めなかった。
覚えのある、ダイナマイトの爆発する音が聞こえると言う事は、獄寺が動いていると言う事。
それならば、自分がここに留まって時間を割く必要はない。
やがて、紅は覚えのある背中を三つ、その眼前に捉えた。
「ツナ!」
周囲を警戒していたのだろう。
名前を呼ばれた彼は、ヒィ、と言わんばかりに飛び上がった。
彼の心臓に申し訳ないことをしたな、と思いつつ、彼の傍へと歩み寄る。
「私も、一緒に行かせて」
骸の所に行くんでしょう、と確認のように、彼女が言う。
頷けば、彼女はありがとう、と静かに微笑んだ。
「ランチアはどうした?」
「…毒の方は問題ありません。怪我は…致命傷にはならないでしょう」
紅は大丈夫だとは言わなかった。
大丈夫では無いという事ではない。
ただ、彼女の感覚として、あの怪我を負ったランチアの状態を「大丈夫」とは言いたくなかったのだ。
「紅、あの…」
言いにくそうに、ツナが視線を彷徨わせる。
それを見て、あぁ、聞いたんだな、と思った。
「センセから聞いたのね?」
そう問いかければ、コクリと頷く。
申し訳なさそうに眉尻を下げる彼を見て、紅は苦笑した。
ビアンキに視線を向ければ、彼女も同じような表情で紅を見つめている。
紅はただ一度静かに息を吐き出し、それから口を開いた。
「ツナが気にする事じゃないのよ」
「でも…っ。恋人、なんだろ?」
「…」
紅は彼の言葉に、即座に返事できなかった。
ツナが恋人だった、と表現しなかったからだ。
「今でも彼を愛しているのかは…わからない。でも、あの頃は…本当に好きだったんだと思う。
幸せだったの。決して綺麗な事ばかりの日常じゃなかったけど…それでも、皆や彼と一緒で、幸せだった」
あの頃を思い出して浮かぶ感情は、嬉しさや楽しさ。
もちろん、辛い事がなかったわけではない。
けれど、それを上回るほどに、紅は幸せだった。
「紅…」
「告白とか…そう言うのは一切なかったわ。年が近かったし…いつの間にか。
温かい、心同士の繋がりみたいなものがあったの。家族よりも少しだけ遠くて、他人よりもずっと近い繋がりが」
その距離は酷く心地よいものだった。
人を好きになると言う事は、こう言うことなのか。
そう悟ったのも、あの頃だ。
思い出すように目を細めた紅を前にして、ツナは苦しげに表情を歪めた。
「…ごめん。勘違いかもしれないけど…紅は、まだランチアさんの事が好きなんだと思う」
「え…?」
「だって、紅…泣いてるよ。気付いてないの?」
彼にそう言われ、紅は自身の頬を撫でた。
あたたかいそれが頬を伝っているのを、漸く自覚する。
「紅…誰かを愛する想いは、そう簡単に消えるものでも…忘れられるものでもないのよ」
そう言って、ビアンキが紅を抱き寄せた。
彼女の肩に額を乗せるようにして、紅は静かに涙する。
こんな事をしている場合じゃないのに、溢れた涙は止まってくれない。
「泣きなさい、紅。我慢していても、その気持ちは消化できないでしょ?」
ビアンキは紅が過去を話してくれた時のことを思い出していた。
ボンゴレに向かったのは、ボスを暗殺する為だった事。
ファミリーを失った事―――恋人だと思っていた人が、彼らを殺してしまった事。
全てを話してくれた彼女は、泣き疲れるようにして眠ってしまった。
そして、その翌日…ビアンキにそれらを話したこと自体を、忘れてしまっていたのだ。
一種の防衛本能だったのだろう。
紅の精神を守るために、本能がそれを口にしたという事実を忘れさせた。
それほどに、彼女にとっては辛い出来事だったのだ。
慰め、励まし…紅のために一晩かけて考えたそれらの言葉は、彼女に伝えられぬままにビアンキの中に封じられた。
「顔を見たら…止まらないの…っ」
「…ええ。わかってるわ」
「でも、私の心の中には、もう彼だけじゃなくて…。ぐちゃぐちゃで、どうしようもないくらいに…っ」
「どちらかを選ぶ必要なんてないのよ。全ては…時間が解決してくれるから」
だから、大丈夫。
ビアンキはただ震える紅の背中を優しく撫で続けた。
「リボーン…」
「…ディーノが話してた状況よりは…泣いてるだけ、マシだな」
全てを拒むように表情を消してしまっているわけではない。
それを考えれば、心の内を涙として外に放出できるのは、まだマシな状況だと言えるだろう。
「何で…こんな、辛い思いをしなくちゃならないんだろう…」
本来は被害者となるものが加害者となってしまっている状況。
紅は、憤りや憎しみ、悲しみを向ける矛先を失ってしまっている。
どこに向けることも出来ない感情は、彼女の内側を蝕んだ。
言葉で言い表す事のできないそれを、彼女はずっと持ち続けていたのだろうか。
「骸…」
なんて酷い事を、と思う反面、ツナもまた、彼に完全な怒りを向けることが出来ないでいる。
彼が真の犯人であると分かっているけれど、彼は彼女のファミリーだったのだ。
紅にとっては、彼も大切な一人だった。
それを考えると、遣る瀬無い気持ちだけが溢れてくる。
「リボーン…俺は…」
「迷うなよ、ツナ。あいつがした事、あいつにされた事…お前は、忘れるな」
何故、自分がこんな所に来るはめになっているのか。
元を辿れば、その理由は骸以外にはありえない。
自分を炙り出す為だけに、無関係な人を襲ったのも彼だ。
それを忘れるな―――リボーンの言葉に、ツナは頷いた。
「分かってるよ」
分かっている。
山本や獄寺も、彼の所為で怪我を負った。
それでも、彼らは自分についてきてくれているのだ。
巻きこんでしまった京子やハルの為にも、必ず帰らなければならない。
「お前が考えるのは、お前のファミリーの事だけだ。骸の事は、誰よりも紅が考えてる」
それは、紅にとって、彼がツナのファミリー…仲間を大切にするのと同じだからだ。
はっきりとそれを自覚した彼は、ただ一度だけ頷く。
それから、そっと紅を見た。
口元を押さえ、額をビアンキに預けて涙を流す彼女。
彼女の零した涙が、とても綺麗に見えた。
07.12.08