黒揚羽
Target --057
誰にも会いたくなくて、ちょっとした茂みに身を隠した。
少年の小さな身体は、簡単にそれの中に隠れてしまう。
「骸」
ふと、自分を呼ぶ声が聞こえる。
それはいつも世話と称して彼を呼ぶ男のものではなく、少し高めの女のものだ。
その主を知っている骸は、茂みを少しだけ動かして、その声の主が見えるようにした。
向こうからは見えない程度に小さく枝を避けてできた空間に、彼女の姿が見える。
何かを探すように、しきりに左右に顔を動かしつつゆっくりした足取りで近づいてくる彼女。
その様子はまるで我が子を探す母親のようにも見え、とてもではないが、マフィアには見えない。
尤も、何かを探しているわけではなく、骸を探しているのであり、かつ彼女は母親となるにはまだ少し若い。
「骸。隠れてないで、出ておいでよ」
隠れていると言う事を理解しているならば放っておいてほしい。
そう思うけれど、彼の目は彼女を捕らえて放さない。
見つけて欲しいのか、放っておいて欲しいのか。
自分の感情を持て余している間に、彼女はすぐ近くまで来ていた。
ガサッと茂みを分ける音がする。
「はい、見つけた」
柔らかい笑顔でそう言って、彼女は見上げてくる骸に手を差し出す。
「おいで。ランチアも探していたわよ」
「………………」
「んー…その顔は、誰にも会いたくないって感じかな」
にこにこと表情を崩す事もなく、彼女はそう首を傾げた。
問いかけるように語尾を持ち上げる事のない言葉は、それが事実だと知っているからだろう。
「じゃあ、私の部屋においで。こんな所でじっとしてるよりもいいでしょ?」
「…迷惑はかけません」
「迷惑じゃないよ。私、用事があるからこれから2時間ほど部屋に戻らないし。
本なら沢山あるから、骸も暇を持て余さないでしょう?」
だから出ておいで。
彼女は決して無理やりに彼を引きずり出そうとはしなかった。
ただ手を差し出し、彼の方から手を伸ばしてくるのを待つ。
やがて、折れたのは彼女ではなく骸の方だった。
そう言って笑いながら彼女の自室へと歩みを進める。
他愛ない話題を振って来る彼女に対し、骸は殆ど返事を返さない。
それでも、彼女はそれを咎める事もなければ、何か返事を求める事もなかった。
その絶妙な距離感が、骸に安心を与える。
「ランチアは少し構いすぎるかな。鬱陶しいと思う?」
「…別に…」
「うーん…弟分が出来て嬉しいんだろうけれど…ちょっとだけ、過保護よね」
クスクスと笑う彼女に、少しだけ苛立ちを募らせる。
理由は分からないけれど、彼女が彼の事を話すその表情が、胸に棘を残す。
そうしている間に部屋に辿り着くと、彼女は骸を置いてそこを後にしようとする。
「じゃあ、好きに読んでいて構わないからね。骸が見つかったって、ランチアに―――」
彼女は言葉を途中で途切れさせた。
小さな手にギュッと上着の裾を握られ、思わず彼を見下ろす。
「戻って、来ないんですか?」
彼の言葉に紅は数回瞬きする。
それから、ふっと表情を緩めた。
「骸にお菓子でも作ってあげようかと思ったんだけど…それよりも、一緒にいる方がいい?」
紅は彼との会話の時、屈んで目線を合わせたりはしない。
けれど、ごく自然な動作でどこかに腰掛ける。
近くなった優しい眼差しでそう問われ、半ば本能的に一度だけ頷いた。
「そっか。…30分だけ待っててくれる?」
彼女の問いに、返って来たのはほんの少し不服そうな顔。
それが返事だろう。
クスクスと笑い、彼の頭を撫でた。
「じゃあ、15分だけね。お茶を用意して、心配してくれてる皆に知らせてくるから」
彼女は優しかった。
憎むべきマフィアに属しながらも、それに染まる事無く自分を保っていた。
彼女の前でだけは、歳相応の姿でいられると言う事を、骸自身も悟っている。
「…貴女だけが…僕を人にする」
彼女に望んでいるのは、母親か姉か、それとも―――
骸は閉じていた目を開く。
半分崩れたような壁に凭れ、その場に佇んでいた。
「紅さん。僕と一緒に来ませんか?」
床に伏す雲雀の傍らで、紅がピクリと肩を揺らす。
ここでは満足な治療も出来ない。
けれど、何かせずにはいられなかった彼女は、殴られたらしき頬の傷を拭った。
「…骸。私には、あなたが何を思って、何をしようとしているのかが分からない…」
理解しようとしなかったわけではない。
ただ、出来ないのだ。
彼は元からこんな事をする人間だったのだろうか。
あの幼い日に見せた穏やかな笑顔も、偽者だったのだろうか。
紅の頬を涙が流れた。
「あなたの無事を願っていたけれど、それはこんな再会を果たしたかったからじゃないわ」
「ええ、そうですね」
骸はあっさりとそう答え、壁に凭れさせていた背中を離す。
そして、殊更にゆっくりと歩みを進め、紅の後ろに立った。
「ずっとボンゴレにいて欲しいと願っていたのに…どうして、あそこから出てきたんですか」
その声は思ったよりも切ない響きを持っていた。
紅は驚いたように肩を揺らし、目元を濡らしたまま彼を振り向く。
「手の届く所に来てしまったら、奪いたくなる。例え…その居場所を、壊してでも」
「む、くろ…?」
膝を着いた彼の指が、目元を拭う。
その指の動きがあまりにも優しすぎて、紅は涙を忘れた。
「僕のどす黒い感情など…貴女は気付いていなかったんでしょうね」
幼いながらに、自分よりも一回りも年上の彼女に抱いた感情は本物だった。
もっと早くに生まれていれば―――ランチアの隣に並ぶ彼女を見て、何度そう思ったか分からない。
醜くて情けない感情を、それでもくだらないと捨てる事は出来なかった。
「貴女がいてくれるならば、マフィアも何もかも…どうでもいいと思っていたんですよ。…あの日までは」
骸の声が酷く近くに感じたかと思えば、トンと首筋を打たれる。
避ける暇すらなく…いや、余裕すらなく、と言った方が正しいだろうか。
紅はそのまま意識を飛ばし、彼の腕へと崩れ落ちた。
それと同時に、彼の視界をヒュンと何かが掠めていく。
「…それだけの怪我を負いながら、よくもまぁ動けるものですね」
感心しますよ、と自身の顔を強打する位置を通ろうとしたトンファーを握る。
傷の痛みに眉を顰めつつ、雲雀は小さく舌を打った。
「紅に…触らないで、くれる…」
「…冗談を。それはこっちの台詞ですね」
そう言うと、骸は今までの笑みを消し、冷めた目で雲雀を見下ろす。
すでに身体を起こす事すらままならないと言うのに、彼女を気絶させた瞬間に攻撃を仕掛けてくるとは。
骸はそこに、紅への執着心の片鱗を見た。
「歯を抜くまで大人しくしていてもらいますよ」
彼女を抱き上げると、骸は雲雀の鳩尾へと一撃を食らわせる。
軽く吹き飛んだ雲雀が壁へと打ちつけられるのを見届け、その部屋を去った。
あの頃は身長すらも遠く及ばなかったのに、数年ぶりの再会を果たした彼女は同じくらいの年齢。
自分の知らない、少女とも呼べる時の彼女を見下ろし、骸は口元を穏やかにする。
「貴女には…気付いて欲しくなかったんでしょうね、僕は」
どんな所に隠れていても、必ず自分を見つけてくれた彼女。
怒るでもなく諭すでもなく、笑って手を差し出してくれた。
まるで、マフィアの殲滅と言う大義を掲げる自分の中から、歳相応の部分を探し出すかのように。
彼女を前にした自分は、ただの少年だった。
07.11.13