黒揚羽
Target --055
懐かしい…とても、懐かしい記憶。
走馬灯のように流れていくそれをぼんやりと眺める自分。
あぁ、これは夢なんだな。
そう思えるほどに、冷めた頭で目の前の光景を見つめる。
こんなにも鮮明に見えているのに、彼らはもう思い出になってしまった。
もう二度と笑い会う事はない。
もう二度と会うこともない。
もう二度と―――
ふと、目が覚める。
覚醒と言うには些か自然な目覚めは、夢と現実の境界を曖昧にした。
開いた目が映したのは、何の変哲もない―――とは言えないけれど、草臥れた室内。
革張りのソファーに横たえられていたらしく、支えるために滑らせた手の平の感覚がそれを教えてくれた。
「…ここは…」
思い浮かぶ様々な場所を考えたが、どうやら記憶にはないらしい。
しかし、場所以上に紅の脳内を占めるのは、意識を失う直前に見た彼の姿だ。
その光景を思い出し、ギュッと自身を抱きしめる。
慣れたはずだった学ランの布地が、まるで他人の物のように思えた。
「どうして、今頃になって…っ」
あまりにも辛い記憶だから、思い出にしたのだ。
それだって、数年と言う長い時間をかけた。
それなのに、何故今頃になって彼は自分の目の前に現れるのか。
先に姿を消したのは、彼の方だったのに。
「目が覚めましたか」
不意に、聞こえてきた声に紅は自身を抱きしめたまま目を見開く。
身体を縮めるようにしていた所為で、顔は自身の膝を見下ろしたままだ。
鼓膜を振るわせた声を認識して、そして理解する。
「………どうして、こう次々に…」
顔を上げた彼女の視界に映りこんだのは、自分の意識を飛ばした人物ではない。
けれど、紅は彼を知っている。
「久しぶりですね、紅さん」
「………骸…」
この名を紡いだのは何年ぶりだろうか。
少年からの過程もなく、突然に青年になってしまっている彼だが、それでも見間違える筈はない。
「…噂は本当だったのね…」
どこか納得したように、そして囁くように。
小さくそう呟いた彼女に、彼、骸は目を細めた。
「その姿を見た時には驚きましたよ。今ではその道の権威だとか。流石は紅さん…とでも言うべきですかね」
「下手なお世辞は要らないわ」
「おや、随分不機嫌ですね。『彼』との再会は楽しめませんでしたか?」
残念です、ととてもそうは思っていない口調でそう告げる。
そんな彼に、紅の感情が揺れた。
目に宿ったのは、怒り、憎しみ…そして、いくらかの悲しみ。
「どうして…!どうして、あんな…!」
「ファミリーを全員殺した事ですか?」
「どうして!?あなただって、彼らに拾われた身でしょう!?それを、何で…っ!」
声を荒らげた彼女は、そこまで言うと唇を噛んだ。
そんな彼女の様子を見て、骸は「これを待っていた」と思う。
「あなたは何が聞きたいんですか?僕がファミリーを殺した理由なのか、それとも…」
そこで一旦言葉を区切る。
そうして、紅の視線を受けてから笑みを深めて、彼は言葉を続けた。
「『彼』を使った理由ですか?」
最後まで紡ぎ終えるのが早かったか、紅がその場から消えるのが早かったか。
瞬きをした次の瞬間には、彼女の拳が骸の手によって止められていた。
数メートルの距離を一気に縮めた彼女の初撃を受け止め、次いで繰り出される足技を避ける。
「彼を使ったのは…丁度良かったからですよ。世話役と言う位置も、強さも」
「…やめて!」
「ファミリーを殺したのは、邪魔だったからだ。拾われたことを感謝した事など、片手ほどもない」
「やめてって言ってるのよ!!」
ダン、と骸の胸を拳で叩く。
まるで力の入っていないその拳は、彼女の心の現われのようでもあった。
「どうして…なの…?」
震える声で、再度そう問う。
握った拳を押し当てるようにして、もう一度彼の胸を叩いた。
彼もまた、決して痛くはないその攻撃を避ける事無く受け止める。
「私は…あなたの事を、弟みたいに…っ」
そう思っていた自分の想いは、一方通行のものだったのか。
確認する必要などなく、そう言う事なのだろう。
「どうして私だけを生かしたの…」
「…紅さんを殺すつもりはありませんでしたから」
彼がどんな表情で自分を見下ろしているのかは知らないし、顔を上げるつもりもない。
悔しさや哀しさや…様々な感情が入り混じって浮かんだ涙を、彼には見せたくなかった。
自分がこんなにも弱い生き物だとは思わなかった。
それほどに、自分にとってあのファミリーは大切だったのだ。
「ファミリーが邪魔だったなら、私も一緒に殺せばよかったのよ!そうすれば…あなたやランチアを憎まずに済んだのに…」
何も知らずに死ねたならば、こんなにも辛い思いをすることもなかった。
生かされた自分だけが辛いのだと言えるほどに愚かではない。
それでも、彼らと運命を共にしていたならば―――そう考えてしまうのは、人間の性だろう。
「一つ、言っておきましょうか」
「…何…」
「僕は彼を操った覚えはありますけれど、ボスまで操った覚えはありませんよ」
思わず顔を上げれば、満足げな…けれど、どこか寂しげな表情を浮かべる骸と目があった。
彼は何も言わず差し出した指先で紅の目元を拭う。
零れないようにと頑張っていた涙がその反動で頬を伝い、一筋の跡を残した。
憎まれていると分かっている筈なのに、彼の指先が優しい。
そのアンバランスな優しさは、今は心の傷を深めるだけだ。
「紅さんを任務と称してボンゴレに送り込んだのはボスの独断です。…何か、感づいていたんでしょうね」
「ボス…が…」
骸の言葉に、紅は首を振りながら再び顔を俯かせた。
思い出すのは、もう5年も前の遣り取り。
「ボス!私にも仕事をください!」
ちゃんとこなして見せますから、と強くボスに言ってのけたあの頃の紅は、本来の姿だった。
と言っても20やそこらの娘はファミリーの中ではまだまだ若輩者。
花よ蝶よとされていたわけではないにせよ、一度も仕事を与えられた事はなかった。
ボスが頷かない上に、頷きそうになれば周囲が断固として反対する。
役に立ちたい意思は尊重するが、仕事は渡せない。
常日頃からそう言われて来た、あの日その我慢は限界に達する。
ボスの元へ自ら直談判に来た彼女に、ボスは初めて頷いた。
「極秘任務をやろう」
ボスの言葉に素直に喜んだ。
そうして、単独でボンゴレに向かい、そこであの最悪の事態を耳にする。
一家全員の惨殺。
自分が離れていた少しの間に全てが始まり、そして終わってしまっていた。
「彼らはあなたの事が大事だったんでしょうね。いくら僕でも、ボンゴレの中にあるあなたを殺しには行けない」
たっぷりと間を置いて、骸はそう言った。
それはそうだろう。
惨殺されたファミリーの生き残りだ。
殺される可能性があるとわかっているボンゴレの9代目は、紅を守るようにアジトの奥へと案内した。
結果として、彼女の存在はボンゴレ内部の者ですら、一握りしか知らないものとなる。
数あるマフィアの中でも強大なボンゴレが守ろうとすれば、それに対抗するなど無意味だ。
「尤も、僕があなたを殺すなんてありえませんけれどね。僕はあなたが欲しいんですから」
骸の紡いだ言葉を理解できているのか分からない。
頬を撫でられる感覚に気付きながらも、紅は目を閉ざしたままだ。
哀しく伏せられた瞼から、透明の雫が流れ落ちる。
彼が犯人だと分かっているのに、憎みきれなくてごめんなさい。
大切にしてくれたのに、一緒に逝けなくてごめんなさい。
それでも、私は―――あなた達が大好きでした。
07.09.19