黒揚羽
Target --054
何かのカウントダウンだと言う事は分かった。
ただ、それが何を意味するのか…そこを理解するには至っていない。
すでに被害者は片手では足りなくなっている。
徐々に風紀委員の中の空気もピリピリと緊張感を増してきていて、自主的に町を見回る者まで居る。
そんな中、紅は事態を冷静に把握しようと一歩下がってその状況を見ていた。
だからこそ、気付けるものがある。
「…次に狙われるのは、恐らく…」
彼女が呟くと同時に、ポケットの携帯が着信音を奏で始める。
早く出てくれ、と急かす様に鳴り続けるそのディスプレイを確認せずに通話ボタンを押す。
「はい」
『やってくれたぜ。ついにお前の知ってる名前まで被害が出たぞ』
相手を確認する事もなくそう言い出したのは電話の向こうに居る暁斗だ。
彼の言葉に、紅は己の予想が間違っていない事を悟る。
「今度の被害者は誰?」
『笹川了平』
「………やっぱり…」
狙われるかもしれないと思った。
けれど、何の確証もなかったので言い出せなかったのだ。
こうして被害が出る前に食い止められれば良かったのだが、早朝から学校に居た自分に出来る事など少ない。
まさか、彼の携帯のアドレスを知っているわけでもないのだから。
『んで、ついでに面白い情報を耳にしたんだが…聞いとくか?』
「…そうね」
促すような沈黙を送れば、彼は焦らす事もなく話し始める。
数秒後に電話を切るなり、彼女は何も言わずに携帯をポケットに押し込んだ。
それから、脱いでいた学ランに袖を通す。
時期的にも着る必要はないのだが…ないと落ち着かないのだから仕方がない。
その直後、紅の携帯が再び着信音を奏でた。
先ほどとは違ったメロディのため、それがメールの受信音であることに気付く。
折りたたみ式のそれを開いてメールの内容を確認した彼女の眼が徐々に冷めていく。
パカン、とそれを閉ざし、ただ一度短く息を吐き出してから窓の外を見た。
すでに登校を始めている生徒も多く、けれども土日の事件もありいつもよりはその数が少ない。
そんな風景に背を向けると、足早にドアの方へと向かった。
ふと応接室のドアに手をかけたところで、紅は一旦足を止める。
―――雲雀に言った方がいいだろうか。
そう考え、やがて「やめておこう」と言う結論に達した。
自分の目で確かめてから連絡しても問題はないはずだ。
そう思いなおすと、彼女はドアノブに手をかけて応接室を後にした。
閑静な住宅街の中にある、割と小さな公園。
いつもならば子供の笑い声が聞こえてもいいはずなのだが、公園内は静まり返っている。
まだ通勤・通学の時間帯である事も手伝っているだろうけれど、原因はそれではない。
並盛の生徒が次々に襲撃されているという事件を受け、外出を控えているのだろう。
無論、そんな危ない中に我が子を放り出す親はいない。
そのお蔭で、紅は誰かに見られることもなくここに辿り着く事に成功した。
「こんな所に呼び出して、どう言うつもり?」
ベンチの一つにその姿を捉え、紅は冷たくそう問いかける。
覚えのある人物ではないけれど、名乗ってやる必要性はない。
持っていた携帯を開いては閉じる、そんな行動を繰り返していたその人物は、紅の声に反応してこちらを振り向いた。
「遅いじゃない。待ちくたびれたわ」
黒曜中学の制服に身を包んだ、女子生徒だ。
制服を着るに値する年齢なのかは、この際考えない事にする。
傍らには楽器を入れるケースが置いてあるが、生憎その形だけでは何の楽器なのかはわからない。
バイオリンのようなものではない事は確かだろう。
「携帯を返して」
「はいはい。こんなダサいの、用が済んだら要らないわよ」
そう言って彼女は先ほどから何度も開いたり閉じたりしていたそれを放り投げる。
紅は一歩も動く事無くそれを受け止め、ポケットへとしまいこんだ。
その間も彼女からは視線を外さない。
「あーあ…何だって私がこんな女を迎えに来なくちゃいけないの?」
心底面倒、と言う態度を崩さずに長く深い溜め息を漏らす。
なら態々風紀委員の携帯を使って呼び出すな、と思うのだが、何か理由があったのだろう。
彼女の『迎えに来る』と言う表現が気になるところだ。
眉を顰める紅を気にする事無く、彼女は不満げに片眉を吊り上げた。
「こんな女のどこがいいんだか…。ねぇ、あんた本当に黒アゲハなの?」
「…なるほど。黒曜の制服はただの飾りと言うわけね。本職はマフィア関連に間違いはないでしょう?」
直接マフィアだと決め付けるには情報が足りない。
しかし、黒アゲハと言う紅の通り名を知っている以上、無関係ではない。
「(…風紀委員の枠を超えた事件のようね…)」
いくら彼らがこの辺の秩序を守っているといっても、所詮は不良の範囲だ。
今回の一件はその枠を超えてしまっている。
脳内でそう結論付けた紅は、ごく自然な仕草で左手をポケットの中に手を入れた。
自分の携帯を指先で探し当てて僅かに開く。
開く時にも閉じる時にもカチッと音のしない型の携帯を使っていて良かったと思った。
「痛めつけてから連れて行った方が楽なのに、怪我させるなって言うし…ホント、面倒なのよね」
呟きなのだが、明らかに聞こえるように言っている。
彼女はその時になって漸くベンチから立ち上がった。
それから、脇に置いていたケースに手をかける。
そんな彼女を警戒しつつ、右手で太股につけてある鞭の存在を確認する。
紅の行動に対し、彼女はクスリと笑った。
「お仲間なら自分で呼ばなくたって、後で呼んであげるわよ」
「何を―――っ!?」
前の彼女にばかり気を取られていて、背後から近づいてきた人物に気付かなかった。
痛いほどに左手首を掴まれた所で、漸くその存在を知る。
グイと強く引かれ、手が携帯を持ったままポケットから飛び出した。
より強く手首を締め付けられ、否応無しに指先の力が緩む。
支えを失った携帯は重力に従う他はなかった。
この高さから地面に落とせば壊れる―――そんな可能性が脳裏を過ぎるが、それよりもこの腕を逃れる方が先だ。
振り向こうとした紅は、脇から伸びてきたもう片方の手が携帯を受け止めるのを見た。
同時に、ふわりと鼻先を掠めるそれ。
脳内が理解するよりも早く、身体が動きを止めた。
「―――――…っ」
声が出ない。
―――この香りを知っている。
自分の左手を拘束している手はすでに必要以上の力は込められておらず、痛みはない。
その所為で、気付いてしまった。
―――この手を、知っている。
全身の筋肉が強張るのを感じた。
恐らく、背中にいる『彼』もそれに気付いているだろう。
そんな自分を見て、『彼』は一体何を思っている?
「―――すまん」
小さく、本当に小さく聞こえた声。
その意味を確認する暇はなく、紅は首筋に軽い衝撃を感じた。
同時に、思考が暗転する。
振り向いたそこに居る人が、自分の予想を裏切っていて欲しい。
けれど、視界が完全に閉ざされる直前に見えたのは―――
力を失う身体を優しく抱きとめられた事だけは、何となく感じていた。
「ねぇ、あんた。そんなにその女の事が大事なわけ?私がこれに手をかけた瞬間に殺気を送ったでしょ」
「………………………」
「はぁー…無口は相変わらず、ね。ホント、ろくでもない男ばっかり。やっぱり、骸ちゃんじゃないとね」
やんなっちゃうわー、などと間延びした声を発しながら、ケースを持ち上げて身体を伸ばす。
自分の役目は終わったとばかりに歩き出す彼女を続くように、彼もまた行動を始めた。
腕の中に崩れ落ちた紅を見下ろす。
意識を飛ばす直前に、彼女は僅かに口を開いた。
結局、何かが紡がれる前にその身体は崩れ落ちてしまい、彼女が何を言おうとしたのかは分からない。
自分を責めようとしたのか、それとも―――
持ったままだった彼女の携帯を自分の胸ポケットに押し込み、彼女の身体を抱き上げる。
自分の知っている彼女よりも幼さの増した身体は軽い。
彼は背中から肩を支える腕に僅かに力を込め、ゆっくりと歩き出した。
07.09.13