黒揚羽
Target --051
「…はい?」
思わず、そんな返事を上げてしまった。
それも無理はないと思いたい。
「桜はまだ咲いてるよね」
突然に応接室に戻ってきて、開口一番に紡がれた雲雀の言葉はこうだった。
紅が間の抜けた返事を返してしまっても、誰も咎められないと思う。
「どうなの?」
「どうって…咲いていると思いますよ?うちの近くの公園も、今が見頃ですから」
とりあえず、訳がわからないながらもそう答える。
そんな彼女の返事に満足したのか、雲雀は一度頷いてから更に続けた。
「なら、花見でもしようか」
「………はい…?」
一体、何度こう答えねばならないのだろうか。
ザァ、と風が吹けば、緋色の花びらがそれに乗って遠くへと舞い上がる。
それを眺めながら、紅は「風流だなぁ」なんて微妙な感想を漏らした。
感想を紡ぐ声にも、いまひとつ力が篭っていない。
本当にそう思っているのか?と感じさせるようなそれだ。
「しかし…雲雀さんも思い切ったことをしますね…」
本人は傍に居ないのだけれど、癖のように敬語を使ってしまう。
元々は自分の方が年上なのだからそれ自体がおかしいのだが…不思議なものだ。
条件反射と言うか、兎に角、彼の支配者的な空気が、紅にそうさせているのだろう。
「随分暇そうだね」
不意に、そんな声がした。
誰の声かは、言うまでもない。
チラリと視線をそちらに投げれば、学ランを肩に引っ掛けた雲雀がそこに居た。
「花見に暇も何もないと思いますけど」
別に、酒盛りをするわけでもメンバーで食事を楽しむわけでもないのだ。
桜を見上げるくらいしか、する事はない。
仕方無しに、と言うわけではないが、そういう理由があってただ桜を見上げていたのだが…。
彼に言わせれば「暇そう」らしい。
「雲雀さんはどちらに?」
「邪魔が入らないようにしてきた」
「…なるほど」
道理で、こんなにも綺麗な桜があるのに、誰も居ないわけだ。
風紀委員の下っ端がそれを止めている事は明らかだ。
止められる側ではなかったという事は、幸か不幸か。
桜を見上げる事を好んでいる彼女にとっては、恐らくは幸いだったのだろう。
「それにしても…花見をさせてもらえるとは思いませんでした」
ありがとうございます、と彼女は微笑む。
そう言えば、彼は「別に」と答える。
「君のためにしたわけじゃないよ」
「でも、そのお零れに預かれているわけですから…嬉しいんです」
それに対してのお礼だ、と言えば、彼は僅かに肩を竦めた。
何を言っても無駄だと判断したのだろう。
彼女の礼を素直に受け取る気になったらしい。
どういたしまして、と棒読みの返事を返してから、彼は紅が座っていたベンチに腰掛ける。
丁度、立派な枝振りの桜に見下ろされるような位置にあるそれ。
彼が人払いをしていなければ、こんな風に落ち着いて楽しむ事は出来ないだろう。
桜の下の場所取りと言うのは、ある種の争奪戦のようなものなのだ。
そんな苦労をする事無く、こうして満開の桜を見上げる事が出来るのは…とても、恵まれた事なのだろう。
「―――?何か、騒がしいですね」
不意に、紅が桜から視線を外す。
どこから聞こえるのか分からないけれど、そう…言い争うような、そんな声だ。
恐らくは風紀委員が一般人を追い払っているのだろうと予測は付くけれど。
紅の声に答えるように、雲雀もそちらへと視線を向けた。
それから、寛がせていた背中を背もたれから離す。
不機嫌に歪んだその表情から、この先の行動を読み取れる程度には長い付き合いだ。
スタスタと歩き出す彼に、折角の花見なのにな…と思いつつもその背中に続く。
前方に見えた学ランの背中が腰を折る。
補足するならば、学ランの背中と言ってももちろん雲雀のそれではない。
先ほどから話していた、人を追い払っている風紀委員の下っ端だ。
まだ入って間もない彼の名前は…申し訳ないが、覚えていない。
「あぁ、やられましたね」
なんて暢気な声を発した紅は、崩れ落ちた彼の向こうに見慣れた人物らを見た。
何と言うか、間が悪い。
確かに昨日でも明日でも駄目なほどに、桜は丁度良く満開だ。
けれど、何もここを選ばなくても良かっただろうに…。
彼らの不運を哀れんでいる間にも、雲雀はさっさと進んでいってしまう。
やれやれ、と肩を竦めてから、紅は残りの距離を詰めるように歩んでいった。
「出来れば穏便に事を終えませんか?」
雲雀の登場に驚きを隠せない彼ら…ツナたちは、そんな女性の声を耳にした。
そこに居たのは、雲雀と同じ学ランに腕を通している紅の姿だ。
先日会った時のように成人した姿ではなく、自分たちに近しいその姿で、彼女はそこに居た。
「紅!!」
「ツナ…あなたも、大概不幸な道を辿ってるわね」
何も、この時間にここに居なくても。
暗にそう告げている彼女に、ツナは尤もだと思った。
自分だって、こうして風紀委員と一緒になるなんて思わなかった。
この不運を呪わずして何を呪うと言うのか。
「と、とりあえず助けて」
「無理…かな」
前にも似たような会話をしたな、と思う。
彼らの脳内では 雲雀=危険人物 になっているうらしいのだが、紅にとっては違う。
そのあたりの相違が、二人の会話を良い方向へと運ばないのだろう。
そんな感じの不毛な遣り取りは、第三者の乱入によって掻き回されることになる。
「おぉ、紅がいるじゃねぇか!」
やや呂律の回らぬ声がした。
覚えのある声に、紅は思わず口元を引きつらせる。
普段から厄介な相手だが、酔うと更に酷い。
桜の陰からよたよたと歩き出てきた彼の手には、酒瓶が握られている。
「シャマル…あなたまで、なんでこんな所に…」
「俺が呼んだんだ」
「時々面倒な事しますね、センセ」
即座に答えられる辺り、彼女はリボーンの行動に慣れている。
その長さで言えば、この場に居る者の中では上から数えた方が早いのだから当然と言えば当然だ。
「久しぶりだなー!」
「ちょ、近づかないで!酒は好きだけど酒臭い奴は嫌いなのよ!」
近づこうとするシャマルから逃げ、紅は眉を寄せる。
2メートルほどは離れているのに鼻を突く酒のにおい。
それが気に入らない紅に対し、彼は逃げられた事を気にする事無く彼女に迫る。
シャマルの相手で手が一杯の彼女は、雲雀とリボーンの間で話が進んでいる事に気付かなかった。
「つれないなぁ、紅ちゃーん。ところで、何でまた縮んでんだ?」
「あの格好で学校に行けないでしょうが!あんたに関係ないでしょ!」
「いや、大いに関係ある。この辺とかのボリュームが…」
「触るな!―――ぅわっ!」
思わず拳を握った所で、ぐいと学ランの襟を後ろに引かれる。
そのまま背中の方へと傾いだ彼女の視界は、次の瞬間には黒に埋め尽くされた。
「いつまでも遊んでないでよ」
「ひ、雲雀さん。遊んでるつもりはないんですが」
勢いでそのまま背後へと動かされ、軽く彼の背中に鼻頭をぶつけてしまった。
それを指先で摩りながら、紅は僅かに口を尖らせる。
そこで漸く、彼に助けられたのだと気付いた。
「お!青春だなぁ。おめーが暴れん坊主か」
二人の様子に何を勘違いしたのか、シャマルは楽しげに雲雀に絡んでいく。
本人はからかっているつもりなのだろうが、雲雀自身がそれに対しての反応を返す事はない。
ただ、次の瞬間にはトンファーが閃き、そしてシャマルが崩れるのが雲雀の肩越しに見えた。
07.07.17