黒揚羽
Target  --050

玄関を開く音がして、それから真っ直ぐに近づいてくるドタドタと言う騒がしい足音。
それを咎めるべきであろう母親は現在近所のお母さん方の家にお邪魔して雑談を楽しんでいるらしい。
大きくなってきたその足音は止まることを知らないようで、紅は人知れずクスリと笑いを零した。
さぁ、彼はどんな反応を見せてくれるだろうか。

「リボーン!!学校には来るなって言っただろ!?」

バンッと勢いよくリビングのドアが開かれる。
蝶番の悲鳴が聞こえるような気がしたが、自分の家ではないのでそれを気にする必要はないだろう。
視線をそちらに向けた紅は、肩で息をしつつ目を大きく見開いて最大限の驚きを表しているツナをその目に映す。

「うるせーぞ」

ブンと音がしそうなほどに勢いよく投げられた置時計が、寸分狂う事無くツナの額のど真ん中に直撃した。












雲雀と別れた紅は、暇を持て余すように一旦家に帰った。
玄関のドアを開いた彼女は、その格好で出て行ったのかと呆れた風に笑うディーノに迎えられる。
何故彼がここに、などと考える必要はなかった。
恐らく、死んだように眠っていた紅を心配して、朝一番にマンションにやってきたのだろう。
鍵は中に居た暁斗が開けるのだから、問題にはならない。

「運んでくれたのよね。ありがとう」

お蔭でよく眠れたわ、と笑いながら彼らの分も朝食を用意する。
本当ならばあまり食べたいとは思わないのだが、成人男性三人を自分と同じように放置するわけには行かない。
因みにその三人の中には、いつもの如くディーノについてきたロマーリオも含まれる。

「用意したから先に食べておいて」
「お前は食べないのか?」
「先に埃を落としてくるわ。少し暴れたから」

髪一筋すらも乱れているようには見えないが、彼女が言うのだから嘘ではないのだろう。
暴れた、と言う部分に眉を寄せるディーノに苦笑しつつ、彼女は彼に近づく。

「眉間に皺なんて、男前が台無しよ?」

そう言って指先で彼の眉間の渓谷をぐりぐりと押さえる。
二・三度円を描くように動かしてから、手を引いた。

「…あんまり無理はするなよ?」

静かに零された言葉に、紅はにこりと微笑んだ。
心配させるのは好きじゃないけれど、心配されるのは嫌いじゃない。
矛盾しているけれど、やはり自分が誰かの領域の中にあるのだと思えば、それも愛おしい。

「ありがとう」

そう言って彼の頬にキスを送ってから、紅は踵を返して浴室の方へと歩いていった。
この身体だと身長差が少なくて便利だわ、などと考えていた彼女は知らない。
残されたディーノが口元を覆って俯いていたことなど。

「ったく…元の身体に戻ると大胆すぎて困る…」

もう少し恥じらいを持て、なんて彼女が聞けば「親父臭い」と言いそうな事を思ってしまう。
そんな彼を、朝食の用意されたテーブルで待っていた暁斗とロマーリオが見つめる。
その視線にはどこか呆れと、そして哀れみの念が込められていた。

「ボスも大変だなぁ」
「うちの姫さんはこう言う面では無自覚な所があるからな…」

普段はキレ者の彼女なのに、何故かこう言う面でふと天然的な要素すら垣間見せることがある。
素直に喜んだ時だとか…そう言った、喜や楽と言った感情がメーターを振り切った一瞬に、それは起こるのだ。

「男の純真なハートを弄ぶなんざ…悪女だなぁ」

自分で言っておきながら、途中で笑いを堪えられなくなってしまった。
純真なハートなんて言葉が似合うような男は、キャバッローネには存在しない。
いや、一人だけ―――今目の前で頬を染めている彼は、それに該当するかもしれないが。
そもそもマフィアの中にそんな男が居れば希少価値がつくだろう。

「ま、ボンゴレ10代目ぐらいだな、そんな奴は」

ククッと笑ってから、暁斗は椅子を動かして立ち上がる。
我らがボスの石化を解かない事には、いつまで経っても朝食にありつけそうになかった。














朝食の後、紅は再び疲れが戻ってしまったのか、昼間だと言うのにシーツに包まってしまった。
男三人もそれを咎める事はせず、うち二人は彼女の健康を確認したから満足だと帰っていった。
残った一人はいつものように自分の時間を過ごす。
そうして数時間が経過した夕方、目を覚ました彼女は身なりを整え、また暁斗に何も言わずに家を出て行った。
向かう先は、彼女の友人と、そして師匠の師匠が住まう家。

「っと。さすがにこの姿で奈々さんに会うのはまずいわね…」

どうしようかしら、と悩み出したのはツナの家が見えてからだ。
電柱の影に隠れたりはしていないけれど、塀の脇に立ってぶつぶつと何かを呟く様は十分に不審だ。
ハッと我に返ってから周囲を見回し、人の姿がないことにホッと安堵する。
そして解決策もないままに顔を上げた紅の目に入ったのは、まさに家を出たばかりの奈々だった。
彼女は少しばかり小奇麗に身形を整え、紅に背を向ける形で向こうへと歩いていく。
あの様子だと、今からどこかへ出かけるらしい。

「…日頃の行いのお蔭かしら」

とりあえず、問題は解決した。
迷いなく足を進めてインターホンを押せば、沢田家とはまったく関係のない女性が「はい」と顔を出す。
そして来訪者をその目に捉えた彼女は、驚いたように目を見開いた。

「紅じゃない!戻ったの?」

こちらの姿でも、いや、寧ろこちらの姿の方が馴染みのあるビアンキだ。
パッと表情を輝かせ、門のところに居る紅の元まで駆け寄ってきた。

「明日にはまた縮む予定だけどね」
「勿体無い。紅はこっちの方が綺麗なのに」

そう言いながら、彼女は紅を家の中へと促す。
家主の居ない家に入り込むのはどうだろうと思ったけれど、ビアンキを止める術はなさそうだった。

「お茶を…」
「あぁ、ビアンキ。いい紅茶を持ってきたの。私が淹れるわ」
「そう?ならお願いするわ」

ビアンキの機嫌を損ねる事無く、紅は自分の身を守ることに成功した。
彼女に淹れてもらったお茶を飲むのは、例え毒を中和できるとしても身体に悪い。
繰り返せばその内に内臓をやられるような気がする。

「普通の料理が出来るようになればいいんだけどね…」

そうなってしまうと、彼女が彼女ではなくなってしまうのかもしれない。
ここは一つ、個性だと納得した方が得策なのだろう。
そんな事を考えながら、紅はてきぱきと用意を進めた。
二人分のそれを用意してリビングへと移った後は、数ヶ月ぶりの再会を楽しむ。

「そう言えば、今日はセンセは居ないのね」
「リボーンならツナを見に行ってるわ。最近どうも気が抜けてるから。この間の小テストで一桁を取ってきてたわ」
「へぇ…。一桁…10点満点のテストって事はないわよね」
「満点は50点…だった筈よ」

ビアンキの返事に紅は苦笑を深めた。
そんな点数を取った記憶のない彼女にとっては、まさに未知の領域だ。

「まぁ、ツナの良さは他の所にあるから…。勉強は仕方ないのかもしれないわね」
「紅はツナに甘すぎるぞ」
「センセが厳しいから丁度いいんですよ―――って。お帰りだったんですか」

いつの間にか会話に加わっていたリボーンに、紅は思わず普通に返事を返してしまう。
その途中で存在に気付くことには成功したのだが。

「リボーン、お帰りなさい!」
「おう、帰ったぞ」
「ツナの様子はどうでした?」
「今日のツナも相変わらずダメツナだ」

それからは二人から三人へと人数を変えて、再び雑談の時間が始まる。
そして、時は冒頭へと戻るのだ。










「な…え…!?だ、誰!?」

頬を赤くして、無意味に右へ左へと視線を動かしながら奇声とも取れるそれを発するツナ。
そんな彼に、紅はクスクスと笑った。
その姿がまた彼の奇行を酷くする。

「酷いわ、ツナ。数ヶ月の間に忘れてしまったの?」
「その声………紅なの!?」

驚いたように指を指して来る彼に、紅はにこりと微笑んだ。
それは間違いなく肯定のサイン。

「えええぇ!?だ、だって紅は中学生で、風紀委員で!!」
「風紀委員は関係ないけど…。元は成人済みだって知ってたでしょう?」
「知ってたけど!実際に見ると信じられないって言うか綺麗って言うか………って、何言ってんだよ俺!」

存分に混乱しているらしい彼に、紅は最早笑いを忍ばせる事をやめていた。
ここまで盛大な反応を見せてくれると、いっそ清々しい。
雲雀の淡白な反応も帳消しになりそうな勢いだ。
とりあえず落ち着くようにと、新たに淹れていた紅茶を彼へと差し出した。

07.06.12