黒揚羽
Target  --047

少し眩しすぎる日差しを遮るように腕を上げて、カツンカツンと階段を下りていく。
すでに自分の後には誰も待っていない。
そのまま前を向けば、到着していた黒塗りの車に近づいていく暁斗の背中が見えた。
彼を待つ事無くバンッと開かれたドアから飛び出してきたのは、ここ数ヶ月顔を見なかったディーノだ。

「紅!!」

近くに居た暁斗を気にかけることなく真横をすり抜け、紅の元まで駆けて来る。
そして、彼はそのままの勢いで階段を下りたばかりの彼女をその腕の中に閉じ込めた。

「ディーノ、ただいま」
「悪かった!!」

腕の中から逃げようとせずに、紅は彼の背中をトントンと叩く。
彼女は、謝罪の声がどんどん小さくなってくのに気付いた。

「俺達の所為で…悪い…」
「ディーノ達の所為じゃないわよ。別に、監禁されてたわけじゃないんだし…」
「似たようなもんだろ!?」

バッと肩をつかまれて、見下ろされる。
その真剣な表情に、心配をかけてしまったんだなとどこか申し訳なさが込み上げてきた。
安心させるように、落ち着かせるように。
紅は穏やかに微笑んで、彼の頬に手を伸ばす。

「研究は成功。ボンゴレとの関係も安泰。加えて、私も無事。これ以上何か必要?」
「だが…」
「別に、私は気にしてないわ。多少強引ではあったけれど…待遇は良かったし」

好きなだけ研究も出来たしね、と彼女は片目を閉じてみせる。
そんな彼女を見て、ディーノははぁ、と息を吐き出した。
それから、もう一度その身体を抱き寄せる。

「本当に、悪かった。ボス失格だな…」
「聞き飽きたわよ、その言葉。そんな言葉が欲しいんじゃないんだけど…?」
「………おかえり、紅」

その言葉に紅は嬉しそうに微笑んだ。
そんな彼女の背中をトントンと叩いていたディーノだが、ハッと何かに気付く。
そして、慌てて彼女の身体を引き剥がした。

「お、お前…身体…!」
「うん?あぁ…無事、こっちの研究も二度目の成功よ」

ディーノの慌てぶりの理由に気付いた彼女は、彼から数歩だけ下がってくるんとその場で回ってみせる。
長く伸びた四肢や、出る所は出て引っ込む所は引っ込んだ身体つき。
明らかに、彼女の肉体は本来の年齢に戻っていた。

「あんまり間を空けずに服用するのは良くなさそうだったから、このまま帰ってきちゃったの」

そう言って悪戯に微笑んだ彼女は、幼さが抜けきっている。
久しぶりに見た彼女本来の年齢の姿に、ディーノは瞬きも忘れていた。















「それにしても…まだ桜の季節は終わってなかったのね。てっきり、全部散ってしまっていると思ってたわ」

車で移動しながら、紅は流れてゆく風景を見てそう呟く。
その言葉を聞いて、ディーノが不思議そうに首を傾げた。

「そうか?大体例年通りの開花らしいぞ?」
「…研究所の桜は少し早く散ったのね。日付なんて気にしてなかったから、てっきりこの季節は終わったものだと…」
「…カレンダーも見なかったのか?」
「そうね。器材とか数字の羅列とか研究員とか…そんなものばかりを見て過ごして、限界が来たら少し休んで…。
起きたらまた研究に戻って…そんな生活。とりあえず、一日どの程度の時間で動いていたのかも危ういわね」

それでちゃんと生活ができていたと言うのだから凄い。
つまり、彼女は時計すらも見上げない日々を過ごしたと言う事だ。

「…身体は壊してないか?」
「平気。だって、慣れてるもの」

キャバッローネで研究室に篭った時の彼女を思い出し、確かに、と思う。
下手をすれば、何十時間もぶっ通しで研究に明け暮れる。
イタリアに居た頃は、ファミリー総出で彼女の無茶を見張ったものだ。

「よっぽど完成を急いでいたらしいわね」
「結局、なんの研究だったんだ?」
「……………………」

ディーノの問いかけに対し、紅は沈黙する。
基本的にディーノが部下としてみていなくても、紅は彼をボスと見ている。
だからこそ、彼の言動に対しては忠実な彼女。
そんな彼女がすぐに返事を返さないと言う事だけでも、普通ではなかった。

「言い難いのか?」
「……ええ、まぁ」
「なら、そのまま心の中に溜めておいていい。聞いて悪かったな」
「…ありがとう。私も、答えられなくてごめんなさい」

彼女が沈黙する理由として考えられるのは、二つだ。
一つは、研究そのものが専門的過ぎて、話しても伝わらないから。
そして、もう一つは…それを彼の耳に入れること自体が影響がある。
答えられなくて謝ると言う事は、今回は後者なのだろう。
何より、前者であった場合、彼女は「難しいけれど」と前置きはするが沈黙したりはしない。

「この後はどうするんだ?学校に向かうか?」
「学校?あぁ…そんなものもあったわね」

紅の答えに、ディーノだけでなく助手席の暁斗も思わず苦笑する。
確かに、ここ数ヶ月学生生活とは全くかけ離れた生活を送っていた。
それにしても、完全に存在を忘れてしまって、挙句の果てに「そんなもの」だ。
義務教育など当の昔の卒業している筈の彼女なのだから、無理はないのかもしれないけれど。

「復学手続きが必要だろ?すぐに行くか?」
「あー…面倒ね。暁斗、任せてもいい?」

それなりに疲れはあるのだろう。
彼女の言葉に暁斗はすぐに頷いた。
空港から紅のマンションまではそれなりに距離がある。
高速にでも乗ったのか、先ほどから同じ風景ばかりが前から後ろへと流れていて、それが酷く眠気を誘った。

「眠いなら寝ろよ」
「…そうするわ。着いたら…色々と、話したいことも、聞きたいこともあるの」
「あぁ。わかってる。着いたら起こしてやるから、それまで休め」

そう言って、彼の大きな手が瞼の上に下りてきた。
完全に光を遮断された目は、ゆっくりと閉じていく。
瞼や額に触れる彼の熱が優しくて、そして、あたたかい。
久しぶりに触れたそれは、穏やかに意識を沈ませていく。












やがて小さく寝息が聞こえてきた所で、ディーノはその手をそっと動かした。
窓から入り込んだ太陽が彼女の瞼に降り注ぐが、どうやら起きる様子はなさそうだ。

「寝たのか?」
「あぁ」

暁斗の問いかけに短く答える。
それから、車のバウンドに合わせて不安定に揺れる彼女の頭を自分の肩に凭れさせた。

「ボンゴレの件だが…お前は一緒だったのか?」
「………いや、研究所には関係ない奴は入れないからな。特に、一から三までの研究所は極秘研究が多い」
「ボンゴレだからな…それも仕方ないと言えばそれまでだが…」

そう言いながら、ディーノは紅の髪を撫でる。
サラリと指の間から零れ落ちていく茶色の髪を眺めながら、僅かに眉を寄せた。

「ボディーガードであるお前が一緒に入れないって言うのはおかしいだろ?」
「…やめてくれ、ボス。紅はそれを知らないんだからな」

そう咎めつつも、彼が納得していない事は明らかだ。
彼は腕を組んだままじっと前を見据えている。

「…ん?」

不意に、そんな声を漏らしたのは沈黙しようとしていた暁斗だ。
その声を聞きつけたのか、ディーノが「どうした」と声をかける。
どうやら携帯のバイブが原因らしく、彼は開いたそれを見下ろしていた。

「向こうに感謝状が届いたらしいぜ」
「紅にか?」
「あぁ。研究の協力に感謝する、とさ。協力金はいつものように口座に入れておくそうだ」

呆れた風に内容を伝えた後、彼は長く溜め息を吐き出す。
正直な所、感謝の協力金などどうでもいい。
ただ、彼女が妙な事に巻きこまれないことだけを願う。

「何か、知らない所で勝手に話が動いてるな」
「…あぁ。それに紅が巻き込まれた…んだろうな、多分」
「それは間違いないだろうぜ、ボス」
「………暫くは紅を見ていてやってくれ。この先に何もなければそれでいいんだが…」

杞憂で終わればいい。
ディーノは紅の寝顔を見下ろしながら、そう願った。
それが本当に杞憂で終わるのかどうかは、神のみぞ知ることなのかもしれない。

07.05.02