黒揚羽
Target --045
喪に服すように、闇色のスーツに身を包んだ紅が、黒塗りの車から降り立った。
その下に着込んだ白いブラウスのボタンは上から二つほど外されていて、彼女の白い肌と黒揚羽が見え隠れする。
制服を着ればちゃんと学生に見える彼女だが、こうして正装すると年齢は5つも6つも上がる。
年相応に見えないのは、彼女の纏う空気も手伝っているからだろう。
「帰る時には連絡するから」
運転手にそう告げれば、彼は了解と頷き、やがて車を走らせる。
木々の間の道を遠ざかっていくそれを見送りながら、紅は目を細めた。
やがて片腕に抱えるには少し大きすぎるような花束を片手に、そのヒールを鳴らして歩き出す。
疲れるほどではないにせよ、少し登りになっているそこを進んでいく。
林の中の小道、と言っても過言ではないような、自然溢れる道だ。
一歩歩くたびに紅の髪が揺れ、白い頬を撫でる。
時折吹く風もまた、彼女の髪を自由気ままに遊んでいった。
そうして、10分ほど歩いただろうか。
突然前が開けたかと思えば、見えてきたのは大きな建物。
人里を離れたというほど山奥ではないにせよ、少しばかり小高い位置に立っているそれ。
見るからに立派な屋敷だが、人の気配は無い。
それが見えたところで足を止めた彼女は、切なげに目を細めてその屋敷を見上げた。
それから、ゆっくりと一歩目を踏み出す。
両開きの玄関には上下に蝶番がついているのだが、右の扉はその内の一つが外れてしまっている。
その所為かちゃんと閉じられることもなく、中の様子を露にしていた。
キィ、キィと風に乗る扉の向こうに見え隠れするのは、目を閉じたくなるような光景だ。
このまま回れ右をしてしまいたいと言う思いと、何が何でも進まなければという使命感のようなものが入り混じる。
自身の感情を持て余すように一度息を吐き出し、彼女は花束を片腕に抱えなおして開いた手を持ち上げた。
そして、小さく悲鳴を上げていた扉を開き、屋敷の中へと一歩踏み出す。
外観の豪華さに引け劣らないほどに立派な造りの内部。
しかし、それは今となっては主を失い、無言のままに時を止めていた。
「あの頃のまま…か」
それは当然の事だ。
この周囲一体は自分の所有地になっている。
当然、その中に存在するこの屋敷も彼女の物で、赤の他人が変化を与えてよいものではない。
彼女自身も年に数回訪れる程度なのだから、建物が傷みを見せていてもおかしくはなかった。
玄関を入ってすぐの空間は広いホールのようになっている。
そこの半ばまでも足を踏み入れる事無く、扉から僅か数歩のところで彼女は歩みを止めた。
左腕に抱えていた花束を飾っているリボンを解く。
そして、反動をつけてその花束をバッと天井へと放り投げた。
空中でばらばらに乱れた花が、自由気ままに降って来るのを見下ろす。
花の雨の中で、彼女はそっと瞼を伏せた。
色とりどりの花たちが、床の上に落ちていく。
乱れ、崩れ、壊れ―――そして、どす黒く染まった跡を残す、ホールの中に色彩豊かな雨が降る。
惨劇の跡。
それ以外に、このホールの説明をするに適する言葉はない。
そんな中に降る花、それから無言のままに佇む彼女。
その光景はどこか異様で、それでいて目が離せないほどに美しかった。
どれほどの時間を、あの物言わぬ屋敷の中で過ごしただろうか。
やがてゆっくりと動き出した紅は、それに背を向けてきた道を歩き出す。
屋敷が見えなくなったところで、彼女は不意にその歩みを止めた。
「…ここには入らないで。そう言ったはずだけれど…何のつもり?」
前方の木にもたれる彼に、紅は形の良い眉を顰める。
前髪に隠れてしまっていて彼の目は見えないが、返事の代わりにその口元が持ち上げられるのを見た。
この場所だけは誰にも侵されたくない。
そんな想いが、彼女の機嫌を悪くしていく。
「アンタが来るの遅いからじゃん?」
「…一日時間をくれるように、研究者の人に連絡しておいたわ」
「へぇ。でも、俺は聞いてないよ」
それはそっちの勝手でしょう。
思わず出そうになった言葉を何とか飲み込んで、紅は彼を睨みつける。
「もう一度忠告するわ。ここには入らないで」
「はいはい。誰も好き好んでこんな潰れたファミリーのアジトなんて―――」
ヒュンと空を切ってきたそれに、彼は片腕を持ち上げる。
真っ直ぐに首を狙ってきたそれは、まるで蛇のようにクルクルッと腕に巻きついた。
「あなたがボンゴレであろうと……彼らを侮辱するのは許さない…!!」
左手は彼の手を固定した鞭を握り、右手には黒く光る銃。
先程よりも遥かに鋭さを増したその眼光に睨まれ、銃口を向けられて尚、彼は笑みを深めて肩を竦めた。
「用が済み次第、地下第一研究所に来い。俺の用件はそれだけ」
「随分と念をおすのね。そんなに大事な研究?」
「うん。ボンゴレの未来を左右する、めちゃくちゃ大事な研究」
多分ね、と彼は曖昧な言葉を返した。
断言しないのは、彼自身がその研究の内容を深く知っているわけではないからだろう。
柳に風の如く笑顔で受け流され、紅は無言のままに彼の腕を制していた鞭を解き、引き寄せる。
「夕暮れ前には研究所に入る。そう伝えて」
スーツの内側に鞭をしまいつつも、銃は依然として彼女の掌に光っている。
用が済んだならばさっさと立ち去れ。
彼女の全身の空気がそう語っていた。
よほど、この地を踏み荒らした自分が気に入らないらしいな。
そう思って、彼は心中での笑いをそのまま表情に映す。
だが、これ以上彼女を煽るのは得策ではないと考えたのだろう。
彼はクルリと踵を返し、頭の後ろで腕を組みながら歩き出した。
「…そーやってさぁ」
ふと、彼は足を止めて背中を向けたまま声を発する。
紅はその声に軽く目を細めるが、何も言わなかった。
「いつまでも大事にしてるくらいなら、原因の奴を殺しに行けば?」
何なら、俺が殺してきてやろうか?
その言葉は声として発せられる事はなかった。
銃声と共に銃弾が彼の脇をすり抜けたからだ。
「おー、コワッ」
「消えて…今すぐに!私の前から消えてっ!!」
声を荒らげた彼女に、彼は笑みを深めた。
だがそれ以上彼女を刺激する事無く、その言葉に従うように一瞬にしてそこから消える。
気配までもが完全になくなったところで、紅はその場に膝を着いた。
「何が…あんたに、何がわかるのよ…っ」
大切だった、大好きだった。
自分の居場所は、確かに彼らと共にあったのだ。
一緒に死にたかったとは言わない。
だけれど、置いていって欲しくはなかった。
ぎり、と握り締めた指先が土を掻く。
小石が爪先を傷つけたのか、ピリッとした鋭い痛みが走る。
「殺すなんて…っ」
視界が歪んだかと思えば、地面に涙が落ちた。
その一粒を皮切りに、次から次へと涙が溢れてくる。
怒り、悔しさ、哀しさ―――それから、寂しさ。
様々な感情が篭った涙が、ボロボロと零れ落ちていく。
このまま自分の感情を持って行ってくれればいい。
そうすれば、こんな辛い思いをしなくても済むのに。
「…ディーノ…ッ」
何も言わずに黙って胸を貸してくれる彼の存在が欲しかった。
優しく頭を撫でて、大丈夫だと繰り返してくれる彼が、傍に居てほしかった。
全てを知っていて、尚且つ絶対に自分を突き放さない存在。
相手からすれば都合が良いと思われても仕方がないけれど、それでも今の彼女に必要なのはディーノだった。
「…くそ…っ」
ギリッと奥歯を噛み締める。
一人にして欲しい、そう言われたから、自分はあそこに行けない。
己の役目として気付かれないように彼女を追ってきた暁斗。
木にその身体を隠したまま、彼女の切ない声を耳にして表情を暗くする。
「やっぱ、まだ全然駄目なんだな…」
別れと言うのは突然だ。
だからこそ、心の整理をつけるのが難しい。
普段は明るい表情を崩さない彼女は、心の中ではあんな風に涙していたのだろうか。
遣る瀬無い、暁斗は葉のせいで狭くなっている空を仰いだ。
07.04.17