黒揚羽
Target  --043

放課後になって、随分と日も暮れたころ。
ある程度の所まで作業を進めた紅は、そろそろ帰ろうかと応接室を後にした。
何だかんだとよく時間を共にする雲雀とは一緒に帰ったりはしない。
彼が自分の領域に踏み込まれることを嫌っていることはわかっていた。
だから、必要以上に接近する気は、今のところはない。
これからがどうなっていくかはわからないけれど。
すでに残っている生徒は少なく、部活動も片付けやクールダウンへと移っていた。
そんなごく普通の学校のグラウンド風景を横目に、紅は正門へと歩いていく。

「紅!」

不意に、背中に自身の名を呼ぶ声が掛かった。
紅は驚く様子もなく振り向いて、その声の人物を視界に捉える。
走ってきたのか、少し息を切らせて彼女よりも数メートル後ろで膝に手を付く彼。

「ツナ。どうしたの?」

お茶でも飲む?と鞄の中に入れていたペットボトルのそれを差し出す。
一瞬は受け取ろうとした彼だが、何やらハッとした表情を浮かべると慌てて首を左右に振った。

「い、いいよ!大丈夫だから!!」
「そう?なら別に構わないんだけれど…」

そう言ってあっさりとそれを鞄の中に戻す。
そんな彼女に、息を切らせつつほっと安堵のそれを浮かべるツナ。
彼を焦らせた原因は、ペットボトルの中身が半分ほどになっていたからだろう。
何故頬を軽く染めて慌てて否定したのかを考えると、可愛いなぁと思う。
今更、自分は間接キスなど気にしたりはしないのだが。
まぁ、この場合は彼自身にその度胸がなかったと言うか…とにかく、嫌だったのだろう。
クスクスと笑うのをやめると、紅は漸く息の整った彼を見て、再度質問を重ねる。

「どうしたの?」
「今日先生に聞いて…」
「あぁ、留学の話?」
「そう、それ!」

事も無げにそう答えた彼女に、ツナはパッと顔を上げた。
そんな必死になって呼び止めなければならない話だろうか、そう考えてみる。

「それがどうかしたの?」
「いや、だって…紅は元々向こうに居たんだし、って事は向こうに帰るのかなって…」
「…歩きながら話そうか」

何だか上手く説明できていないらしいツナを見て、紅は僅かに微笑んでそう提案する。
先ほどから下校途中の生徒の視線が痛い。
それもそのはず。

片や、ダメツナと言うありがたくないお言葉を頂戴するような生徒。
そしてもう片方は、歩けば十戒の如く生徒が左右に割れるほどに恐れられる雲雀の率いる風紀委員に所属している。

とうとう風紀委員の目に付く事をやらかしたのか!?と言う視線が彼に突き刺さっていた。
尤も、本人はその事に気付いていないようではあったけれど。
紅とツナが同級生である事を知っている生徒は、純粋な興味の視線を向けている。
別に気にするほどの事でもないが、こう言うのをほうっておくと明日には噂になりかねない。
提案に頷いてくれたツナに微笑みを返し、紅はゆっくりと歩き出した。
一緒に帰るとあればこれはこれで噂になりそうなものなのだが。
















「で、イタリア留学の話なのよね?」
「うん、そうなんだ。今日初めて聞いたから、ビックリして…」
「まぁ、普通はそうよね。一年も経たないうちにもう一度留学なんて」

そうそうある事じゃないし、と答えながら鞄を持ち替える。

「そう。だから不思議に思って、リボーンに聞こうと思ったんだけどさ。あいつなら何か知ってると思ったし」
「その時に偶然私が居たって訳ね」

その通り、とツナが頷く。
なるほど、そう考えていたならば、慌てて引き止めにきたのも頷ける。
聞けば、彼は2階の廊下から門に向けて歩く紅を見つけ、走ってきたらしい。
ご苦労様、と言う言葉に苦笑気味の笑みを返してくれた。

「ツナの言うとおり、普通の留学じゃないわ。所謂…呼び出し?」
「え?キャッバローネの?でも、ディーノさんはまだ日本に居るんじゃ…」
「違うわよ。キャッバローネじゃなくて、ボンゴレ」
「あぁ、ボンゴレ。………ボンゴレから呼び出し!?何で!?」

一瞬は納得しかけた彼だが、事の大きさを理解して再び声を大きくした。
そんな彼に紅は苦笑して「静かに」と人差し指を唇の前で立てる。
別にこんな道端の会話を誰かが聞いているとは思わないが…少しばかり無用心だろう。
本来ならば帰り道に話すような内容ではない。

「さぁ…何でかしら。理由はよくわからないんだけど…研究に手を貸して欲しいそうよ」
「あ、そっか。紅って研究員なんだっけ?」
「肩書きはね。今まではこんな風に書面で呼び出されることなんてなかったから、私も驚いてるの」

あまりにも急だったし。
そう紡げば「急だったんだ?」と声が返って来る。
手紙の内容をかいつまんで説明すれば、納得したように頷いた。

「リボーンなら何か知ってるんじゃないの?」
「…確かに、センセなら知ってるかもしれないわね」
「俺は何も知らねーぞ」
「そっか、リボーンでも知らないなら仕方ないか…」

普通にそう答えてしまってから、ちょっと待て、と言う風にぐるんと頭を振り向かせる。
そんなに勢いよく首を動かすと傷めるのになぁ、と思いながら紅もそちらを向いた。
一民家の塀の上で短い足を組んで座っていたのは、言わずもがなツナの家庭教師であるリボーンその人だ。
彼を指差して口をパクパクと酸欠の金魚のように動かすツナ。
紅は、言いたい事はわかる、とばかりに頷き、ポンとその肩をたたいた。

「何でここに居るんだよ!」
「ツナの帰りが遅いからだ。今日までの宿題がまだ残ってるだろーが」
「………あ!!」

言われて初めてその存在を思い出したらしい。
何と言うか…チャレンジャーだ。
よりによってリボーンの出した宿題を忘れるなど、自分ならば出来ないなと思う。
真っ青になった彼を見れば対抗心などからしなかったわけではなく、ただ忘れていたと言う事は明らかだけれど。

「さっさと帰って片付けておけよ。俺が帰るまでに終わってなかったら承知しねーぞ」
「あ、ご、ごめん、紅!!」
「構わないわ。頑張って」

その声すら聞こえたかどうかは難しい所だ。
すでに米粒くらいの大きさになっているツナを見送って、紅は苦笑した。
死ぬ気弾を使われた時と大差ない速度だと思う。
普段の体育の時間なんかにあの速度を出せれば、短距離走ではヒーローになれるだろうに。

「で、私に話でも?」

いつの間にか塀の上に座るのをやめて立ち上がっている彼を見て、紅はそう問いかける。
ツナは必死になっているので気付かなかったようだが、リボーンの言葉には彼を追い払う意図が含まれていた。

「ボンゴレから手紙を貰ったらしいな」
「ええ。これなんですけれど」

そう言って鞄の中から白い便箋を取り出す。
先ほどツナに説明する時にも見せれば早かったのかもしれないが…何故か見せてはいけないような気がした。

「………ディーノが持ってきたのか?」
「こっちに居るボンゴレの人から受け取ったらしいです」
「筆跡は9代目のものだが…」
「死炎印がないのが妙、ですよね?」

リボーンの言葉を遮るわけではなくそう言った彼女に、彼は頷く。
ボンゴレ9代目からの手紙全てに死炎印が押されると言うわけではない。
しかし、正式なボンゴレからの要望であったならば、それが無いと言うのは逆に奇妙な事だ。
ボンゴレを揚げての研究、と書くからには、正式な要望であると取っても差し障りはないはず。

「とりあえず、何もなければそれでよし。あったとしても…自分で何とかしてみます」
「暁斗は連れて行けよ」
「言うまでもなく、彼は来てくれるつもりだったみたいですよ」

ありがたいことです、と悪戯に笑う。
日本での仕事が残っているディーノには頼めない。
一言付いてきて欲しいと零してしまえば、彼がそれを放り出してくれることなど、わかりきっている。
だから、その言葉を待っていると気付いていても、言わなかった。
頼って欲しいと思ってくれる事は嬉しいけれど、やはり優先すべき事を優先して欲しい。
それが紅の願いだ。

「何かあったらすぐに連絡しろ」
「わかりました」

リボーンにも伝えられていないのは珍しいな、とは思ったけれど口には出さない。
知らないことを責めているように聞こえてしまうかもしれない、と思ったからだ。
分かれ道で彼に別れの挨拶を告げ、背を向けて歩き出す。
その背中に向けられた視線に気付きながらも、振り向かずに帰路を進んだ。

07.03.22