黒揚羽
Target --038
ゾロゾロとファミリーを連れて歩くほど、紅は世間一般の常識と言う奴を忘れては居なかった。
ナースステーション近くにやってきた彼女は、ディーノと彼らをその場で待機させて単身そこへ赴く。
「すみません。沢田綱吉くんの病室を教えていただきたいのですが…」
そう声を掛ければ、色よい返事が笑顔と共に返ってきた。
彼らが背後にいたならば、こう上手くはいかなかっただろう。
少なくとも、目の前の看護師の表情は変わったはずだ。
病室番号を聞き、確認がてらその数字を反芻する。
そして、間違いがない事を悟ると彼女はありがとうございます、とお礼を言ってからそこを離れた。
「あ、院長を呼んでもらうのを忘れた…」
今更だが、そのために出てきたのを思い出す。
ナースステーションを振り向く紅だが、すでに歩いていた数メートルを戻るのは面倒だ。
彼の見舞いを終えてからにしよう。
そう決めると、顔を戻して彼らの待つ廊下へと歩く。
ついでに、途中にあった院内案内板に視線を向けながら。
「それにしても…修行で怪我って、そんなにハードな修行だったの?」
ツナの病室へと向かう途中、紅はディーノにそう尋ねた。
ディーノは彼女の問いかけに苦笑を浮かべ、口を開く。
「いや…修行自体はエンツィオと戦うだけのもんだからそうハードじゃなかったんだが…」
「…エンツィオと戦わせるのは早いと思うけれど」
「事故でアイツが水に落ちちまってな」
「………巨大化したのね」
スポンジスッポンのエンツィオは、水を吸うとその身体が巨大化する。
更に、それに比例するようにして凶暴化するのだ。
紅にも覚えがあるのか、溜め息交じりの言葉。
それを聞いて、ディーノは「そう言う事だ」肩を竦めた。
「逃げている途中で怪我をするなんて…運が悪かったわね」
「あそこは足場が悪かったからな」
「まぁ、大事に至らなくてよかったわ」
そろそろ病室が近いと言う事もあり、紅の目は病室の部屋番号を追っている。
すでに三桁目は教えてもらった番号と一致。
下二桁をぶつぶつと読み上げつつ、数字の一致する部屋を探す。
そうして、目的地へと辿り着いた。
ここに来るまでにすれ違った患者やその見舞い客が怯えて道を空けるのを見なかったことにして。
「ここね」
トンッとネームプレートの隣に指を当てた紅。
沢田綱吉、と書かれた横には、同室の患者の名前が三つある。
どうやら部屋は四人部屋らしい。
「んじゃ、入るか」
紅がスッと身を引けば、ディーノがドアの前に立って引き戸のそれをガラッと引く。
部屋の中に入る彼に彼女が続き、そして他の面々。
飽和状態の室内に、黒いスーツ姿の男達の群れ。
同室の少年らが顔を青くするのを見て、紅は溜め息を吐いた。
やはり、廊下で待たせておくべきだったか…そう思うが、すでに後の祭り。
ボスを守る、と言う大義名分と共に子鴨のようにディーノに付き従う彼らを止める術を、すでに忘れてしまっていた。
言った所で直るものでもないし、とすでに諦めの域に達していると言っても、嘘ではないだろう。
「よぉ」
「ディーノさん!?それに、紅も!」
「手ぶらでごめんね。さっき聞いたばっかりで何も用意出来なくて…」
次は何か持ってくるわ、と言う紅に、ツナは気にするなと首を振る。
ベッドの上に座っている彼の右脚には、ギブスが巻かれていた。
暫くは松葉杖無しには歩けないな、と状況を見るだけでそう判断する。
幸いと言うか学校はすでに休みに入っているから問題はない。
全治するまでにどのくらい掛かるのかは分からないが…さほど支障はないだろう。
慣れない松葉杖生活を強いられる事にはなるが。
「でも、エンツィオに踏まれたとかじゃなくて良かったわ」
「………。紅、それは洒落にならないって」
想像してしまってから青くなった。
井戸の中に落ちてしまったエンツィオに踏まれる自分。
あの巨体に踏まれてしまえば、まるで紙切れのように薄くなってしまいそうだ。
もちろん人間には限界というものがあるのだから、蕎麦のように都合よく伸ばす事が出来たりはしない。
全身複雑骨折―――自分の知識で浮かぶのはその程度の怪我だったが、それだけでも十分だった。
紅はツナと二・三言葉を交わすと場所を譲るようにして身を引いた。
ディーノと彼が話しているのを聞きながら、壁に凭れる。
病院の人が怖がるから、と普通の人ならば誰もが思うであろう一般的な言葉を発するツナ。
そんな彼の言葉に、同室の三人の少年がファミリーの彼らに睨まれているのを見て、ふっと苦笑した。
怖い、と言う言葉さえ、吐く事は許さないと言った感じだ。
目で殺す、まさにそんな感じだと思った。
「ディーノ…銃刀法違反で捕まるわよ」
そんなヘマはしないと分かっているが、一応言っておく。
入院中のボスは危険だと説明し、ディーノはツナに銃を渡そうとした。
黒く光るそれが出てきた所で彼女が紡いだのが、先ほどの言葉である。
ツナのように驚かない辺り、自分も慣れてしまったんだと思わずには居られなかった。
まぁ、この世界で生きるようになってすでに数年。
長くはなくとも、短くもない時間を生きていれば環境に合わせて変化するのは当然の事だった。
「ひぃっ!」
「助けてーっ!!」
少年らの限界だった。
あの後、紅はツナに迷惑が掛かるから、とディーノらを連れて早々に立ち去った。
これ以上ないほどに感謝するツナに、あぁ、懐かしい反応だ、と思ったのは気のせいではないだろう。
自分も、ディーノらの普通に慣れるまでの間はあんな感じだった…とどこか懐かしく思う。
この後仕事がある、と言った彼を病院の外まで見送り、黒塗りの車が見えなくなった所で院内へと戻った。
もう一度ツナの所に行くと言う手もあるが、入院している時くらいはゆっくりしたいだろう。
そう思って、また今度と日を改める事にした。
そして、近くに居た院内スタッフを呼びとめ、院長への取り次ぎを依頼する。
子供が院長に何の用だ、とでも言いたげな視線を向けられた。
紅は怒るでもなく堂々とした態度でこう続ける。
「では、私に会っていただかなくても構いません。
並盛中学風紀委員長…失礼。雲雀さんが呼んでいますと、そうお伝えください」
にこりと笑った所で、その男性は軽く青褪めた。
どうやら、ここでも風紀委員の名はしっかりと届いているらしい。
怪我人が出ればこの病院に搬送されるのだから、それも無理のない話だ。
態々並中風紀委員の名前を出す辺り、彼女は確信犯と言う奴だろう。
言葉を噛みつつ了承の返事を返してくれた彼に、紅はお願いしますねと踵を返す。
気がつけば病室を去ってから随分と時間が過ぎてしまっていた。
まぁ、読書で暇を潰せるようだし…と、紅は楽観的にそう思う。
慣れたように階段を上がり、雲雀の病室へと足を向ける。
「失礼します」
そう言ってガラリとドアを開け、彼女は静止した。
今日ここに来た時にも同じように固まったが、その時とは話が違う。
「…病院で怪我人を増やしてどうするんですか…」
もっと人に優しい方法で暇を潰してください、と呟く紅。
彼女の視線の先には、雲雀のベッドの下で山になって倒れている患者の姿。
見た所、全員どこかしらに外傷がある。
打撲が多いことから、それが雲雀のトンファーによる怪我だと認識するまでに、そう時間は必要なかった。
「遅かったね。院長が捕まらなかった?」
「あ、違うんです。知人が入院していると聞いたので、見舞いに行ってきました」
ここでちゃんと否定しておかなければ、今度は院長が危険だ。
そう答えた彼女に、雲雀はやや残念そうに「そう」と答える。
そして、再び本に視線を戻した。
「落ち着いたみたいだね」
「…お蔭様で」
半ば逃げるようにして病室を出て行ったことに、彼が気付いていないとは思わなかった。
だから、そんな言葉にも冷静に対応できる。
視線は活字を追いつつ、意識が自分へと向けられていた。
そのことに気付くと、紅はゆっくりと彼に歩み寄っていく。
「調子は…どうですか?」
「もうどこも問題ないよ」
「なら、安心しました」
「君にも迷惑かけたね?」
彼の言葉に、紅は一瞬それを理解できなかった。
彼の口から「迷惑」だなんて言葉が吐き出されるなど…誰が信じられようか。
しかし、その表情を見た所でその動揺は収まる。
「雲雀さんの迷惑なら、喜んで」
どうやら、さっきのように自分を動揺させてみよう、と言う彼の意地悪らしい。
楽しげに、からかうようにして口角を持ち上げているのを見て、紅もそんな風に返した。
07.01.16