黒揚羽
Target  --031

イタリアでの生活も短くはないが、日本での食卓マナーもしっかりと弁えている。
淀みないその動作を横目で見ながら、ツナは少しばかり動悸を速めていた。
自分と同年代の女子とこうして同じ食卓を囲む事になるなど、数ヶ月前の自分にはありえないこと。
全く気にする様子の無い彼女に、自分だけが変に緊張しているような気がして僅かに頬を赤らめた。

「紅、それ取って~!」
「はいはい。ランボ、あんまり食事の上で伸び上がらないの」

手の届く所に座っているランボの着衣の背中を引っ張りながら、もう片方の手で彼の示す料理を近くに寄せてやる。
自分でも取れる位置に来たことが満足なのか、彼は大人しく椅子の上に座りなおした。
漸く落ち着いて食事が出来る…かと思いきや、ボロボロと料理を取り落とすランボに肩を竦める。
せめて、とばかりに彼の取り皿を寄せてあげる紅に、ツナの食事の手は止まっていた。

「…ツナ?」

どうかした?と、視線に気付いた紅が問いかける。
それによって、彼は初めて自分が彼女を見ていたことに気付いた。

「紅って子供の扱い慣れてるんだなーと思って―――って、ディーノさん、何で笑ってるんですか?」

ツナはそう答えながら、自分の言葉の途中で見事にふきだした彼に首を傾げる。
だが、肩で息を整えている彼には届かなかったらしい。
一方で、紅がやや唇を尖らせて不満げにしているのに気付き、更に疑問が増えた。

「失礼よね、まったく…」
「紅?ディーノさんは何で…」
「…さぁ。本人に聞けば分かるんじゃない?」

そう言って彼女はふいっと顔を逸らしてしまう。
それでも、食事を再開しつつも咽るディーノにお茶を差し出す辺り、その関係の深さが窺える。

「あー…久々に声を出して笑ったな…」

目尻に溜まった生理的な涙を指先で拭いながら、ディーノはそう言った。
彼が落ち着くまではと食事を続けていたツナが、その手を休める。

「何がそんなに面白かったんですか?」
「いやな。紅は元々子供苦手なんだよ」

ディーノの言葉に、彼は暫し返事を失う。
だが、程なくして「えぇ!?」と驚いたようにディーノと紅を交互に見た。
はっきりと暴露されてしまった彼女は、素知らぬ顔で食事を続ける――ようにも見えるが、どこか頬が赤い。
彼女の様子が、ディーノの言葉が真実だと教えているようなものだった。

「本当に…?」
「ああ。その癖に子供には好かれる性質でなぁ…扱いに困る紅を見かねて、ファミリーが動いた」
「ど、どんな風に?」

勿体振るように言葉を止めた彼。
ツナは興味津々と言った様子で先を促した。

「仕事だって保育所の世話係に放り込んだんだ」

お節介だろ、と彼は笑う。
彼らの言葉を聞きながら、紅はあの頃の記憶を思い浮かべていた。
子供が苦手だと言う自分に「仕事」と言って与えられたのは、まだ年端も行かぬ子供の世話。
正直なところ、ファミリーを抜けてやると思ったのはあの時ただ一度だけだ。
その内に慣れるわよ、とベテランに助言されようと、苦手なものは苦手。
それなのに、相手はそんな事を知るはずもなく、容赦なく自分に集ってくる。
さながら、お菓子に群がる蟻。

大人相手ならば、少々無茶をしても許される。
だが、相手はまだ身体も出来ていない子供。
壊さないようにと気を配るように接する回数を重ねれば、自然とその対処の方法が身につくというものだ。

「一週間後に帰ってきた時の紅は面白かったなぁ。第一声が――」
「『今度こんなことしたら、あんたらも同じ環境に放り込んでやる』」
「あぁ、そうだ。何だ、紅も覚えてるんだな」
「忘れようにも記憶に深く刻まれているわ」

修復も上書きも出来ないほどに。
そう言いながら、彼女は溜め息を吐き出した。

「何か…すごい荒療法…」
「ツナもそう思う?」

彼女の同意を求めるような視線に、彼は深く頷く。
自分が同じ状況に置かれたとして、果たして彼女のように上手く一皮剥けて来ることができるだろうか。
苦手なものはどこまでいってもやはり苦手で―――時には、克服しようと言う努力さえ無駄になる。

「今は苦手じゃないの?」
「まさか。苦手に決まってるでしょう。あくまで扱い方を覚えただけ」

考え方までは変わっていない、と彼女は首を振る。
そんな彼女を、優しげな目で見つめるディーノ。
どんなに手荒い方法だったとは言え、言葉に出せないほどのトラウマになっていなければいい。
あの一週間は、確かに彼女の中に何かを残したはずだから。
















談笑が一段落した所で、奈々が風呂を入れてくると言ってダイニングを後にした。
程なくして、絹を裂くような女の悲鳴…とまではいかなくとも、彼女の悲鳴が紅たちの元まで届く。
反応の速さを競うならば、紅とディーノはほぼ同時だったと言えよう。
しかし、自分の足を自分で踏むと言う何とも器用な事をした彼は盛大に床に転がる。
彼を横目で気にしながらも、紅は止まる事無く風呂の方へと駆けて行った。

「奈々さん!?」
「紅ちゃーん!!」

彼女の方もこちらに向けて走ってきていたのか、出会ったのはダイニングを出てすぐの廊下だった。
半ば飛びついてくる彼女を支えられるほど、今の紅に身長はない。
本来の姿であったならば、長身な彼女は楽々と奈々を受け止める事ができただろう。
耐え切れずに背中から倒れていきそうだった紅。
だが、構えたはずの衝撃はいつまで経っても訪れなかった。

「…もう、大丈夫だな」

背中を受け止めてくれたらしいディーノの声に、紅はその顔を上げて彼を見た。
受け止めたはいいが、どうやら廊下の壁で肘を打ったらしい。
やはり部下が居ないと運動能力が低下するらしく、紅はそっと苦笑しながら体勢を整える。

「ありがとう、ディーノ」
「ああ。彼女を頼んだぜ」
「了解、ボス」

紅が姿勢を整えた事を悟ると、支えていた腕を解いて風呂の方へと駆けて行ったツナを追う彼。
先ほど打ったらしい肘を軽く擦りながら走るその背中を見送り、紅は一息ついた。

「とりあえず、部屋に入りましょうか」

何を見たのかは分からないが、驚いたのかまだどこか呆然としている奈々にそう声を掛ける。
コクリと頷いた彼女の手を取り、二人でダイニングへと入った。










ゴーと言う音と共に、うっとりとした様子のエンツィオを膝の上で乾かす。
初めこそかなり重かった彼も、次第に膝の上に乗せていても苦しくない程度の大きさまで縮んでいた。

「エンツィオの凶暴さは相変わらず、か」

クスクスと笑いながらドライヤーを当てる角度を変える。
部下が近くに居ない今、ドライヤーすらも危険だと判断した紅はエンツィオを乾かす役目を引き受けた。
いつの間にか目を覚ましていたらしいエンツィオは、程よい温度の風が心地よいらしく目を細めている。
慣れた様子で彼の頭を指先で撫でながらドライヤーを動かす紅。

「慣れてるね」
「エンツィオも紅には懐いてるからな」
「大きくなければ可愛いわよね。ほら、乾いたわよ」

指に頭を摺り寄せてくる彼に微笑みながら、ドライヤーのスイッチを切る。
ゴーゴーと響いていた音がピタリと止んだ。
それをテーブルに置きながら、もう片方でエンツィオをディーノに差し出す。
彼を受け取ると、ディーノは「助かった」と礼を述べた。

「さて…ツナは銭湯に行くって言ってたわね」
「うん。流石にあの状態では風呂は使えないから」
「…じゃあ、ディーノは私のマンションの風呂を使うといいわ」

一瞬自分が直せば…と言う考えが脳裏を過ぎるが、あの能力の事はまだ話してない。
今はまだ話すべきではないだろうと判断し、彼女は別の言葉を紡いだ。
そんな彼女の提案にディーノが首を傾げる。

「俺も一緒に銭湯に行けばいいだろう?」
「残念ながら、銭湯は「刺青の方お断り」よ」
「あー…そうか」

なるほど、と頷く彼の左腕には、手の甲から首の辺りまで続く大きなタトゥーが彫られている。
この位置でこの大きさとあれば、流石に誤魔化す事はできないだろう。
こうして、ツナらは銭湯に、ディーノは紅の部屋の風呂を使う事に決まった。

06.11.29